第8話 必然のハプニング

 豊山幼稚園では夏休みの預かり保育の希望は多いが、それでも子どもの数が半減するため、長期休暇に合わせて先生の過半数も有給休暇を取得する。更にこの幼稚園では、年少から年長まですべてのクラスでお昼寝の弛緩を設けている。時刻は午後二時ごろ。丁度お昼寝の時間らしく、暖かな陽光の降り注ぐ園庭には園児の姿が無い。そんなこともあって、豊山幼稚園は全体的に物静かになった印象だ。

 それほど余裕があるからだろう。まだ預かり保育の最中だと言うのに、葵のお目当ての先生は呼び出しに応じ、葵たちの待つ園舎の隣の倉庫に来てくれた。

 そう。白水がこの幼稚園に初めて訪れた際、槍ヶ岳忍先生が倒れて玉入れの球をぶちまけた、あの倉庫だ。

「お集まりいただき、ありがとうございます」

 呼び出しに応じてくれた先生に対し、葵が笑顔で挨拶する。白水と西田、理事長の俵屋も続いて頭を下げた。

「え、理事長。どうしてこんなところにいらっしゃるんですか」

 俵屋の姿を見て、忍が驚きの声を上げた。在籍歴が長いため、忍はこの幼稚園でも数少ない俵屋を知る人間だったようだ。俵屋は忍に事情を説明し、白水たち一行の方に向き直って話を始めるように促した。

 それを見て、葵は西田と白水に目配せをする。すると二人は、おもむろに倉庫の扉を開け始めた。引き分け度が左右に分かれて開いていき、暗く辛気臭い倉庫の中に太陽の眩い光が注がれた。

 倉庫の中には小さな窓が三つあるが、所狭しと並べられた種々の大道具などによって、その内の二つは塞がれていた。

「槍ヶ岳さん、あなたとこの幼稚園で初めて会った際、あなたはこの倉庫で転んで荷物をばらまきいていましたね」

「ちょ、ちょっと葵ちゃん。そんな他人行儀に喋らないでよ。昔みたいに、しのぶんせんせいって呼んでよ。それに私と葵ちゃんが初めて会ったのはもう十年近く昔の話でしょ」

「はぐらかさずに答えてください、槍ヶ岳さん」

 忍のことを真っ直ぐ見つめる葵。忍はドギマギして、不自然に体や視線を左右に揺らしたり、不必要に頭を手で掻いたりしている。それでも葵が視線を逸らさないので、忍は俯き、沈んだ声で質問に答えた。

「はい、その通りです」

「あの時の荷物は、何を持っていらしたんですか」

「う、運動会の時に使う玉入れの玉です」

「なぜそんなものを今更運ぼうと思ったんですか。この幼稚園では熱中症予防の観点から、運動会は六月に行われていると聞きましたが」

「ちょ、ちょっと古くなってきたから新しいものに変えたほうがいいんじゃないかと思って持ち出しけど、思ったより大丈夫そうだったから倉庫に戻そうと思ったの。そしたら、転んじゃってさ。ははは、本当によく転ぶんだよね」

「この入り口にある段差に、ですか」

「ええ、そうよ。」

「なるほど。確かにここに、気づき辛いほどに小さな段差がありますね。ここに、よくつまずくんですか」

 葵は倉庫の入り口付近に立ち、引き分け戸のレールに足を擦って、段差を強調しながら話した。忍はまだ挙動不審なところがあるものの、話始めた時よりは幾ばくか落ち着いているようだった。

「ところで槍ヶ岳さん、どうして嘘をつくのでしょうか」

 葵のその一言で忍の目の色は変わり、縦横無尽に激しく動いた。嘘なんてついていない、そう小さく言う事が精いっぱいだった。

「あなたは先ほどこう言いました。古くなったと思って持ち出した玉を、倉庫に戻すところだったと」

「そうよ。それの何が嘘なの」

「実際に、そこで再現してみてください。どのような状態だったか」

 葵に促されるまま、忍は両手を玉の入ったかごに手を回すような形にし、西田と白水が立っている扉の方に向かって行った。しかし、入り口の目の前で立ち止まってしまった。

「どうしましたか。あの時のことをそのまま再現するだけでいいんですよ」

 葵が背後からそう声をかけても、忍は一歩も動かなかった。いや、動けなかった。このまま進めば、自分の発言に致命的な矛盾が生じることが分かったから。

「もう、お気付きですね。今のあなたがそのまま進んで入り口の段差に躓けば、あなたは倉庫の中に向かって転ぶことになります。しかし、私たちがあなたを見た時は、倉庫の外側に倒れていました。これは、明らかな矛盾なんです」

「あ、ああ、そうね、そうよ。間違えたわ。あなたたちと会った時が球を倉庫から運び出す時で、その後に戻す時にも転んだのよ。勘違いしちゃったのね、私」

「あのハプニングの不自然な点は、それだけではありませんよ」

 葵の言葉に、忍が身を固くする。

「白水さん、あのことを話してください」

「バス閉じ込め事故でこの幼稚園を訪れた警察官たちに訊いたところ、複数の人間から証言が出たよ。あんたが大きな音と悲鳴を上げながら、玉入れに使う玉をぶちまけているのを見たってな。ちょっと転びすぎじゃないか?」

 忍は口を真一文字に閉ざした。この窮地を切り抜ける方法を必死に考えているが思いつかない、そんな顔に、葵の目には写った。

「更に言うと、あなたは私たちが駆け付けた後に荷物を拾う際、自分の近くにあった倉庫の内側に落ちた球を無視して、私たちの足元まで転がっていた球を拾いに来ました。倉庫の外側の玉にしか気付かなったと言い訳するつもりなんでしょうが、転んで荷物をまき散らしたのなら、普通は周辺を確認するのが先です。それに倉庫から出る時に転んで球を撒いたなら、球は必然的に外に散らばるはずです。それなのに、倉庫の内側に球が落ちていること自体が不自然なんです」

 葵が力強くそう言うと、忍の全身から力が抜けた。かと思うと、両手を強く打ちつけながら拍手をし始めた。

「……葵ちゃん、成長したんだね。もっと物静かな子だと思っていたんだけど、そんなに流暢に話せたんだ。あ~あ、教え子に追い抜かされる日が来るなんて思わなかったな。きっと、もう全部分かってるんでしょ。もう言い訳しないから、全部話していいよ」

「そうですか。では早速、あの閉じ込め事故は、槍ヶ岳さんの仕組んだことですよね」

「直球にもほどがあるでしょ。まあでも、そうだよ。だけど、これだけは信じて。葵ちゃんが現れなくても、私がすぐに助けに行くつもりだった。あの子の命を奪うつもりは無かった」

 葵は、黙って頷いた。

「目的は、公正な第三者の目をこの幼稚園に入れるためだった」

「へえ、そこまで分かってたんだ。驚いたな」

「あの数珠も、同じ目的であなたが入れたものですね」

「そう。最初に脅迫状を見た時はどうしようかと悩んだけど、うまく利用できると思ったの。だから真っ白の封筒で不気味さを演出して、あの数珠を入れた。それだけで警察に相談してくれたらよかったんだけど、被害届出さなかったからさ。少し手荒なことしちゃった」

「バスに残った子には、なんと言ったんですか」

「かくれんぼしようって。先生が三分見つけられなかったら先生の負けだから、頑張って隠れてね。他の人にも、絶対見つかったらだめだよ。そんなところだったかしら」

 忍は完全にすべてを諦めたのか、特に取り乱す様子もなく、感情の抑揚まで完全に消えた状態で話している。葵は、アンドロイドと話しているような感覚に襲われた。

「ちょっと待ってくれ。とにかく一連のことに忍先生が関わっているのは分かったが、動機がまるで分らないぞ。公正な第三者の目を入れるって、どういう意味なんだ?」

 俵屋が首を傾げながら言う。忍は答えようとしたが、葵が手を差し出してそれを静止した。

 自分で気付くべきだ、と言って。

「しのぶんせんせいは倉庫の外と内の両方に玉をばら撒き、自分は外の玉を回収しました」

「つまり、気付いてほしいことは倉庫の内側にある、ということか」

 そう言って俵屋は、倉庫の内側に入って中を物色し始めた。倉庫にあるものはすべて用途がはっきり分かるもので、特に不審なものが置いてあるというわけではなさそうだ。少し埃っぽさはあるが、そこまで散らかっているという感じもしない。

「玉は特に、入り口の当たりに多く落ちていました」

 葵の言葉を聞いて、俵屋は入り口の方に目を向けた。そしてあの時の葵と同じように、扉の内側にいくつかの凹みを見つけた。

「小さな凹みがいくつか、扉の内側についているな。何か、物でもあたったのかな」

「多くの人がそう思い、その凹みを見過ごすでしょう。でも、よく見れば不思議なことに気付きます。今扉が開いていますが、その凹みは扉のすぐ脇に置かれた壊れた一輪車の影になっていますよね」

「確かに、そうだね」

「しかしその一輪車の周りには、埃が積もりに積もっている。つまり、長年動かされていない」

「じゃあ、随分前についたってことか」

「違います。その凹みの周り、少し染みが付いていませんか」

「ああ。確かについてる」

「詳しく調べないと分かりませんが、それはきっと涙の跡です」

「まさか……」

「はい。その凹みはきっと、この黒い倉庫に閉じ込められて涙を流した子どもたちの抵抗の跡です。しのぶんせんせいが外に訴え出たかったこと、それはこの幼稚園で虐待が日常的に行われているという事実だったんです」

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