第5話 コーチへの聞き込み
大川栄慧の競技人生を支え続けた陰の立役者、
そんな彼女が、今や殺人事件の容疑者だ。それも、被害者はその支え続けた選手だと言うのだから、運命の悪戯というものは恐ろしい。
「初めまして、大小不揃いな名探偵さんたち。先ほど白水さんという方がいらっしゃった時に、あなた方の話はお聞きしました」
どうやら葵たちが金田と行動を共にしているため、白水は空気を読んで別行動をし、その上先回りして事情を説明してくれていたようだ。最初に公子に話を聞きに来ると踏んだようだが、随分と予想が外れたものだ。
「話が早くて助かります。では、早速お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「あら、あなたが話すの? 駄目よ、そこのお嬢さんから質問しなさい。あなた、この子たちの保護者でしょ。保護者が前面に立ってどうするの。そっとサポートして、陰から成長を見守らないと、彼女は育たないわよ」
「え、いや。私はこの子たちの保護者というわけでは……」
「黙りなさい。一緒に行動するなら、今の保護者はあなたです。さあ、早く彼女と交代しなさい。あなたに訊かれても、私は何も答えませんから」
そう言うと公子は、そっぽを向いた。その後は金田がどれだけ呼び掛けても反応が返ってこなかったので、金田は不満げに頬を膨らませ、葵の方を睨みつけるようにしながら渋々後ろに下がった。
葵は一抹の気まずさと不安を覚えながらも、一歩前に出た。
「では、まずは事件のことについて覚えていることをお話しください」
「大方は他の方からすでに聞いていると思いますが、私は午前八時の到着から大川を発見するまでの間、大和川さんや田村さんと一緒に打ち合わせをしていました。私は途中トイレで席を外したし、田村さんも遅れてきたからアリバイとしては微妙かもしれませんが、私から話せるのはそれだけしかありません」
「大川さんのことを発見した時のこと、覚えている限り詳細にお願いします」
「午前八時三十分、大の遅刻嫌いである大川が打ち合わせに現れなかったことで私が不思議に思い、大和川さんたちにプールを見に行くことを提案しました。何か新たに事故の起こりそうなポイントを発見して対応を考えているとかなら、その場で打ち合わせしたほうが早いとも思いましたし。しかしプールに行ってみると、大川が力なく浮いていたんです。それに気付いた大和川さんが冷静に指示を出し、田村さんは事務所に戻って通報、私はプールサイドで待機。そして、大和川さんがプールに飛び込んで大川をプールサイドに引き上げ、私が心肺蘇生を行いました」
公子は淀みなく、これだけの詳細な証言を行った。前もって白水が事情を説明していたから、話す内容を整理しておいたのだろう。話が早くて助かった。
だが一方で、もし公子が犯人だとしたら、前もって事情を説明することで話の内容を整理する時間ではなく、嘘を考える時間を与えることになった可能性もある。
どちらの場合も公子は淀みなく詳細に話すことができるので、今はどちらとも判断することができなかった。供述内容にも、特にほかの二人の証言と矛盾する部分は無い。
「松本さん。あなたは今回の大川さんの一件、事故だと思いますか。それとも、事件だと思いますか」
「あら、随分単刀直入に聞くのね。初々しくてかわいい!」
「ありがとうございます。それで、どちらでしょうか」
「うーん、事件かな」
「それはどうしてですか」
「まずは、大川ほどの選手なら、たとえひどい二日酔いであったとしてもプールの中で溺れるなんてことはあり得ない、という理由が一つ。まあ、本当はどんな人間でも溺れる可能性が無いわけではないから、これは私のプライドの問題な気もするけど」
「なるほど。それだけですか?」
「……まあ、見透かされてそうね。隠すほどのことでもないから正直に言うけど、もしこれが殺人事件だとしたら、大川が殺される理由に心当たりがあるのよ」
そういうと公子は手帳に挟んであった写真を一枚取り出し、葵の方に差し出した。葵がそれを受け取って見てみると、そこには小学校高学年くらいの女の子が映っていた。裏を見てみると、初田愛と書かれている。
「この写真は?」
「初めてオリンピックで金メダルを取った時にも、大川は水泳教室を開催したのよ。場所は今とは違って、小さな市民プールだったけどね。そこで、事故が起きてしまった。その写真に写っている
「なるほど。その子の保護者に大川選手が恨まれていても、不思議ではないと」
「そう。当時は結構騒ぎになって、やれ救助が遅かっただの、緊急時の対応を打合せしてなかっただの、マスコミが散々にこき下ろしてね。そのおかげで初田さんのお母さんも随分と怒って、大川や私に詰め寄ることもあったの。初田さんとは前職の時に同僚だっただけに、あれは精神的にきつかったな。ま、大川の方はもう忘れてたと思うけど」
「どうしてそう思うんですか?」
「最近は、できたてほやほやの彼女にうつつを抜かしてたからね。ほら、アナウンサーの
「そうですか。ありがとうございました」
葵はそう言い、公子に背を向けた。今回は確かに必要な情報を聞き出したという手応えがあった。金田の方に目を向けてみると、まだ不満げに頬を膨らませたままだった。だが、特に何も言わず葵の後ろを追随しているところを見ると、今回の聞き込みには文句が無いようだ。
「さあ、次はどうするべきだと思う」
金田がそう葵に問いかけてきた。再び葵に捜査の主導権を渡し、様子を見ようとしているようだ。葵は少し考えたのち、大川選手の荷物を見るべきだと話した。
もし犯人が数珠を荷物に忍ばせたなら、その時何かを持ち出した可能性もあるのではないか。もしそうなっていれば、そこからなにか犯人に繋がる手掛かりを見つけられるかもしれない。そう考えたのだった。
「まあ、そういう待ちの姿勢も必要かもしれないね」
金田は少し不満げながらも、葵の指示に従うことにしたらしい。頬を膨らませている金田が、葵にはなんだか愛らしく見えてきていた。
そうこうしている内に捜査員に頼み、大川の荷物を見せてもらえることになった。かばんはピンク色で、『M・H』と刻印された木製のキーホルダーがついていた。
中身は実に少なく、瞬時に水分を吸収するセームタオルが大小一枚ずつ、それに水着やキャップなどの水泳用具が一式。それに、財布だけだった。
「このキーホルダーって、まさか彼女の名前? あぁ、まじか。橋本アナウンサー好きだったのにな。俺というものがありながら、あんな奴のところに行くなんて」
「しょうもないこと言わないで」
西田がかばんに着いたキーホルダーを片手に嘆くように言うと、葵が後頭部を叩いた。二人にとってはいつもの光景だが、金田にとっては初めての光景だったので、半歩ほど後ろに下がって静観していた。
「それにしても、ミニマリストってやつだとしても、荷物少なすぎないか?」
「いいところに気付いたわね、西田。私も物凄く違和感を感じる」
「ああ、葵さんが何を言いたいのかは僕にも分かるよ。きっと、スマートフォンが無いということだよね」
「ええ。現代人にとって、スマートフォンは必須のアイテムのはずです。財布があるなら、貴重品を松本コーチに預けていたというわけでもないでしょうし」
「葵、スマホ持ってないじゃん」
「余計なことには気づかなくていい」
「大川選手の荷物の中にスマホが無いということは、犯人が持ち出したということか」
「おそらく」
葵と金田が唸り声をあげなら天を仰ぎ、事件についてあれこれ思考していると、西田が声を上げた。
「とりあえず、一旦この事件の謎を整理します。まず、なぜこの施設内には二つの数珠が存在するのか。そして、大川選手に筋弛緩剤を打ち込み、プールに投げ入れた犯人は誰か。最後に、大川選手のスマートフォンを持ち出した人物とその理由は何か。これくらいでしょうか」
「いや、まだ最大の謎が残ってる」
「え、どういうこと葵? 最大の謎って」
「私にしか分からない、最大の謎」
「なにそれ?」
「もしこれが本当に数珠繋ぎ殺人なら、次に狙われる人間は誰か」
「え、まさか誰にも何も見えないの?」
「ええ。この施設内にいる人、全員に手が視えなかった」
葵がそう言うと、金田が自分の両手を葵の目の前に差し出した。手を何度も開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し、挑発するように葵の顔を覗き込んだ。
「なにしてるんですか」
「手が見えないっていうから、ちゃんと見せてあげようと思って」
「そういう意味じゃありません。私はこれから災厄が降りかかる人間の頭上に、血で染まった手が見えるんです。それを使って数珠繋ぎ殺人の次のターゲットに大体の目星をつけて、捜査に役立てているんです」
「へえ。三神葵は特殊能力を持っているっていう噂は本当だったんだ。それもそんなに便利な……これは、数珠繋ぎ殺人の最終兵器と言われるわけだ。じゃあ、これまで結構数珠つなぎ止められてきた感じ?」
「まあ、一応。一件目で防げていると思います」
「……なるほど、ね」
「なんですか?」
「いや、別に」
そんなやり取りをしていると、金田のスマートフォンに着信が入った。電話は富田林刑事からで、あの黒い数珠の送り主に話を聞くことができたということだった。その報告を聞いた金田と葵は、次に初田愛の母親である
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