もう一人の名探偵
第1話 憧れ
小学生の頃、葵は自分のことが嫌いだった。自分の能力のことを恨み、自分自身のことを憎んだ。それは、あの交差点で三人の同級生を見捨ててから更に加速した。外に出るのが怖かった。学校に行くのが更に嫌になった。
そんなある時、テレビでとある人物の特集番組が放送されていた。金田一だ。無論、かの有名な探偵とは一切関係がなく、当然孫などでもない。日本語にも格別詳しいわけではない。誤解の無いようひらがなで書いておくと、その人の名前はかねだはじめである。
長らくその姿を表舞台に表すことなく陰で活躍していたが、五年ほど前から徐々に露出が増え、今では日本を代表する名探偵として世界中に名と顔が知れ渡っている。
いや、正確に言えば名前はそのはるか昔から知れ渡っていた。十年ほどイギリスの方で探偵稼業を行い、数々の難事件を解決したことで名を馳せていたのだ。シャーロックホームズの再来などとも言われた。それでも、彼の顔を知るものは誰もいなかった。当時一緒に協力した捜査員でさえ、手紙やメールでやり取りしたことしかないという徹底ぶりであった。
テレビで探偵や刑事が活躍するドラマが好きだった葵にとっては、金田は憧れの人物であった。そしてそんな人の素顔に迫ると題された特集番組は、葵をテレビにかじりつけにするのに十分だった。他の無気力ゆえの惰性で見る番組とは、一線を画していた。
「私が探偵になったのは、その必要があると思ったからです。探偵をしたかったわけでも、犯人を捕まえるのが格好いいと思っていたわけでもありません。ただ純粋に、そうしないといけない。それしか道は無いと、そう思っただけです。今では、その選択は間違っていなかったと思います。こうして私の持っていた能力で、皆さんを助けることができているのですから。やはり、自分の能力は誰かを助けるために使わないといけませんね」
特集番組の中で行われたインタビューで、金田がそう話していた。葵はそれを聞き、自分の能力が少しだけ好きになれた。金田と同じように、誰かを助けるために使いたいと、真剣に使い道を考えた。だが、そんな使い道が簡単に思いつくわけもなかった。
だから葵にとって、隠鬼の島の事件は転機となったのだ。あの事件で初めて能力を人の役に立てることができたし、その能力を肯定的に受け入れてくれる人にも出会えた。その上、白水がその能力を生きている人のために、人を助けるために活用しないかと提案してくれた。葵にとって、これ以上嬉しいことは無かった。
しかし、その感情が余計に葵を迷わせていた。被害者を救うことはできているものの、数珠繋ぎ殺人の捜査で誰かが心から笑顔になるところは一度も見ていなかった。被害者として助けた人間は過去を悔いて泣くか、あくどく笑うか、開き直るかだった。加害者は皆一様に泣いた。その理由は千差万別であっても、表情はほとんど同じだった。
この捜査で、誰かが幸せになるのだろうか。誰かが救われるのだろうか。
――悪人を助けて、金田のように大勢の人から頼りにされるのだろうか。
そんな問いが頭の中を駆け回り、葵の精神を揺さぶった。心のどこかで悪人を助けることが無意味だと思っているのか、頭脳の回転が鈍っているように感じられた。まるで事件解決を遅らせ、少しでも被害が拡大することを願っているかのように。
葵は混乱した。混乱して、混乱して、考えて、考えて、迷って、迷った。答えは、出ない。
「いつまで俯いてるんだ、葵。早く出発するぞ」
答えの出ない問いに頭を悩ませていると、突然西田がそんな風に声をかけてきた。葵が声のした方に視線を向けると、西田と白水が玄関の前に立っている。
葵は迷った。事件解決に向けて自分が全力を出せていないのに、捜査協力などしていいのだろうか。悩む。しかし答えは出ないし、事件は引っ切り無しにやって来る。
「ああ、また事件ね。はいはい、行きますよ。行けばいいんでしょ」
葵が不貞腐れながら靴を取り出そうと下駄箱に手を入れると、西田が困惑したように首を傾げながら言った。
「なに言ってるんだ。お前大丈夫か? ていうか、なんで手ぶらなんだよ」
「はあ? あんたこそ何言ってんの。私が捜査に行くときに荷物持ってたことなんて、今まで一度もなかったでしょ。そんな観察力だから、何一つ事件の手がかりがつかめないのよ、バカ」
葵が悪態をつくと、西田がため息をついた。
「ほら、白水さん。あの名探偵気取りの美少女(仮)が、今日一日の予定すら覚えていないんですよ。働かせすぎです。我々はまだ中学生。あなた方大人と違って、ブラック労働に耐えられる体力や気力などあるわけがないんです。ましてやあんなに重く、暗い現場ばかりですから」
「そうだな、俺も配慮が足りなかった。よし、正直さっきまではイヤイヤだったけど、今日くらいは俺がお前たちに付き合うよ。さあ葵さん、早く準備して」
「準備って、なにをですか」
「葵、本当に忘れたのか。今日は暗い事件のことなんて全部忘れて、子どもらしく、夏休みらしく、大型プールに行って思い出を作ろうって言ってたじゃないか!」
そう言われて、葵は初めて今日の予定を思い出した。そう、三日ほど前から西田に、三神神社から車で一時間ほど離れた場所にある大型レジャープールに誘われていたのだ。最初は葵の父親の運転で向かう予定だったが、二日前から体調を崩したため、急遽非番の白水が、運転手として招集されたようだ。
葵は大慌てで楽しみに準備したプールバッグを取りに行き、寝込んでいる父親にいってきますと言ってから、玄関に向かった。そしてさっき取り出しかけた運動靴を仕舞い、その横に置いておいたビーチサンダルを履いた。
「さあ、行きましょう」
そう言うと葵は肩で風を切りながら先頭を歩き、どこからか取り出した虹色に見えるミラー加工が施されたサングラスをかけた。
さながらハイウッド女優のようなその歩き方やファッションは、葵のイメージとはあまりにもかけ離れていた。
「ぶふっ、似合わねえ」
そう言った西田が強烈な金的を受け、行きの車の中で始終うわ言を言っていたのは、もはや言うまでもないことだろう。
「しかしお前ら、今日にしたってことはあの人に会いに行くんだよな」
レジャープールまであと少しの距離というところで、白水が後部座席に向かってそう話しかけてきた。もう西田も話せるだろうと判断したのだろうが、まだ西田はまともなコミュニケーションがとれる状態ではなかった。葵は葵で、今日一日は忘れようとした難題がまた頭をもたげてきていたので、白水の呼びかけに気付いたのは五回目の呼びかけの時だった。
「あ、ごめんなさい。何の話でしたっけ」
「だから、今日あのプールに行くってことは、あの人に会いたいんだよなって話だよ」
「あの人? ごめんなさい、何の話か全く分からないんですけど」
「え、知らないの? 去年のオリンピック、百メートル自由形で三大会連続金メダルを取った
「え、そ、そんなことが。どうしよう私、なんで調べなかったんだろう」
「お、やっぱり会いたいんだな。まあ、イケメンスイマーって盛り上がって――」
「そんな人が来るなら、今日絶対混むじゃん。最悪。あんまり泳げないかも」
「興味無いんかい!」
「はい。私が憧れを持っていて、会いたい人なんて一人しかいませんから」
その後の車内では、葵の憧れの人物を当てるクイズ大会が開かれた。葵の話題というわけで、西田も瞬時に体力を回復させて解答を始めた。しかしその回答があまりに的外れすぎて、白水と葵の爆笑をかっさらうことになった。
楽しい時間。葵は、本当にすべてを忘れることができていた。
だが、そんな楽しい時間はすぐに終わりを告げた。
レジャープールの駐車場に張り巡らされた、一本の黄色いテープによって。
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