第6話 数珠繋ぎ殺人の本当の怖さ
初田和代が住むのは、兵庫県東端の町だった。
通常現場のプールからは、車で三十分もかからないほどの距離だ。しかし、最短距離でそこに向かうための道路は、午後三時ごろから夕方にかけてとにかく込み合う。国道のため仕方がないが、そこから脇道に逸れたところで車幅が狭くスムーズな移動が難しいため、結果的にどちらの道も渋滞するようになっているのだ。
日が傾いてくる。道路がオレンジ色に染まり、車内にもどこかもの悲しげな空気が流れる。
「今日は少し遅くなりそうだな。初田和代に連絡して、予定を明日に変更してもらおう」
白水がそう提案する。葵が和代の逃走の可能性を考えて反対すると、金田がそれに対して、少し語気を荒めて反論した。
「初田和代が逃走するなんてことは、万に一つもあり得ない。彼女は逮捕されたがっている」
「なに言ってるんですか。詳しいことはまだ分かりませんが、おそらくターゲットの殺害は完了しました。それなら、警察に捕まらないように逃走する方が自然です。それとも、まだ他にもターゲットがいるということですか。なら尚更、逮捕されないように逃走すると思いますけど」
「通常の殺人犯だったら、そうかもな。だがこれは、数珠繋ぎ殺人だ」
「それとこれとは話が違うんじゃないですか?」
「いや、同じだ」
金田の言い分が納得できない葵は、更に反論して和代の所に向かうべきだという結論を出させようとした。だがその考えは、涙目になりながら強い語気でそれを止めようとする金田を見て、地平線の向こうに消え失せた。
葵が押し黙ると、金田は目元を拭い、優しく丁寧な口調に戻してから葵に問いかけた。
「三神葵さん、あなたはこの事件の……いや、数珠繋ぎ殺人の捜査に疑問を抱いているんじゃないですか? 元々悪人である被害者たちを成敗するための殺人。それを止めるのが良いことなのか、悩んでいるんじゃありませんか」
「そ、それとこれとは話が別です」
「あなたが今早く初田和代から話を聞きたいのは、早急に動機を解明し、自分がこの事件を解決することが正しいのかどうかを知りたいからではありませんか」
「そんなことありません」
「あなたの捜査を初めて見るので、これはただの想像です。が、普段の捜査ならいくつかの聞き込みをした時点で次に狙われそうな人間が分かり、その人たちの共通項を探ることで、結果的に動機と犯人が分かる。そんな風に解決してきたのではないですか」
「そうですよ。何か悪いんですか」
「いえ、答えに辿り着く道筋は人それぞれでいいと思います。でも、その方法で事件を解決することであなたは悩んでいる。それは確かです」
金田の鋭い洞察力には、葵も脱帽するしかなかった。まだ初対面から数時間しか経っていないのに、ここまで心を見透かされるものなのかと驚いた。それと同時に、これまで自分が逮捕した犯人たちの気持ちが、少しだけ分かったような気がした。
「確かに、私は悩んでいます。数珠繋ぎ殺人を解決することで救われるのは悪人で、非難されるのが弱者だからです。これが、本当に正しいことなのでしょうか」
「つまり君は、理由があれば人を殺してもいいと言いたいんだね」
金田の言葉に、葵の心は大きく抉られた。
自分でも認めたくなかったこと。それを正面から指摘され、動揺した。
「そして、悪人なら殺されても構わないと――そう言いたいんだね」
車内が静まり返った。
あの空気の読めない西田ですら、窓の外に広がるオレンジ色の風景を見ながら、感傷的な思いに浸っている。白水は気まずさからか、渋滞で進みもしないのに前方から一切視線を動かさず、鼻歌を歌い始めた。
「僕に言わせれば、君は贅沢な悩みを持っているよ」
「贅沢? なんですか、それ。人が真剣に悩んでいるのに、茶々入れる気ですか」
「そう思うんなら、そう思ったらいいんじゃない」
「はあ。あなたに会わなければよかった。そうすれば、こんなに幻滅することもなかったのに」
「……いい加減さ、その本質から目を背ける癖、やめたら?」
金田の思いがけない言葉。
葵の心は、激しく反発した。声を荒げ、時には金田の腕を殴りながら反発した。だが、誰も止めようとしなかった。金田も、小さく頷くだけだった。
「なんですか、私の何が間違っているって言うんですか! 私のことなんて何も知らない癖に。私が見捨てたせいで、私の同級生は死んだんです。数珠繋ぎ殺人だって、私が見捨てたら、また人が死ぬかもしれない。仕方ないじゃないですか。一度関わっちゃったんだから、もう止まれないじゃないですか。間違ってると思っても、止まれないじゃないですか」
これまで誰にも話せなかった、葵の本音。
すべてを吐き出した葵の金田を叩く力は急激に弱まり、泣きじゃくりながら、金田に身を委ねた。金田は包み込むように手を回し、葵を抱きしめた。
「あなたは、何も間違ってないよ。一度始めたら、どれだけ間違っていると思っても、どれだけ自分が嫌になっても、止められないのは僕も同じだ。でも、君のその悩みが、僕にとっては羨ましいよ。できれば、そのまま悩み続けてほしいとさえ思う。それは、君が人を救えている間にしか悩めないことだから」
葵は静かに金田の言葉に耳を傾けるが、その意味するところは、この時点ではよく分からなかった。さっきまでの葵なら、ここで話を遮っていたかもしれない。
でも今の葵は、その話の続きを聞いてみたいと思った。
「僕はこれまで、いくつかの数珠繋ぎ殺人を解決してきた。犯人逮捕の現場に居合わせた。その時に、犯人に必ず言われる言葉があるんだ。――もっと早く捕まえてほしかった、ってね」
葵にとっては違和感のある言葉だった。自分が人生をかけた復讐を邪魔されて、なぜそのような言葉が出てくるのか、まるで理解できなかった。
「僕はその言葉が気になって、犯人に話を聞いた。その人はこう言ったんだ。最初は自分が恨む相手を殺すために、犯行を始めた。殺そうと思った人間の数だけ数珠を手に入れ、実行した。ことはうまく運び、捜査の手が自分に及ぶ前に全員を始末することができた。だから彼は、後は逮捕されるまでの時間をのんびり過ごそうと決めた。そんな時、ドアポストに投函されたんだ……あの黒い数珠が」
葵は目を丸くした。
犯人は入手した数珠をすべて使い果たし、復習を果たした。それなら、誰が何の目的で更に数珠を手渡す必要があるのか。
「数珠繋ぎ殺人を開始する時、犯人は必ずある人物に接触する。そいつは神の代行者と名乗り、犯人が頼んだ個数の数珠を手渡す。そしてそれと同時に、忠告する。この殺人は、途中で止めることができない。もし手元に数珠を持っていながら、一週間以内に何もしなかった場合は、あなた自身が死ぬことになる、と」
「じゃあ、数珠を送ってきたのは……」
「代行者。もしくは神と名乗る意味不明野郎のどちらかだと思う。そこから、数珠を受け取った彼の地獄が始まった。自分が死なないために、不本意な殺人を続ける羽目になってしまったんだ。結局彼は、十名以上の命を奪った。殺した相手の中には、自分が恨んだ相手の行きつけだったカフェの店員まで含まれていた。もう彼は、自分で止まることができなかったんだ。だから、自分を止めてくれる人を待った。それが、早く来ることを」
言葉が出なかった。これまで自分が悪人を救うということに悩むことができていたのは、まだ復習が果たされていない中で事件を解決できていたからだったのだと気がついた。
「君が事件を早期解決すれば、犯人たちを、君の言う弱者たちを、その地獄の日々に送らなくて済むんだ」
「でも、でも……」
「……今の話を聞いて、君は数珠繋ぎ殺人の本当の怖さが分かったかい?」
「止まれない……ということでしょうか」
「そう。それはもちろん、さっき言ったように数珠が届き続けるからということもある。だがもう一つ、より重要な理由もある」
「より、重要な理由」
「――この世界に、誰とも繋がりのない人間なんていないんだ。だから数珠繋ぎ殺人は、次のターゲットがいなくなるということがほとんどない。どれだけ薄くても、人は、誰かと関係を持って生きている。人と人の縁が切れることは、無い」
「天涯孤独の人だっているんじゃないですか」
「……僕は依然、数珠繋ぎ殺人の果てに自分の母親を殺した十五歳の少女を追ったことがある。あの時は事件が立て込んでいて、僕も警察も混乱していた。だから中々、その子のしっぽを掴むことができなかった。ようやく掴んで、彼女の家を訪れた時には……彼女は母親の上に折り重なる形で仲良く事切れていた」
「え、どうして?」
「母親は天涯孤独だった。旦那の暴力が原因でほとんど家からも出なかった。だからもう、母親と縁があるのはその子だけだったんだ。それに気付いたから、だろうね」
「そんな……そんな恐ろしいことって……」
「どれだけ周囲から孤立した人間を殺害しようと――自分が殺したという繋がりは残るからね」
静寂に包まれた車は途中で折り返し、来た道を戻っていった。
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