第2話 探偵の性

 白水が警察手帳を見せたため、駐車場の中に入ることができた。

「なんで非番なのに警察手帳持ってるんですか?」

「警察官たるもの、常に携帯しておかなきゃならんだろ。それに……」

 西田の質問に白水は言葉半ばで答え、葵の方に目をやった。葵にはその意図が分からず、つぶらな瞳で白水を見つめ返すことしかできなかった。

「……行く先々で事件が起こるのが、探偵のさがだろ」

 車内は静まり返りながらも、外は多数の捜査関係者が右往左往していて騒がしかった。駐車場を一周する規制線の周りには野次馬たち、施設内には既に入場済みだったお客や従業員であろう人々の姿が見えた。

 何か良からぬことが起こったことは明白だった。

「俺が事情を聞いてくるから、お前らは車の中で待ってろ」

「いえ、白水さん。僕達も行きます」

「勝手に私まで巻き込まないでくれる?」

「じゃあ、葵だけ留守番で。この野次馬たちの好奇の目に晒され続けてね」

「早く行くよ」

 西田が葵への脅し文句を言い終えるころには、葵は既に車を降りて白水と共に施設内に入ろうとしていた。西田は大慌てで車を降り、後を追った。慌てすぎて途中何度か転んだが、膝を軽くすりむく程度で済んだ。

「あ、ダメダメ。部外者は入っちゃだめですよ」

 施設内に入ってすぐ、捜査員から制止を受けた。

 まあ、子どもを二人も連れた人が捜査員だとは思わないだろう。白水は警察手帳を示して事情を説明し、その捜査員に何があったのかを尋ねることにした。

「あ、大阪府警の。ということは、後ろの二人はあの噂の。これは、とんだ失礼をしてしまい、申し訳ございません。私は、所轄の富田林次郎とんだばやしじろうです」

「すごい人だかりだけど、何か事故でもあったの?」

「いやー、猿も木から落ちると言いますか、河童の川流れと言いますか。こんなこともあるもんだなと驚いています」

「君、もっと要領よく話してくれないかな」

「あ、すいません。本題に入る前の前置きが長いことが私の悪い癖で、よく母親からも怒られたものです。小学生の頃はお前はなにが話したいのか分からないと言われ、中学生の頃には――」

「で、本題は」

「あ、ああ。またまた失礼しました。実は本日、このプールにあの有名水泳選手の大川栄慧が、施設内の五十メートルプールで水泳教室をやる予定だったんです。大川選手は朝から現地入りしていて、五十メートルプールで準備をされていたそうなんですが、打ち合わせの時間になっても一向に姿を現さなかったので、職員が様子を確認しにプールの中に入ったんです。そうしたらなんと、プールの真ん中に浮かぶ大川選手を発見したんです」

「え、オリンピックの金メダリストが溺死したってのか」

「はい。詳しいことは司法解剖してみないと分かりませんが、状況的に見れば完璧に事故ですね。一応施設内にいた全員に話を聞いて、事故と事件のどちらでも対応できるようにしています。まあ、あの人も来たので大丈夫だと思いますが」

「あの人?」

「ああ。大川選手の大ファンだそうで、忙しい中予定を縫って会いに来たそうですが、まさか最初で最後の対面になるなんて。探偵が行く先々で事件が起こるなんて、漫画や小説の中でのご都合主義的な展開だと思っていましたが、案外本当かもしれませんね」

 富田林の話を聞いた葵は、真っ直ぐ五十メートルプールに向けて駆けだした。その口ぶりから、そこに誰がいるのか、葵には一点の曇りもなく分かったからだ。西田と白水も急いで葵を追いかけるが、獲物を見つけた獅子の如くひた走る葵の背中に近づくことはできず、どんどん距離が離れていくばかりだった。

 そうして葵は、いの一番に現場に到着した。現場は大きなガラスの扉で隔たれていて、その扉の両脇には捜査員が立っている。葵はその扉を開けようと近付いたが、捜査員の制止を受け、あわや追い出されそうになった。

 そこに白水と西田が何とか間に合い、白水が事情を説明して事なきを得た。

「いきなり走り出してどうしたんだよ、葵」

「この先に、クイズの答えがある」

「え、もう犯人分かったの?」

「違う。私は事件のことをクイズなんて、そんな茶化した言い方しない。そうじゃなくて、ここに来るまでの車の中でやったクイズの答え」

「あ、葵の憧れの人ってやつ? え、警察関係者なの」

「あんたって、鋭い時とバカな時の差が激しすぎるのよね」

「えへへ。そんなに褒めるなよ」

「一ミリも褒めてない」

 西田に言葉のナイフを一突きした葵は、期待に胸躍らせながら扉を大きく押し開いた。目が眩む。

 施設内はかなり最高に気を遣われているようで、屋根はガラス張りだった。そこから夏の容赦のない日差しが降り注がれるため、プールサイドはもはや蒸し風呂と化していた。プールサイドの幅は広く、二十人程度が日除けできるテントをおいても、通行には困らなさそうだった。

 それだけ広いうえに、プールの水に跳ね返る日差しで眩しかったため、葵はお目当ての人をすぐには見つけることができなかった。

「どこ、どこにいるの」

 葵は目を細めて、プールサイド全体に目を配った。やがてその明るさに目が慣れてきて、遂に葵と正反対の位置にお目当ての人がいることに気が付いた。

 葵は嬉しさのあまり、思わず走り出した。

「あ、コラッ! 誰ですか、そんなに全力でプールサイドを走る人は。危ないでしょ。小学校で先生に教わらなかったのか、プールサイドは走っちゃダメって。ん? あ、君はまだ小学生だから教えられる前なのかな」

「中学生なので、その常識はもちろんわきまえています。ただ、あなたに会えたことが嬉しくて、つい走ってしまいました」

「これはこれは。あなたのような可憐な方に言われると、私の嬉しさもひとしおというものです。ところで、ここまで入ってこれたということは、君はものすごく忍び込むのがうまいということでしょうか。それとも、君があの噂の……?」

「えっと、どんな風に噂にされているかは知りませんが、数珠繋ぎ殺人の捜査協力者をしている三神葵といいます」

「やっぱり~? そうだよね、君が数珠繋ぎ殺人防御の最終兵器、三神葵さんだよね。そうか、そうだよね。やっぱりね。僕の予想通りだったよ。ただ一つ違うのは、君は僕が想像していたより若くて、可憐だったということだけだね」

 葵は、想像していた金田と今目の前にした金田の雰囲気の差に面喰い、頭が真っ白になった。

 金田はこの蒸し暑いのにトレンチコートを羽織り、もはや意味をなさないだろうと思うほど水面からの光の反射が強いのにトレンチハットを被っている。見た目は完全に探偵だ。それも、かなり昔にいた探偵のイメージだ。それこそ、シャーロックホームズや刑事コロンボのような風貌である。

 しかし、口調が軽い。あまりに軽い。これが名探偵の口調かと言われると、百人が百人違うというだろう。葵が見た密着番組で話している時は、もっと神妙な面持ちで、渋い声で話していた。その姿は、今の金田からは想像することも出来ない。

「あれ、どうしたの。あ、ひょっとして俺が想像していたより格好良くて、思わず見惚れちゃった感じ? それともこの圧倒的なオーラの前に、怖気づいちゃった感じ?」

 葵は、何も言葉が出なかった。しかし、心の中では答えが出ていた。


 お前のそのチャラ男みたいな話し方が、心底気持ち悪いだけだ。これ以上話すな。難しそうな顔をして、隅でパイプでも吸っていろ。


 そんなことを考えていると、一人の刑事が更衣室と書かれたプレートの下の戸を開け、金田の方に駆けてきた。

「まずいですよ、金田さん。こんなものが見つかりました」

 そういって刑事が掲げたのは、あの黒い数珠だった。

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