第10話「内外の変化」
「……何? これは?」
アンジェは腕を組みながら目の前の物体を睨んだ。
ブロックやレンガを積み重ねた雑な土台の上に置かれた、鋼製の太くて大きな筒状の物体。
「ドラム缶だよ。見たことない?」
「ドラム缶はわかります。だからなんなの? とびっきりの風呂でなんでドラム缶に水を入れているの?」
「おやおや。お偉い金持ちのご令嬢はこれを知らないと!」
ドラム缶の中が水で満たされると、土台の部分で焚火を準備し始めた。火を起こして湯を沸かすつもりだ。
「キャンプなどで行われる目玉行事! その名もドラム缶風呂でございます!」
「そのまんまじゃない」
「まぁまぁ。物は試しだから入ってみ! めっちゃ気持ちいいよ。ハマるよ」
「ふん」
アンジェはますます苛立ちを露にした。
「公爵令嬢を舐めないで欲しいわね。こんな風呂なんて呼べない代物に叩き込まれて私が満足すると」
2分後。
「あぁぁぁぁあぁぁぁああ~~~~~……」
ドラム缶風呂に入ったアンジェが気持ちよさそうに声を上げた。
「極楽……」
「どうっすかお嬢様。湯加減は」
「くるしゅうない……」
目隠しをされたゼクスは団扇を動かしながら火力を調整していた。
現在のアンジェは布一枚を体に巻き付けている状態だ。首から上は狼で両腕が若干毛深いが、下はほぼ人間のままである。ギルフォードにすら見せたことのない乙女の肌を、子供のゼクスに見せるわけにはいかない。
「はぁ。いいわね、ドラム缶風呂。ネーミングと見た目が気に食わないけど」
いつまでも気持ちよさに身を浸している場合ではない。
「ねぇゼクス」
「なに? もっと熱くする?」
「それはもういいわ。今後の話をしたいの。あなた、喧嘩は強い?」
「まぁ傭兵にも負けないというか。それなりに戦えるよ」
団扇の動作を止めた。
「それが?」
「私に、獣人としての戦い方を教えてちょうだい」
「……いいけど、あんた体術は?」
「自慢じゃないけど苦手よ。試験の時は自分より弱い相手と戦って誤魔化してたわ」
「はは。そりゃ賢いこって」
ααααα─────────ααααα
翌日の朝、二人は湖近くにある大樹の下に来ていた。
「ここで教えればいいの?」
「その前に聞きたいことがあるの。あなたのその腕の変化。どうやってやるの?」
ゼクスが傭兵と戦った際、彼は自身の腕を巨大な獣の腕に変化させていた。
「はじめは幻術だと思ったわ。けど違う。それは魔力と一緒に性質が変化している。それは体構造であり血液であり骨であり」
「ああ~え~っと? つまり? どういうことよ」
「現実に干渉できるものとして変化している、ということ」
幻術はその名の通り物理的干渉ができない。例えば腕を巨大化してもそれは見た目だけ。その上で人を殴ったりはできないということだ。
だがゼクスの変化は物理的に干渉している。
「変化魔術は高等技術よ。なにしろ自分の体を媒介にするんだもの。ある意味呪術的というか」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それって何か? 俺の獣化って魔法なの!?」
「気付いてなかったの?」
「か、母さんから言われた通りやってただけなんだけど」
魔法を知らずに魔法を使っていたとは。魔術学園の講師が聞いたら卒倒しそうな話だった。
「……ねぇ、気になったんだけど。あなたの母親はどこにいるの?」
「死んだ。つうか騎士に殺された」
呆気からんといった。
「で、俺は母さん殺した騎士をぶっ殺して復讐を成し遂げた。終わり」
淡々とした口調だった。それは「これ以上聞くな」といってるようだった。
「ごめんなさい。悪いことを聞いたわ。機嫌を悪くさせてしまったかしら」
「構わねぇよ。当然の疑問だ。で、俺はどうすればいいの?」
「一回獣化っていうのをやってみて」
ゼクスは頷いて右手を変化させた。
真っ黒な毛を鎧のように身に纏う巨大な腕になった。五指はロングソードが可愛く見えるほどの大きさと太さ、そして鋭さを持っていることが見て取れる。
「美しいわ……なんて綺麗な魔法なの」
「ちょ、目が怖いんだが」
「なんで王都の魔術書にも魔術学園にも載ってないのよ。獣人が使っている魔法だから邪法だとでも? それとも呪術に分類されたのかしら」
どっちでもよかった。速く試してみたい。
「どうやって変化させてるの?」
「えっと、頭の中で「こうなれ~!」って描いて、あとは、こう、腕に力込める感じ?」
「原理的には幻術と同じね。外側からのコーティングじゃなく、内側から生み出す感じか」
人間という種族は魔力量が少ない。外部に漂う魔力で量を補う必要がある。
だが見た感じ、この変化は内側の魔力だけで構成されている。つまり補助が使えない。自分の力だけで発動する必要があるようだ。維持するにも莫大な魔力量が必要になるだろう。
「だからか。獣人の耐久度と魔力量ならできるんだ」
であれば自分にもできるはずだ。
アンジェはゼクスの手をまじまじと見つめながら、頭の中でイメージする。
「行くわよ」
腕に力を込める。アンジェの右腕がバキバキと音を立て変化し始めた。
瞬間、頭の中に警報が鳴り響いた。
「がっ、あぁぁぁっ!!!」
痛みが全身を駆け、アンジェは苦しそうに唸る。
「だ、大丈夫!?」
「ぐ、ぐっ……!! だい、じょう、ぶ!」
叫ぶのを堪え、両目をきつく閉じる。微かに瞼を開けると右腕が歪に肥大化していた。
「マズい……」
ミスをした。変化している光景を常に見つめ、微調整しつつ生成しなければ形にならないのだ。
幻術と違い調整が非常に難しい魔法であるということを、激痛に苦しみながら理解した。
目を開いて集中する。巨腕を人の形にし白銀の毛を生やす。五指を巨大な爪に変化させた。
「うぉお!! すげぇ!! アンジェ先生天才だろ!」
ゼクスが興奮した声を出した。
なんとか同じような形を作ったが、全身から噴き出る汗が止まらない。
「……これ……無理……ね」
「え?」
「維持が……できない……」
変化させた後は組織構造を維持し、慣らさなければならない。そうしないと全身に駆ける激痛が消えない。
その時だった。爪が地面に触れた。
瞬間、頭に雷をぶち込まれたような感覚に陥った。
「ぐあぁああああ!!!」
神経がぐちゃぐちゃになっているせいか、痛覚が敏感になっているのか。激痛が全身に走る。
限界だった。
腕が音を立てて元に戻っていく。これも想像しながら、調整しながらの変化だった。
自分の腕になんとか戻したものの、痛みが残っている。
息を切らすアンジェは力の無い笑みをゼクスに向けた。
「……前途多難ね」
「……復讐って、時間がかかるもんだよ」
かくして二人の修業が始まった。
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