第6話 二人目の容疑者

 達臣の法律事務所を後にした白水たちは、そのまま武富不二彦の仮住まいであるワンルームマンションに向かった。豊山幼稚園からほど近いため、脅迫状の送り主だとしてもさほど驚きはない。達臣から話を聞くまで、葵たちはそう考えていた。

 しかし、達臣の話を聞いてその考えは変わった。あの手紙の封筒が何者かによってすり替えられたとしたら、実際の脅迫状に消印があったかどうかは分からないからだ。

「脅迫状の封筒をすり替えたのは、誰なんだろうな」

「それは分かりませんが、その話を聞いて、私たちが追いかけるべき人間が変わったことは確かなようです」

「どういうこと?」

「達臣さんは、脅迫状が封筒に入れられた後に、封筒に宛名を書いた可能性を示唆しました。もし本当にその通りだとしたら、脅迫状の差出人と数珠を入れた犯人は別人の可能性が高いです。数珠を入れて盛り上がった封筒には、宛名を書きにくいでしょうから」

「ということは、何者かが封筒を入れ替えた目的は、数珠を入れるためだった」

「そう考えるのが自然だと思います。そうすると、自ずと数珠を入れた人間も絞られます」

「幼稚園の関係者、か」

「それも、十中八九先生でしょうね」


 白水と葵がそんなことを話していると、武富の住むマンションに辿り着いた。インターホンを鳴らすと武富はすぐに玄関から顔を出し、笑顔で対応した。葵たちの姿を見ても顔色一つ変えることなく、笑顔で招き入れた。

 武富はとても高身長で、如何にも悪人を抑えることが得意そうな体格をしている白水と並んでも遜色がないほどの体格の持ち主だった。そんな体格の持ち主が、手姿勢で物腰柔らかく接していることには、凄まじいギャップが感じられた。

「いやー、刑事さんが羨ましいですよ。可愛い子どもたちと一緒に捜査ができるなんて。働き方改革というやつですね。私は息子たちを置いて単身赴任ですから、子どもたちのことが恋しくてたまりません。毎晩のテレビ電話だけが、今の楽しみですよ」

 リビングのローテーブルを囲むように置かれた座布団に白水たちを座らせ、武富が緑茶を入れながら忙しなく話している。白水と葵はその姿を見て、相手に悟られないように臨戦態勢に入った。笑顔と雑談で、何かを誤魔化そうとしてるのは明らかだったからだ。

 白水たちに緑茶を差し出した武富が座ると、白水は事情を説明した。豊山幼稚園に届いた脅迫状について調べていること、そして葵たちに捜査依頼していることも話した。

 それを聞いた武富の笑顔は、明らかに引きつった。子どもだからと油断してはいけないと思い、緊張感が高まったように見えた。

「武富さん、息子さんはお元気ですか」

「あ、はい。おかげさまで」

「息子さんが機転を利かせてクラクションを鳴らしたことで、何人もの命が助かったんですよね。あれ、助かったのは何人でしたっけ」

「四人、ですね。あの、お話が見えないのですが。私に何をお聞きしたいのでしょうか。そもそもなぜ、隣の市にある幼稚園に脅迫状が送られたことで、私の所に警察の方がお見えになるのでしょうか。そろそろ本題に入っていただけないでしょうか」

 白水は咳払いをして場を仕切り直した後、話を続けた。

「息子さんの事故の時、理事長には随分とひどい対応をされたとか」

「ええ、まあ。あの人には人間の血が通っていないのでしょうね」

「その理事長が、また幼稚園の経営に携わっているとしたら、どう思いますか」

「……どうも思いませんよ。改心して、いい幼稚園を作っているのかもしれませんし、子どもたちをまた不幸な目に遭わせているのかもしれません。でも、それは外野からは分からないことですから。そんなことを知ったところで、特別な感情はありません」

「本当ですか? 本当は、いてもたってもいられないんじゃないですか。息子さんをあんな目に遭わせておきながら何の責任も取らずに雲隠れして、性懲りもなく同じことを繰り返そうとしている俵屋を見て、あなたはあいつが許せなくなった。そうでしょう」

「決めつけないでください。私の気持ちは、私にしか分からないんですから」

 武富は無表情になり、淡々と質問に答えていた。完全に心を閉ざすことで、この難局を乗り越えようとしているらしい。その態度は、武富が脅迫状の送り主であることを確信させるに足るものだったが、それを客観的に証明するには到底足りないものだった。

「それで、誰から殺すんですか」

 白水が武富をどう攻略しようかと考えていると、西田が横から突然口を挟んだ。あまりに直球な質問だったからか、武富はきょとんとしている。

「ど、どういう意味でしょうか」

「あんなものを送ったんですから、当然要求が通らなければ誰かを殺すんでしょう。やっぱり理事長ですか? あなたが一番恨んでる人ですもんね」

「いや、ですから話が見え――」

「それとも先生たちですか。女性だから、あなたほどの体格があれば、まず力負けすることは無さそうですもんね」

「勝手に話しを進めないでください」

「それとも、まさか子どもたちを無差別に殺すつもりですか。中々残忍なことを考えますね」

「だから、勝手に殺人鬼に仕立て上げないでください。幼稚園が閉鎖されないくらいで、人を殺すことなんてありませんよ。あれは、今の理事長のままならまた悲劇が起きると警告しているだけです。私が誰かを殺すなんて、そんなつもりはありません」

「なるほど。脅迫状を送ったことを、お認めになるんですね」

「はい」

 またもや、西田のお手柄である。この男は空気が読めないので、ド直球に相手の嫌がることをすることができる。そのため相手が感情的になり、口を滑らせたり、本音を話してしまったりすることが多いようだ。

「先ほど、刑事さんが言った通りです。俵屋が懲りずに幼稚園の理事長をしていると知った時、腸が煮えくり返る思いでした。だからあの脅迫状で、過去のことを思い出させようとしたんです。それで、少しでもいい経営をしてくれるようになるんじゃないかと思ったので」

「脅迫状は、ポストに直接投函したんですか」

「え、いや。郵便で出しましたよ。近くに脅威がある方が、リアルな感じがするでしょ」

「脅迫状以外は、何か送りましたか」

「いえ、なにも。え、僕以外にも何か不審物を送る人間がいたんですか」

「どうやら、そのようです」

 武富は、目を丸くしていた。その表情から本当に驚いていることが伝わり、主観と客観、どちらから見ても武富が数珠を送った人間でないことが分かった。

「まあ、今のところは被害届も出ていませんので、今日の所はこちらで失礼します。ただ、幼稚園側から何か動きがあった場合は、それ相応の罰を覚悟してください」

 白水がそう言うと、武富は小さく、分かりましたと答えた。


 その後葵を先頭に、三人はマンションを後にした。

「葵さん、なんか元気ないな。お前、なんかしただろ」

 葵の後姿を見ながら、白水が小声で西田に話しかけた。白水は少し茶化すつもりで言ったのだが、西田は真剣な眼差しを崩さずに答えた。

「あいつ、多分迷ってるんですよ。数珠繋ぎ殺人を解決することを」

「え、なんで。迷う必要なんてどこにあるんだ。隠鬼の島の事件だって解決させて平和を取り戻したんだし、今までの事件だって、ちゃんと被害者を助けてるじゃないか」

「数珠繋ぎ殺人を止めて助かるのは、殺したいほどに憎まれる悪人たちです。葵はきっと、災難に遭って救われずに加害者になった人たちを捕まえて、その元凶となった人間が救われることが正しいことだと思えないと、心のどこかで思っているんだと思います」

「隠鬼の島の事件は、罪のない多くの人がいたから迷わなかった。そういうことか」

「ちゃんと聞いたわけじゃないから分かりません。あくまで、僕の推測です。ただ――」

 西田は、その目を葵の方に向けた。

「あいつ。あの事件の後に、只野さんのことをヒーローだって言ったんです。島に平和をもたらすために行動を起こした、ヒーローだって。一度は三万人の命を奪おうとした人のことを、ですよ。あいつは、どこか善悪の感覚が俺たちとは違う。そんな気がするんです」

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