第2話 まだ視える

 園児救出の一件後、葵と西田は遅れながら登校した。先生たちには既に消防などから連絡がいっていたようで、特に怒られることなく終業式に合流することができた。式は滞りなく終了し、葵たちは夏休みに突入することになった。

「葵、夏休みなにする? やっぱりプールだよな。プールは行くよな。いや、海でもいいぞ」

「下心見えすぎなのよ、気持ち悪い」

 子どもの命を救うことに貢献したことで、葵の西田に対する評価は急上昇していた。いや、元々高かったのが更に上昇したと言うべきだろうが。とにかく、無視することは止めて、話をするようになった。

 帰り道、二人は楽しく話しながら帰っている。

「あ、まだパトカーが止まってるよ。大事にならなかったとはいえ、やっぱり責任は重たいんだろうな」

 西田が、あの幼稚園の方を指さしながら言った。確かに今回は大事に至らなかったが、葵たちがいなければどうなっていたかは分からなかった。それに、西田があの子の存在に気付かずに、学校に向かっている葵の後に付いてきていたら……考えるだけで恐ろしい話だった。

「ま、とにかく。私はあの子が助かってよかったと思ってるよ。今回は、あんたも少しはお手柄だったね」

「少し、じゃないだろ。全部俺のおかげ、だろ」

「調子に乗らないでくれる? 気持ち悪い」

 葵が西田の後頭部を強く叩いた。西田にとっては不意の一撃だったようで、思わず前に倒れこんだ。

「まあ。この先もまた同じ悲劇を起こさないように、あの幼稚園の先生たちには頑張ってもらうしかない――」

 そこまで言ったところで、葵は言葉を止めた。

 信じられない光景を見たからだ。

 そこには、まだ血染めの手が消えていない先生と子供たちの姿があった。

 何故なのか。バスの閉じ込め事故が済んだというのに、これ以上どのような災厄が子どもたちを襲うと言うのか。それも、変わらず全員に手が視える。警察官たちには何も見えないから、能力が暴走している等の特異的な理由は考えづらかった。

「いつまで寝てんのよ、西田。頼みたいことがあるんだけど」

「倒した張本人がそれを言うかな。とりあえず、用件を聞こうか」

「今すぐ、あんたのスマホで白水さんに連絡して」

「ふん、その前にまずは謝罪だろう。西田様の手柄をすべて横取りしようとした挙句、逆切れして後頭部をどついてしまい、申し訳ございませんでしたと謝罪すれば――」

「あんたが校則違反を知っててスマホを学校に持ち込んでいることを、あの鬼教師酒井に話してもいいのね」

「大至急連絡させていただきます、葵様。用件はどのようにお伝えしましょうか」

 西田はすぐに起き上がり、葵の前に跪いて言った。葵は西田からスマホを奪い取り、シャーペン片手に操作し始めた。

「まさかとは思うけど葵、そのペンでメッセージを書こうとなんてしてないよね」

「当然なこと訊かないでくれる?」

「だよね、良かった。スマホ持ってなくても、さすがにそれくらいは知ってるよね」

「メッセージは、どんな時も手書きが一番でしょ」

「いくらスマホ持ってないっていっても、それは知らなさすぎでしょ! あ、待って。操作分からないからって、無理やり書こうとしないで。壊れちゃう、画面壊れちゃうから。駄目だって。なんかうまく書けないから筆圧濃くしないとな~、じゃないから。駄目。画面割れるって!」


「それで? なんかよく分からないメッセージをもらったからとりあえず来たわけだが、一体何の用だ」

 白水が三神神社を尋ねてきた。結局西田から操作を教わりながら葵がメッセージを送ったが、誤入力だらけで、もはや怪文書と言われても仕方のないものが生成されていた。用件も場所も全く伝わっていなかったが、白水はひとまず三神神社に来てくれたのだ。

「近所の幼稚園に関わる人全員に、血染めの手が視えたんです」

「どういうことだ。おい西田、お前も何か知って……」

 白水は西田にも話を聞こうとしたが、西田はスマホを握り締めて泣いていた。良く見えないが光の反射具合から考えて、画面にはかなり細かい傷がいくつも付いているのだろう。白水は西田から視線を外し、再度葵の方へ向き直った。

「それで、俺への用件は」

「その幼稚園を調べていただけませんか」

「どうして。まだ何も起きてないんだろう」

「何か起きてからじゃ遅いんです。今日の朝にも、子どもを通園バスに閉じ込めそうになった幼稚園なんです。そんなところの関係者全員に、子どもたちにも血染めの手が視えるなんて異常事態です」

「それはそうだが、俺たちは数珠繋ぎ殺人の捜査でも手一杯なんだ。そんな気がかり程度で捜査していたら、本当に救えた人が救えないかもしれない。ただでさえ、最近は葵さんが捜査に参加しなかった分、被害が拡大したんだぞ」

 白水のその言葉に、葵はぐうの音も出なかった。確かに、ここ最近の白水の訪問にはすべて応じなかった。それなのに、自分が気になるから力を貸してほしいというのは、あまりに虫のいいお願いだった。

「白水さん、これはチャンスかもしれませんよ」

 突然西田が話し始めた。本当に、この男の情緒はどうなっているのだろう。

「幼稚園の関係者全員に災厄が降りかかる前兆があるということは、そこで数珠繋ぎ殺人が行われる可能性があるということです。まだ起きていない事件を未然に防ぐことができれば、これ以上の成果がありますか?」

「その意見も分かる。ただ、警察は通報や被害報告を受けて動く組織だ。何の被害も出ていない現時点では、表立って動くことはできないぞ」

「その点は心配ありません」

「ん、どういうことだ」

「さっき葵が言っていたでしょう。その幼稚園は今日の朝、園児をバスに閉じ込める事故を起こしている。葵がその力で助けたからよかったものの、一歩間違えれば大惨事です。当然、警察の調査だって必要でしょうね。それとも、白水さんは殺人事件以外はどうでもいいなんて言う、そんな冷たい人なんでしょうか」

 西田の言葉は、白水の琴線に触れた。白水は自分の胸を力強く叩き、今からその幼稚園に向かうと宣言した。

「あ、そうだ。一つ言い忘れていた」

 白水はそう言い、玄関で靴を履いて出かけようとする葵に話しかけた。葵は片足を靴に突っこんだ状態で、きょとんとした顔をしている。

「島田のことだ。あいつ、何とか一命は取り留めたそうだ。しばらくは入院が必要みたいだけどな。他にもこの期間に色々なことがあったけど、とりあえず今話すのはそれだけでいいだろう。もう、何も心配しなくていいからな」

 葵は言葉を返さず、両足に靴を履いた。

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