第4話 手紙
二週間前に、豊山幼稚園のポストに投函されたというあの数珠入りの手紙。同封されていた便箋には、このように書かれていた。
一か月以内に、豊山幼稚園を閉鎖しろ。でなければ、大勢の命が失われることになる
これがただの悪戯でないことは、忌まわしい数珠が教えていた。大勢の命が失われるということは、つまりこの幼稚園に関わる人間が数珠繋ぎ殺人のターゲットになっているということだろう。理由は不明だが、犯人は子供まで標的にするほどにこの幼稚園に対して憎悪を抱いているらしい。
「うちは私立幼稚園ですから、適当な理由をつけて閉鎖することはできます。少なくとも、公立よりは簡単でしょう。でも、そんなことしたら今受け入れている子どもたちはどうなるんですか。両親が共働きで、昼間には家に誰もいない子ばかりですよ。四・五歳の子に、一人で留守番なんてできるわけがない。もしうちが潰れたりしたら、多くの働いているお母さんたちが仕事を辞めることになってしまう。それじゃあ、駄目なんです」
「分かりました。このことについて、こちらで捜査させていただけませんか」
白水は胸を叩き、普段話している時とは比べ物にならないほどいい声で言った。高松に気に入られようとしていることは明らかだった。葵はさりなげく、しかし確実にダメージが入るように白水の爪先を踏みつけた。それでも、白水の格好つけた表情は崩れなかった。
「お願いします。どうか、この幼稚園を守ってください」
「すべて、この白水にお任せください」
そういって白水は席を立ち、左足を引きずりながら、扉を開けて廊下に出て行った。葵と西田もそれに続いた。廊下に出てしばらく様子を窺ってみたが、那々のすすり泣く声以外は聞こえなかった。
「いい先生だ。とても子ども思いで、美しい」
「美しいのは関係ないと思いますが」
「そうですね。本当に美しくて、美しい先生だ」
「あんた美しいしか言ってないじゃん」
「何より大事な要素だ。あんな美しい人を悲しませる犯人は、絶対に許さない」
「ああ。その通りだな、西田」
「西田は単純な生き物だと思っていたけど、男が単純な生き物だったんだね。勉強になった」
葵が呆れて言った嫌みも、二人の耳には届いていないようだ。二人はとても軽やかな足取りで車まで向かい、豊山幼稚園を後にした。
――高松那々はそれを部屋の窓から見届けて、すぐに職員室に向かった。
翌日。白水が三神神社を尋ねていた。もう夏休みに入ったということもあって、葵たちの予定を気にかける様子など微塵もない。というよりも、白水の目には那々先生しか映っていないように思えた。そんな様子を見て、空気の読めない西田が言う。
「白水さん、一応確認しておきます。あなたは独身ですか」
「おいおい、一応で人のプライベートを詮索するんじゃないよ。なんでそんなことに答える必要があるんだ」
「あなたと那々先生の恋路を応援できるかどうかが決まる、とても重要な質問ですよ」
「はあ? は、はあ? なに言ってんだ、お前。俺が那々ちゃんに恋してるなんて、そんな、そんなことあるわけないだろうが、お前、ふざけんじゃねえよ」
「白水さん、動揺しすぎです。今は西田を馬鹿にできないほどに分かりやすいです。それと一つ忠告ですが、昨日会ったばっかりの人をちゃん付で呼ぶのは尋常じゃないくらいに気持ち悪いです。止めたほうがいいです。ていうか、絶対にやめろ」
「葵さん? なんだか最近、俺への当たりも強くなってる気がするんだけど」
「あまり調子に乗ると、私も数珠が欲しくなるかもしれません」
「それ、捜査している側が言ってはいけない言葉ランキング、殿堂入りだよ」
「とにかく、そんなくだらなくてどうでもいい、些末で、犬にでも喰わすしかない話はほっといて、本題に入ってください」
「そこまで言わなくてもいいじゃん」
白水は不服そうに頬を膨らませながら何やら独り言をつぶやき、手帳を取り出した。どうやら新情報が判明したらしい。
「犯人の目的が幼稚園の閉鎖にあるのなら、子どもや保護者なんかへの個人的な恨みではなく、幼稚園自体に問題がある可能性を考えたんだ。そうして調べたら、如何にも今回の動機になりそうな情報があったよ」
「そんなに大きな情報だったんですか」
「ああ。二人とも年齢的に知らないかもしれないけど、三年前に高知県で、園児のバス閉じ込め事故が発生していたんだ」
「あ、そのニュースなら何となく覚えてます」
葵は、三年前の記憶を思い返していた。
三年前、高知県にあるとある私立幼稚園で園児三名が、炎天下の中バスに閉じ込められた事故があったのだ。当時の高知県は日本で一番熱いとも言われ、気温は四十度を超えていた。そんな状況での車内への閉じ込めは、ほんの数分でさえ命に係わるものだろう。
幸いその時には園児が機転を利かせて、なんとか車のクラクションを鳴らしたことで、全員が無事に救出されていた。だが、この問題が大きく取り上げられたのは、閉じ込められた園児たちが無事だったからではなかった。
幼稚園の理事長がわずかばかりの見舞金片手に被害者たちの家を訪問し、緘口令を敷こうとしたのだ。命は無事だったのだから、これ以上事を大きくする必要はないだろうと言い、再発防止策すら提示しなかった。むしろ、その事故で被害を被ったのは自分たちだという態度で、被害者たちに接した。嘘か本当か分からないが、被害者家族と話す中で大あくびをかましたことまで有ったという。
それにより被害者家族は激怒し、マスコミに情報を垂れ込んだ。それにより全国ニュースなどで大々的に取り上げられ、遂にはその私立幼稚園が閉鎖するまでに追い詰められたという話だ。
「その問題の理事長と、現在のあの幼稚園の理事長は同一人物らしい」
「え、どういうことですか」
「葵さんが通っていた頃は、別の人が理事長を務めていたんだ。でもかなりのご高齢だったみたいで、三年前に幼稚園を売りに出したそうなんだ。それで、その時に幼稚園を買って理事長になったのが、その問題の理事長で
葵の心の中に、封印したはずのもう一人の自分が現れて語りかけてくる。
わたしのしていることは、本当に正しいの?
殺されて当然の悪人を助けることに、意味はあるの?
あの手紙が投函されてから一か月後なら、幼稚園は夏休みだよ。その時に数珠繋ぎ殺人が始まるなら、きっと、まずはその理事長や忍みたいな屑の先生から殺されるよ。屑が全員死んでから、犯人を捕まえればいいじゃん。
屑や悪人は、死ぬことでしか直せない病気なんだよ。
葵は、もう一人の自分を黙らせようと懸命に議論する。しかし、勝てない。勝てない理由は、葵が誰よりも理解していた。
もう一人の自分が言う事の方が、自分の本心だからだ。
本当は誰よりも悪人を憎んで、死んでほしいと思っているのは自分なのだ。
一歩間違えれば、いや一歩間違えなくても、自分は数珠繋ぎ殺人の犯人たちと同じ考えを持つ人間なのだ。
その事実が、葵の胸に重くのしかかった。
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