第7話 理事長の話

 二人の容疑者にあった翌日、白水たち一行は豊山幼稚園の理事長である俵屋賢心を尋ねた。警察には警戒して会わないかと思われたが、脅迫状の送り主が分かったので話が聞きたいと言うと、思いの外簡単に会う約束を取り付けることができた。

 俵屋は聴取の場に自宅を指定した。幼稚園を訪れた時に聞いた話では、理事長が現場に顔を出すことは一年に一度、あるかないかという頻度だということだった。そのため保護者や子どもたちとの繋がりはおろか、先生たちとの繋がりすら怪しいらしい。

「着いたぞ。ここが、悪名高い俵屋の家だ」

 白水がそう言って車を止めた。

 葵は車を降りて、早速家の様子を観察する。大きな木製の門が眼前にそびえている。そのため詳しい家の造りは見えないが、屋根が今には珍しい瓦屋根であることを考えると、和風の伝統的な造りをしているように感じられた。

 その直感が当たっていたことは、目の前の門が開かれたことですぐに分かった。大きい。日本庭園と呼ぶにふさわしい庭と、縁側に置かれた将棋盤が見える。その奥にも敷地は続いていそうで、おそらく離れもありそうだ。

「幼稚園の経営者って、儲かるんだな。俺もやろうかな」

「調子にならないで、気持ち悪い」

 西田の妄言を、葵が冷たく返す。やはり、どこか心に余裕が無さそうだ。西田は、あの夜の葵の発言を思い出していた。


 私の能力で数珠繋ぎ殺人を止めて救われるのは、本当に助けなきゃいけない人なのかな


 そうこうしているといつの間にか、西田と葵は応接間らしき場所に連れられていた。全く気付かなかったが、門からここまでお手伝いさんに案内されたらしい。

 応接間は畳敷きの和室で、中央には木目のきれいなテーブルが置かれていた。しかしその周りには、部屋の雰囲気とあまりに不釣り合いな大きい外国製のソファが置かれていた。お手伝いさんはそのソファを手で示し、三人に座るよう促した。三人はいつもと同じように、白水を真ん中に挟むようにして横並びに座った。

 お手伝いさんが丁寧にその場を後にしてから数分後、顔のしわから中年だと思われるが、腹回りのスッキリした男性が現れた。俵屋賢心である。その肉体は鍛え上げられていて、本職はボディービルダーだと言われても驚かないであろうものだった。

「失礼。日課の鍛錬がまだ終わっていませんでしたので、少しお待たせしてしまいましたかな」

「あ、いえ。待っていません。大丈夫です」

 背筋を伸ばしてはきはきとした声で話す俵屋を見て、白水が戸惑っていた。これがかつて、口止め料を払って事故の被害者家族を口留めしようとした男の姿なのか。明らかな違和感。しかしそこに、嘘が交っているようには感じられなかった。

「お越しいただいてなんですが、きっと脅迫状の送り主は、かつての事故の被害者家族だったのでしょう。そうなら、私が被害を訴えることはしません。甘んじて、受け入れるつもりです」

「そうですか。随分と潔いお方だ。なんだか、その……想像していた姿とはあまりに違いがあると言いますか」

「ふふふ。無理もありません。かつてあんな大騒動を巻き起こし、被害者家族に礼節を逸した態度をとった人間と聞けば、誰だってもっと不遜な人間を思い浮かべます。ただ、私はあの一件を機に生まれ変わったんです。もう、あんな過ちは繰り返さない」

 俵屋が力強くそう言い、三人と相対する位置のソファに腰を下ろした。背筋はまっすぐに伸び、目も真っ直ぐこちらを向いている。その目からは、熱い信念が感じられた。

「でも、同じ過ちを繰り返しましたよね。全く同じ、バスへの閉じ込めを」

 早速、西田の揺さぶりが発動した。しかし俵屋は顔色一つ変えず、葵たちの存在に疑問を抱くこともなく、どっしりと構えながら答えた。

「そう言われても仕方ありませんね。三年前のあの事故は、私が現場に過度に口出ししたことがきっかけで園長が利益を追求しすぎ、必要な人件費まで削った末に起こった事故でした。あの頃の私は若くから資産家として成功したことで天狗になり、足元を疎かにしていました。だから、事故の後にもあんな馬鹿なまねをした。だから、今の豊山幼稚園では、一切現場に口を出さないようにしたんです。私は年に一度、前触れもなく幼稚園に現れては、子どもたちが笑顔で過ごせているかを確認して帰る。それでいいと思っていました。でも、それではいけなかったのですね。経営者として教育現場に携わることは、なかなか難しいものです」

「とか言って、本当は利益を追求させたんじゃないですか?」

「利益を追求するなら、法的に定められた最低限の配置人数以上は雇いませんよ。それなら、あの幼稚園の先生の内二割は解雇対象になるでしょうね。当然、人件費の高いベテランに辞めていただくことになります」

「なぜそんなに多くの人を雇うのですか」

「昨今、特別な支援を必要としているお子さんの数は増えています。それに対応するには、より多くの専門知識を持った先生が必要ですから」

「そんなことでは、経営が成り立たないのでは」

「幼稚園経営における最大の利益は、子どもたちが輝かしい未来に向けて羽ばたくことです。お金は二の次。それに、家を見てもらって分かる通り、資材にはまだ余裕がありますから」

 西田の精神攻撃に対しても、完璧な態度で受け答えしている。どうやら俵屋は、本当の意味で改心しているらしい。そう思うと、葵は少しだけもう一人の自分に打ち勝つことができるような気がした。

「俵屋さん。あなたが本当に生まれ変わったのなら、年に一度しか訪れなくても、幼稚園の様子で何か変わったことがあると気づけたのではないかと思います。どんな些細なことでも構いません。幼稚園の先生の中で、何か変わった様子の人は居ませんでしたか」

「さあ、特に思い当たることはありませんね」

 勇気を振り絞った葵だったが、まだ本調子ではないらしいく、頓珍漢な質問をしてしまったようだ。葵が肩を落としながらまた口を閉ざそうとすると、俵屋が三度口を開いた。

「でも、保護者同士で話していることを小耳にはさんだ時に、少し気になることを言っている方がいましたね」

「そ、それはどんなことですか」

 葵が、目を輝かせて訊く。俵屋はとても優しい笑顔で葵の顔を覗き込み、ゆっくりと話した。「これまで一人で寝いていた子供が、最近はお母さんと一緒に寝たいと駄々をこねるようになったという話です。最初に話したお父様は第二子が生まれたばかりだったので赤ちゃん返りだろうと結論付けていましたが、相手のお母様はそれを聞いて、うちと同じだと言ったんです。偶然と言えばそれまでですが、なぜか気になってしまってね」

「突然一人で眠れなくなった、二人のお子さん、ですか」

「なにか、因果を感じませんか」

「……少し、失礼させていただきます」

 そう言うと葵は立ち上がり、またどこからともなく幣帛へいはくを取り出して、舞い始めた。頭の中を整理する。視野が狭くて見過ごした情報が無いか、再度記憶を探って思い返す。

「彼女はダンサーなんですか」

「いえ。まあ、一応巫女の端くれです。性格はあまりにも巫女ではありませんが」

 俵屋と西田がそんなやり取りをしたが、集中した葵の耳には全く届かなかった。そして――

「天岩戸が、開きました」

 短くそう言った。それを聞き、待ってましと言わんばかりに白水が立ち上がる。

「よし、それじゃあ犯人を捕まえに行こう。事件を未然に防いで、その名を知らしめるんだ」

「……残念ながら、事件を未然に防ぐことはできないようです」

「え、どう意味だ」

「もう既に、被害者がいるということです」

 葵の思いがけない言葉に、白水は閉口した。西田は真剣な眼差しで葵の方を見つめ、俵屋は状況が掴めずにぽかんと口を開けていた。

「俵屋さん、今から一緒に幼稚園を来てくださいませんか。そこで、すべてをお話しします」

「は、はあ。構いませんが、先にお話を聞かせていただくわけには――」

「できません。証拠と一緒にお話ししないと、信じたくない話でしょうから……私だって、間違っていてほしいんです。だから、その聡明な頭脳で私の推理を否定してください」

 葵は、目に涙を浮かべながら話した。俵屋はその姿を見て静かに頷き、身支度をするからと席を立った。

「葵さん、数珠繋ぎ殺人はもう始まっていたというのか。既に被害者がいると」

「いえ、そう意味ではありません。きっと、まだ向こうの世界に行った人はいないと思います。でも、もう取り返しのつかない傷を負っている人がいると思います。そして、その人はまだきっと増えると思います」

 俯き加減で話す葵。しかし突然顔を上げ、白水の方を見つめてこう言った。

「覚悟、決めておいてください。私には、白水さんと俵屋さんの上に手が視えていますから」

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