第3話 第一発見者の話
大型レジャープールの施設内でオリンピックの金メダリスト・大川栄慧が溺死し、更衣室の荷物からはあの黒い数珠が発見された。これだけでも殺人事件の疑いを持つに値するが、体内から筋弛緩剤の成分が検出されたとの報告があり、その疑いは確実なものとなった。
何者かが大川選手に筋弛緩剤を投与し、溺死することを分かっていながらプールに投げ入れた。これはれっきとした、殺人事件である。
「金田さん、今のところのあなたのお考えは?」
本題に入る前の前置きが長いことでお馴染みの富田林刑事が、珍しく単刀直入に金田に意見を求めた。金田はしばらく唸った後、まだ分からない、と一言だけ言った。いくら名探偵とはいえ、この事件概要が分かった段階では何も分からないだろう。そのことは、葵も同意見だった。
「三神葵さん。私は一度、あなたがどのように事件を調べるのか見てみたいと思っていたんです。なので今回は、この超絶名探偵で誰もが知る金田一ではなく、まだ知る人しか知らない三神葵さん、あなたに捜査の主導権を取っていただきたい」
金田が大仰なジェスチャーをしながら、ナルシスト全開でそう言った。
「ああ、分かりました。とりあえず、第一発見者だという職員さんに話を聞きに行きましょう」
「ふむふむ、なるほどなるほど。僕も同意見だよ」
金田が何かを話す度、葵の中の金田の憧れが音を立てて崩れていった。
「でも、私たち子どもが最初から話しても相手にされないでしょうから、金田さん。最初に事情を説明して、場を温めてください」
「名探偵が前説なんて、扱いが雑じゃない?」
「あ、はい。私が大川選手を発見した
葵と金田、西田の三人が、第一発見者が待機しているという施設内の一室に入ると、中で座って待っていた人間が突如立ち上がり、自己紹介を始めた。金田は大慌てで腰を降り、目を細めて名札をよく見ながらフルネームで呼んだ。
「あ、これはご丁寧にどうも。えっと……
「あ、いや、これはその……
大和川が照れ臭そうに、右手で頭を掻く。どうやらこのやり取りは、大和川にとっては既視感たっぷりなようだ。だからだろうか、名前を間違えられたからといって苛立ちを感じている素振りはない。
「ホープさん、でしたか。これはこれは、なんというか、その――」
金田が取り繕おうとすると、西田が話に割って入った。
「希望と書いてホープと読むなんて、滅茶苦茶イカした名前ですね!」
「え、ああ。そうですか? 大体の人は変な名前だと言うのですが」
「なに言ってるんですか。こんな格好いい名前はそうそうとあるものじゃありませんよ。うん、何度見てもイカしている。これは、俺の将来の息子の名前候補にランクインだな。うん」
西田が顎を手でさすりながら、満足げな顔で頷いている。本当にその名前が気に入ったらしい。反対に、名前を褒められた大和川は困惑の表情を浮かべている。それは、西田に自分の名前を褒められるという、あまり経験のない体験をしたからではなかった。
「ところで刑事さん、この子どもたちはいったい何者なのでしょうか。事件と何か関係が?」
大和川が金田の方を見て尋ねた。どうやら大和川は、金田が捜査員の一人で、事件に関係する参考人として葵と西田を連れてきたと思っているようだ。
「あ、我々は刑事ではありません。警察関係者ではありますが、警察の職員というわけではありません。強いて言うなら、そう。名探偵です」
「え、そんな古臭くてダサい格好をした人が名探偵? 何の冗談ですか。コスプレなら、ハロウィンの渋谷にでも行ってください」
「あ、いや。本当のことですよ。ほ、ほら、金田一って名前をテレビで聞いたことあるでしょ」
「テレビ見ないので、あなたのような時代遅れの人知りません」
「ひどくない!?」
「そんなことより、その子ども二人は誰なんですか」
「だから、探偵です」
「え、そんな見た目で探偵なんて。これがまさに、リアル名探偵コナ――」
「それ以上はよくない。ていうか、そっちは簡単に信じるんだね」
その後も金田が根気よく説明し、何とか大和川は事態を飲み込んでくれた。
というよりは、話を聞くのが煩わしくなったという風が正しいだろう。とにかく大和川が静かになったので、金田は葵に質問するよう促した。
「大和川さん、あなたが大川選手を発見した時のことを詳しくご説明いただけますか」
「はい。この施設のオープンは午前十時からなのですが、大川選手は念入りに準備したいからと言って、午前八時にこちらに来られました。そして五十メートルプールに一人で入り、事故が起きやすい場所やそれを予防するための方策を考えていました。ただ、午前八時三十分に予定されていた打ち合わせの時間になっても一向に現れる気配がなかったので、プールを見に行ったら、静かに浮かんだままの大川選手を発見しました」
「なるほど。大川選手は一人でこちらに来られたのですか」
「いえ、コーチと二人で来られました」
「そうですか。では、なぜ一人でプールに入ったのでしょうか。事故を予防するための準備なら、より多くの人の目で確認したほうがいいんじゃないですか? それこそ、そのことも打ち合わせないように含まれているべきでは?」
「もちろん、含まれていました。ですから、事前にお渡しした資料で、緊急時の対応についてはお知らせしていたんです。それで了承を得ていたのですが、今日になって突然、直接目で確かめたいと仰ったんです。だからコーチと我々は先に打ち合わせを初め、三十分後に大川選手が合流するという流れになったんです」
「なるほど。大川選手を発見した時は、現場に他に誰かいましたか」
「いえ。大川選手を探しに行った私と上司、大川選手のコーチ以外は誰もプール内にいませんでした」
「その三人の、その後の行動は?」
「上司は大急ぎで事務所に戻り、救急車を要請しました。私はプールに飛び込んで大川選手をプールサイドに引き上げ、コーチは心肺蘇生を試みました。その後は救急隊や警察の方々が来られて、今に至るといった具合でしょうか」
「なるほど。分かりました、ありがとうございました」
葵がそう言って席を立つ同時に金田が入れ替わりでその開いた席に座り、話が終わったと思って油断し、大きく背伸びしている大和川に質問を浴びせた。
「午前八時から、あなた方は先に打ち合わせをしていたんですね」
「え、あ、はい。そうですが」
「何処で打ち合わせを行ったのですか」
「この部屋です」
「なるほど。それではその打ち合わせ中、誰か部屋から出た人間はいますか」
「ええ。コーチが途中でお手洗いに行きました」
「どれ程で戻ってこられました?」
「五分ほど、でしょうか」
「そうですか。他の人は出ていないんですか」
「はい。私はずっとこの部屋にいました」
「なるほど。他に気になったことは?」
「えっと、些細なことでも構いませんか。僕の上司である田村が、十五分ほど遅れて打ち合わせに参加したんです。時間には厳しい人だから、これまで遅刻しているのを見たことが無かったので、少し気になりました」
「そうですか。ご協力感謝します」
そう言って金田は、一人で部屋を出た。
葵と西田が金田に続いて部屋を出ると、金田が真っ直ぐに五十メートルプールに向かって行くのが見えた。その歩き方には、少し違和感がある。足音をたてないように細心の注意を払いながらも、最大限急ぎ足で歩いているようだ。
二人は走って後を追い、一緒に五十メートルプールに入った。
「はあ、はあ。金田さん、急にどうしたんですか」
葵が問いかけるが、金田からの返答はない。ただ左手につけられた金色の腕時計をじっと見つめ、静かに佇んでいる。微動だにしない。
「あの、金田さん? なにか分かったんですか」
「三神葵さん。あなたには少し失望しました」
「え、どういうこ――」
「あなたは先ほどの聞き込みで、打ち合わせ中に部屋からコーチが出たことや上司が遅れたことを聞き出さないまま話を終えようとしました」
「そ、それは。確かに私はまだまだ未熟だと思いますけど――」
「技術の問題ではありません。あなたはどこか、本気でこの事件を解決しようとしていないように見えます。本気で解決したいなら、ここからあの部屋に向かった時点で、その距離がかなり近いことを気に留めているはずです。そしてそこで打ち合わせが行われたことを知ったら、誰か部屋から姿を消した人間がいないか、当然気になるはずなんです。しかしあなたはそれを気にかけなかっただけでなく、そもそも打ち合わせが行われた場所すら確認しなかった」
金田が葵の方に目を向ける。
金田の言葉に、葵はぐうの音も出なかった。まだ数珠繋ぎ殺人の捜査が誰かに役に立つのか答えの出ていない葵は、その解決に全力で取り組んでいるとは言えなかった。金田はたった一回の聞き込みで、そのことを見抜いたのだ。さすがは名探偵、といったところだろうか。
「今、時間を計ってみました。あの部屋からプールまでは早足で一分三十秒程度の距離です。つまり、あの部屋を五分以上抜け出したコーチにも、その五分間の間誰にも会っていないあの大和川という職員にも、そして遅れて現れたという上司にも、全員に犯行が可能だということです」
葵は心を見透かされた動揺を感じながらも、少しだけ安心していた。
ようやく金田の名探偵らしい言動が見れたからだ。さっきまでの金田だったらあまり信用できなかったが、今の金田なら、自分が不甲斐なくても早急にこの事件を解決に導いてくれる。
葵はそう確信した。
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