第3話「破棄、廃棄」

 頭の中がぐちゃぐちゃになり混乱していたアンジェは、銀の甲冑を身に纏う兵士達が近づいてくるのに気づかなかった。


 背後から頭部を抑えられ、膝を強制的に折らされる。


 まるで罪人のように頭を垂れたアンジェは血塗れの口を戦慄わななかせた。


「ち、ちがっ……こ、これはいったい……」

「黙れ!! 喋るなバケモノッ!!」

「レイクアッドのご令嬢に化けるとは。その首叩き落としてくれる!!」


 兵士のひとりが腰に差したロングソードの刃を外気に晒した。


 アンジェが小さな悲鳴を上げ、周囲が騒然となる。ギルフォードは尻餅をつき、怪我の治療を受けていた。


「お、お待ちください! これは何かの間違いです!」


 父であるラスティの声が聞こえた。声の方に顔を向けると観客の中からラスティが姿を見せた。細身でピシっとした、赤色の宮廷服を着ていた。


 まだ30代でありながら苦労白髪が多い父は、真っ青な顔でアンジェに近づく。


「いったいこれは、どういうことですか!?」

「こちらの台詞です、レイクアッド卿!」


 声を荒げたのはギルフォードの隣で膝をつき、回復魔法を使っていたオズワルドだった。

 ギルフォードの従者にして彼の祖父である男は、立派な白髭を揺らし、力強い目でラスティを睨む。


「人狼と王子を婚姻させるなど! 血迷いましたか!!」

「違うっ! 我が娘が人狼ですと!? そんなことはありえませぬ!」

「ではは何と説明する!?」


 オズワルドの人差し指がアンジェに向けられる。


「狼の顔にして人間の体! 明らかな醜い異形の魔物! 王子に噛みついたことがその証拠ではないか!?」


 ラスティはアンジェの前で片膝を折った。


「お、お父様……」


 アンジェが涙で濡れた顔を向ける。

 瞬間、ラスティは絶望的な表情を浮かべると顔を伏せた。


「大方このパーティに乗じて王子を殺そうとしたのでしょう!」

「やだ……」

「恐ろしい……」

「魔物め……」


 向けられる視線と言葉は鋭利な刃物の如く、アンジェに突き刺さった。


「なんということだ……」


 ギルフォードがゆっくり立ち上がった。


「お、王子! これは、これは何かの間違いなのです! 弁明を!」

「……聞く耳を、もちません。レイクアッド卿。私は危うく、獣の餌になるところだったのだ!!」


 父の説得を無視しギルフォードは兵士から剣をふんだくると、アンジェの眼前に切先を向けた。




「令嬢……いや、人狼、アンジェ・レイクアッド。そなたとの婚約、今この場で破棄させてもらう!!」




 憎悪に塗れたその言葉は、まるで死刑宣告のようだった。


「ち、違う。違う! 違うの、ギル! 話を聞いてっ!」

「っ、このバケモノを摘まみ出せ!! この場で殺すな! ここを血で濡らすな!」

「違う、私は、私は人狼なんかじゃない! お父様! シルフィー! 信じて!!」


 アンジェは必死に訴えた。

 だが誰もアンジェをかばおうとはしなかった。


 唯一、シルフィーだけが。


「待って! アンジェ様を連れて行かないで!!」


 彼女だけが、必死に声を荒げていた。




ααααα─────────ααααα




 その場での極刑は免れたアンジェは、父の力で何とか屋敷に戻ってこれた。

 だがパーティでの騒ぎは瞬く間に国内中に広がった。

 

 ラスティに向けられる誹謗中傷の数々。アンジェの学園での生活を暴露するような文言が出回り、レイクアッドの名はその価値を無くし始めていた。


 父と母、そして他国で王国直属親衛騎士である兄と、衣服の会社を経営する姉はに奔走した。

 だが「アンジェが人狼に変身し、王子に噛みついた」たという事実が覆せず、評価の回復は絶望的だった。


 パーティの事件から二日後、アンジェの学園退学が言い渡された。身分を偽り王子の命を狙ったとして。


「命を取られないだけマシだと思え」


 学園長の最後の言葉は怨嗟に塗れていた。アンジェは学園内で優秀な成績を収めていた魔術師だ。ゆえに看板に泥を塗られたようなものだろう。学園自体の評判も落ちることは避けられない。


 父の陰に隠れるように、黒いベールで顔を隠し、頭を垂れながら歩いていると。


「このっ……!!」


 バシャッ、と。水をかけられた。

 顔を少し上げると、そこにはボスコール家の娘がいた。


「バケモノめ!! 今までさんざん、私の虐めて!! ふざけるなっ!! どれだけ私がお前に頭を下げたと思ってるの!!」

「魔物の荷物持ちをやってたなんて、末代までの恥だ!!」


 荷物持ちの男子生徒がゴミを投げつけた。

 それに感化された、周囲の生徒たちが物を投げ始めた。

 アンジェに恨みを持つ者は罵声を上げながら。この騒ぎを楽しんでいるだけの野次馬は嘲笑と共に。


 ビチャビチャと飲み物や食べ物がかけられながら歩く。

 その時、頭に鈍痛が走った。


「うっ!!」


 石を当てられたのだ。黒いベールが外れ、アンジェの顔が晒される。


「うわぁああ!!」

「ひっ……!」

「魔物だ!!」

「なんで生きているんだ! はやく殺せ!!」

「王子を傷つけたバケモノだぞ!! 殺せよ!」

「殺して!! 二度と立てないように!」

「殺せ!! 殺せ!!!」

「殺せ! 殺せ!! 殺せ!!!」


 周りのすべてが敵だった。


「あ、あぁぁ……あああ……」


 アンジェは声にならない声を上げながら、涙を流し、学園を去った。


「いい気味よ、本当」

「死に様を見ることができないのが残念だ」

「旦那様と奥様が可哀想です。娘が獣だったなんて」


 使用人たちも口々に罵りの言葉を残し、屋敷を去っていった。一部は残ろうとしたが、父の言葉で去ることを余儀なくされた。


 家でも学園でも。アンジェを気に掛ける者は誰もいなかった。

 当然だ。口を開けば侮蔑の言葉をかけ暴言の数々を吐き苛立ちを隠さず手を挙げ、産まれを馬鹿にし、傷つけていたのだから。


 獣になってから三日。まだ三日しか経ってない。なのに遠い昔のように思える。


「は、ははは」


 ベッドの上で両膝を抱えながら乾いた笑い声をあげる。

 寝れば姿が戻るかもしれない。アンジェは現実から逃れるため、体を横にしようとした。


 だが玄関から聞こえて来たドアの開閉音と、


『ただいま』


 疲れ切った父の声が、アンジェを現実に引き戻した。


 アンジェが住む家は、広い庭を完備している4階建ての豪華な邸宅だ。幼い頃はここが城だと信じて疑わなかった。

 4階にアンジェの部屋がある。つまり、1階の音など聞こえるはずがなかった。しかし、


『暗いな』

『誰もいないからですよ。メイド長も身を隠すよう指示しているので』

『そうか……そうだったな』


 頭から生えた獣の耳の力なのか。両親の声も足音も全てが聞こえていた。


『なんでこんなことに』


 母、エイダの声だ。語尾が震えていた。


『学園側の方は』

『どうにもならん。魔物が学園に通えるわけがないだろう』


 この世界には魔物という異形のバケモノが存在している。獣人じゅうじんはその中に分類される。人を食らう畏怖の生き物として人々には認知されている。


『ただ、ユービック王家との話は済んだ。すまなかった。別室で待機させてしまい』

『構いません。それで、どうなったのですか』


 ラスティは溜息を吐いた。


『このままだと我々は王都にすら入れん』

『それは────』

『そうだ。爵位の剥奪を宣言されたようなものだ。だがそれを避ける方法を提案された』

『それ、は?』

『アンジェを死者として扱う』


 アンジェは目を見開いた。


『アンジェは昔、いや、つい最近でいい。「獣人に殺されていた」ことにするのだ。それで獣人が娘になりすましていた、という話を公表する』


 母は黙っていた。次に何を言うのか、わかっていたからだ。


『アンジェを王都に連行し、人々を騙し王子を傷つけた魔物として衆前しゅうぜんで処刑する。それを行えばギルフォード王子を騙していた罪も不問にすると言われた』


 処刑を行えば誰も罪に問われず、レイクアッドの名を守ることに繋がる。


『だから傭兵を雇うことにした。そしてアンジェを────』


 アンジェはそれ以上先の言葉を聞きたくなかった。 

 言葉を遮断するようにベッドから飛び降りクローゼットを開けた。


「死にたくない……」


 ここにいたら殺される。着替えて逃げなければ。

 いや悠長に着替えている場合ではない。


「死にたくない……!!」


 バルコニーに飛び出すと、アンジェは手摺に手をかけ、ふわりと乗り越える。

 澄んだ夜の風を浴びながら、人狼が空に舞った。

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