第10話 災厄をもたらすのは誰?

 槍ヶ岳忍と園長の高松那々が連行された翌日、豊山幼稚園に本格的な警察の捜査が入った。その結果、忍が名指しした旧門司きゅうもんじ先生以外にも、四名の先生が常態的に倉庫へ園児を監禁しており、内二名は更なる暴力行為も認められた。大阪府警は疑いの固まった五名の先生全員を、傷害罪や暴行罪などの容疑で逮捕した。

 このことは、当然世間を騒がせた。新聞やテレビのワイドショーなどがこぞって取り上げ、真偽の確かめようがないような情報を垂れ流していた。その中でも特に問題視されたのが、理事長の存在だった。かつての事故を掘り下げられ、今回の虐待の黒幕ではないかとさえ言われた。当然理事長はそれを否定する声明を発表するが、それはマスコミの流す有象無象の情報たちの闇に沈んでいくだけだった。

「過去にはバスに園児を閉じ込めて、あわや大惨事。その後雲隠れして再度理事長になり、今度はバスへの閉じ込めに加えて虐待までお越しわけですから。これは、過去のことを何も反省していないということですよ」

 葵が見ていたワイドショーに出ているコメンテーターが、そんなことを言った。スタジオにいる共演者たちも皆、腕組みしながら偉そうに首を縦に振っている。

 彼らに何が分かると言うのだろうか。本当に悪いのは、理事長ではなく園長である。それは、警察も公式発表している。だがこいつらは、持論という名の妄想で何の落ち度もない理事長を悪者呼ばわりしている。それに影響を受け、最初は園長に向けられた非難の目が理事長に向けられることになった。それも、任命責任を問うようなまともな意見ではない。誹謗中傷、罵詈雑言。そんな言葉でも言い表せられないほどのものばかりだった。

「こちら、豊山幼稚園です。ご覧ください、壁一面にスプレーで書かれたと思われる落書きがあります。あ、見てください。今、二階の窓が突如として割れました。何者かによる投石があったものと思われます」

 今度は豊山幼稚園からの中継映像だ。事件の報道を受けて、幼稚園や理事長の自宅には嫌がらせが続いていた。それもこれも、マスコミが取材を通してどちらの場所も簡単に特定できるような映像を発信し続けたことが原因だ。

「随分不貞腐れているな、葵」

 葵の父が、背後から優しく声をかける。先ほどまでは境内の掃き掃除で席を外していたが、それを終えて戻ってきたようだ。

 父親に言われたことで、葵は自分の姿勢を見直してみる。足は大胆に胡坐をかいていて、時折震度三はあろうかという上下運動をしていた。右手では頬杖をつき、左手は強く握りしめた拳を太ももに叩きつけていた。葵は少し姿勢を正し、背後の父を振り返ることなく答えた。

「皆、何も分かってない。理事長は、本当は何も悪くないのに責められてる。こんなのおかしい。それに、さっき幼稚園の中継との時に窓ガラスが割られたんだけどね、それを見た記者の人たちはそこをズームで写すだけ。石が投げられた方向にカメラを向ければ、犯人の手がかりをつかめたかもしれないのに、無視した。なんだか、公開処刑でも見ている気分」

「……神道の世界には、禊や払いといった、犯した罪を洗い流すことのできる方法がある。けれどももう現実では、それを信じる人の方が少なくなってしまった。悪人は一生悪人だし、罪人は一生罪人。生まれ変わってやり直すなんて無理だと、皆そう思っている。そうなるとどうなるかは、神道の世界にも描かれている」

「生まれ変わりが無理だとみんなに思われたら、どうなるの?」

「かつて、アマテラスオオミカミ様の弟であるスサノオノミコト様は、神の国で暴れまわっていた。最初は生まれ変わりは信じ、アマテラスオオミカミ様も懸命に尽くした。だが、それが果たせないと分かった時、天岩戸に閉じこもった。見捨てたんだ。そしてスサノオノミコト様は、神の国を追放された」

「追放……」

「人間の本質は、いつまでも変わらないのかもしれないな」

 ワイドショーはいつの間にか、最近話題のスイーツ特集に切り替わっていた。


「豊山幼稚園、閉園するんだそうだ。まあ、あれだけの騒ぎになったら理事長がそのままで存続させるのは難しいだろうし、後継者に名乗りを上げる人間もいないだろうからな。当然と言えば、当然かもしれないが」

 葵と西田を乗せて走る車の運転席で、白水が言った。

 事件から五日たった今、世間の関心の大半はもう別の話に移っていた。有名若手俳優の不倫騒動だ。奥さんが許すとコメントを発表したのに、未だに世間はその俳優を責める言動で盛り上がっていた。中には、『そんなクソ旦那のことを許すから女が舐められるんだ。女性の社会進出に悪影響』という、どこかの元園長先生の発言のようなものまで見られた。

 葵はこの一週間程度の間ほど、スマホを持っていなくてよかったと思えたことは無かった。

「それにしても、なんで今更あの幼稚園に行きたくなったの?」

「見届けないといけないと思ったんです。あの騒動の発端である私が、その結末から目を背けちゃいけないって、画面の中で見て分かったような気になっちゃいけないって」

 白水は、チラとバックミラーに目をやった。そこには、葵の決意の目があった。

 車は制限速度ぎりぎりまでどんどん加速し、町の中を疾走する。葵の目には、そこにいつもと変わらない風景が流れているように見えた。いや、いつもと変わらない風景だと思いたかった。

 普段より小さな子どもを連れているお母さんが多いように思うのは、長期休みの影響だと。あの幼稚園で見た気がする子供が泣きながら歩いているのも、長期休みに家族ででかけて、些細なことがきっかけで泣いているのだと。

「どうして! なんでもうようちえんにいけないの? やだ! ようちえんにいきたいの!」

 そんな声が聞こえたのは気のせいだと、そう思いたかった。

 だが、豊山幼稚園についてその考えを尚信じられるほど、状況は良くなかった。幼稚園に行きたいと泣きながら訴える子どもたちが、大勢集まっていた。中には規制テープの下をくぐり、無理やり中に入ろうとしている年少くらいの子どももいた。

 保護者の声も聞こえてくる。この幼稚園が閉園して、子どもの預け先がなくなり、仕事を辞めざるを得なくなったこと。一日中子どもが泣きじゃくるので、尋常ではないストレスがかかっていること。そんな軽口で言われる愚痴も、今の葵には重くのしかかった。

 全員から、血染めの手が消えていた。子どもたちへ災厄をもたらすのは自分だったのだと、葵は確信をもった。


「そうか、分かった。ありがとう」

 白水は幼稚園周辺の喧騒から少し離れたところでとった電話を終え、葵と西田の元へ戻ってきた。葵は喧騒をただ茫然と見つめ、西田は少し涙ぐんでいた。

「なあ、取り込み中悪いが、二人にどうしても話しておかなきゃいけないことがある」

 白水がそう言うと、葵と西田は目元を擦った後、ゆっくりと振り向いた。だが白水は無言で、自分のスマートフォンを差し出した。葵と西田の二人は仲良く画面を覗き込み、その内容を確認しようとした。

 そこには、ネットの記事らしきページが開かれていた。題名は、『地方仏具店の悲鳴。警察から殺人事件の関与を疑われた』と書かれている。

「この記事がどうかしたんですか?」

 西田が尋ねるが、白水は答えようとしない。スマートフォンの画面を自分の方に向けてスクロールし、再度二人の前に提示する。

 そこには、あの忌まわしい数珠の写真が掲載されていた。

「すまん、俺のミスだ。あの数珠と数珠繋ぎ殺人の存在が、公になっちまった」

「どういうことですか」

「友永雄也が、あれとよく似た数珠を持っていただろ。だから購入店を聞いて、そこを尋ねたんだ。何か手がかりを得ようと思ってな。今思うと、そんな軽い気持ちで行ったのが悪かった。そこは敵の本拠地で、そこの店主が数珠繋ぎ殺人の黒幕だったんだ。俺は何の証拠も持たずに揺さぶりをかけちまって、返り討ちにあった。最初はその仏具店のホームページで抗議されただけだったが、今朝このニュースが大々的に取り上げられた」

「まあ、公になっても大きな問題は無いんじゃ……」

「本当に能天気ね、西田」

「なんだよ。バカにしてんのか」

「ええ、バカにしてる。このニュースが取り上げられたことが、どれだけ大きな意味を持つのか分かっていない」

 西田はバカにされて腹を立てたが、葵があまりに神妙な面持ちで話すので、口から飛び出しそうになった子どもじみた悪口を押し戻し、話を続けるよう促した。

「数珠繋ぎ殺人だけが明らかになっても、一部の人が混乱したり、一時的に社会を騒がせる程度で済むかもしれない。でも、数珠の存在まで明らかになった。それはつまり、今後は数珠が現場に残されているからといって、本当に数珠繋ぎ殺人かどうか分からなくなったてこと」

「模倣犯が現れるかもしれないってことか?」

「そういうこと。もし現場の距離がそこまで離れていなくて、数珠が残された殺人事件が二件起きた時、それが数珠繋ぎ殺人なのか単独の殺人事件が偶々近くで起こったのか。判断が難しくなった。模倣犯でなくても、そうして自分の犯行を隠蔽しようとすることは考えられる」

「ああ、葵さんの言う通りだ。現に今回の脅迫状に添えられた数珠は、槍ヶ岳忍がその仏具店のホームページを偶々見かけて、偽装工作ために用意したものだった」

 葵の説明に白水が細くする。そう、今回の犯行がまさに、数珠繋ぎ殺人を利用した偽装工作が施された事件だったのだ。先ほど白水が受けた電話は、忍が事情聴取でそのことを話したという報告だった。

「道のりが険しいな」

 西田がため息交じりにそう呟くと、葵はニヤリと笑って言った。

「いいえ、そうでもないわ」

「え? なんで?」

「山頂は、見えたってことですよ」

 葵は、白水に向かって微笑んだ。

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