第5話「正論」

 森の中を1時間くらい歩いただろうか。

 重いドレスを身に纏いながらも、アンジェは汗ひとつかいてなかった。


「着いたよ」


 少年が指差す方向にはコテージがあった。


「……あら。立派で素敵ね」

「だろ~! 母さんと一緒に作ったんだ」


 ふふんと鼻を鳴らした少年はコテージに入る。アンジェもそれに続く。


「ただいまー!」

「おじゃまし……うっ……」


 アンジェは顔をしかめた。

 綺麗な外観とは裏腹に中はゴミ塗れだった。床には食べ物のカスや魚の骨、何かわからない骨が落っこちている。おまけに食器も。


 暖炉前の談話用テーブルの上には本が山積みで置かれていた。魔導書だ。背表紙でわかる。

 どれもこれも埃を被っていた。何ヶ月も使われてないのだろう。


「……汚い家ね」

「文句言うなら帰っていいぞ!」


 目に角を立てた少年は台所へ向かう。


「適当に座ってて。メシ作っから」


 とりあえずダイニングテーブルの椅子に座る。ここの周囲は少し綺麗だった。

 天井の電球に明かりが灯る。


「魔力じゃなくて電力動作?」


 めずらしいと感心していると、少年がズイと、何かを差し出した。


「綺麗な食器これしかなかったけど使う? 使わない派?」


 持ち手に泥が付着したフィッシュスプーンに、一本欠けた三つ又のデザートフォーク。

 アンジェは渋面じゅうめんになりながら、スプーンを手に取り泥を拭った。


 しばらくして、食欲を刺激するいい匂いが鼻腔びこうをくすぐった。

 台所では少年がワタワタと動きながら食器に魚やスープを装っている。


「よし、できた!」


 テーブルに料理が並ぶ。先程釣った魚が中央に置かれ小魚が雑に焼かれて皿に盛られている。小皿に入れられたスープは野菜がゴロゴロしており、茶色の水に沈んでいた。


「えぇ……?」


 あまりの粗雑さを目の当たりにし、アンジェは不快感で顔を歪めた。


「いただきまーす!」


 少年は小魚を手に取り齧り付いた。油がテーブルに落ちる。

 汚らし食べ方だったが美味しそうだ。アンジェはスプーンを動かし、一番大きな魚の身を取る。


 アンジェは長く息を吐いた。魚には寄生虫がいるため、屋敷にいる時は処理された食べ物しか口に運んでいなかったのだ。これを食べるのは勇気がいる。


「二人で釣ったんだから全部食うなよ」

「そんなに食べられないわよ」


 意を決して口に運ぶ。魚臭いことくらいは覚悟していた。

 だが。


「……あ、おいしい」


 単純に塩で焼かれただけの魚が、アンジェの幸福度を上げた。

 次から次に口に運ぶ。小骨もなく食べやすい。

 スープを手に取る。こちらも舌を唸らせた。


「これ、何の油?」

「猪だよ。美味しいでしょ」

「食べたことがないわ」


 野菜もゴロゴロしていたが柔らかかった。

 思えばこの三日間、ろくに食べてなかった。昨日に至っては水しか飲んでない。


 異常な空腹のせいで脳が錯覚しているのかもしれないが、なんでもよかった。久しぶりの美味な食事に、アンジェは顔を綻ばせながら舌鼓を打つ。


 数分後、全ての皿が空になった。少年は魚の骨をバリバリと貪っている。


「骨残すの? 偏食家だな」

「獣人じゃないからね」


 口許を、少年に持って来てもらった布巾で拭く。


「なにそれ? どういう」


 少年が言葉を止めた。目を皿にしている。


「なによ」

「いや、食い方が綺麗だなと思って」


 アンジェの方には食べカスひとつ零れていない。

 アンジェは鼻を鳴らした。これでも公爵令嬢なのだ。所作には自信がある。


「そういやその服もだいぶ高価だよな。盗んできたの?」

「誰がそんなことするもんですか。私は……」


 言葉に詰まる。


「話せよ。適当に聞いてやるから」


 ぞんざいな言い方にムッとしたが、ポツリポツリと喋り始めた。


 もともと人間であること、突如獣人になってしまったこと、みんなから嫌われていること、そして殺されそうになっていること。


 話しているうちに、アンジェはヒートアップしていった。語気が強まり、拳を握る。


「突然私が不幸になったのを見て、全員こぞって責め始めたわ! 私より勉強も運動もできないくせに! 無能のくせに!」

「……」

「たかが水かけたり荷物持たせたくらいで何をあんなに怒るわけ? 気に食わない奴と話したくないから無視してただけなのに。気に食わない相手を意図的に無視したりなんて、みんなやってることなのに!」


 少年の目が細まる。


「そうよ。私は不幸になったの。獣人になって、嫌われて……殺されかけてる。どうして、どうして私がこんな目に合わなきゃいけないのよ!!」


 アンジェは拳をテーブルに叩きつけた。沸々と湧いていた怒りを放ったせいか呼吸が乱れていた。

 少年は、肩を上下させるアンジェに対し、冷ややかな視線を送り続けた。


「あんたの言葉を信じるとして。なんで獣人になったのかはわからない。けど不幸になる理由はわかる」

「……は?」

「あんたがそういう人間だからだよ」


 アンジェが目を見開いた。


「どういうことよ」

「わかんねぇのかよ。安全圏から人を傷つけまくってたくせに、いざ自分が傷つけられたら不幸だなんだと喚き散らしてさ。卑怯者のクズじゃん、ただの」


 口をつぐんでしまう。あまりの正論に何も言い返せなかったからだ。


「ま、釣りを手伝ってくれた礼はした。話も聞いた。結果、あんたとは一緒にいたくないって思った。だから出てけよ」


 アンジェは顔を伏せた。拳を握り、プルプルと震える。


「……なによそれ。なんで、魔物にまで馬鹿にされなきゃ────」


 顔を上げて言葉を止めた。

 少年が真剣な表情で手の平を向けていたからだ。


「聞こえたか? 人の声だ。こんな奥地に来る奴は観光客じゃない」


 少年の耳がピクピクと動く。


「鎧の擦れる音か。王都の兵士なら夜間行進には消音サイレントの加護があるはずだし、傭兵かな。あんた殺されそうになってる、って言ったよな?」


 食事を摂り血行がよくなっていたアンジェは、再び顔を青くした。

 このままじゃ殺される。それに屋敷にいた時より状況が悪い。


 この少年が傭兵に売り渡そうと動くかもしれない。


「よし」


 不安に思っていると、少年が立ち上がった。アンジェは顔を恐怖に染める。


「ま、待って────」

「ちょっと痛めつけてくるわ。あんたは絶対ここから動くなよ。床下に隠れてて」


 そう言って壁にかけられている黒いコートを手に取った。


「え、な、なんで」

「は?」

「だって、私のことを卑怯とかなんとか……」

「確かに言ったよ。仲良くもしたくない」


 けどさ。少年は口角を上げる。


「なにも殺されることはないでしょ。生きて反省して償うべきだと思うし。それにさ、あんたの親に対してムカついたから、八つ当たりしてくる」

「……え?」

「娘を捨てる親なんか、クソ以下だよ」


 吐き捨てるように言うと、少年はドアを蹴飛ばし、暗い世界に駆け出した。

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