第9話 邂逅

 葵は、夢を見た。

 いや、夢というよりは遠い過去の記憶と言った方がいいだろう。客観的に見れば、十三歳の葵にとって幼稚園や小学校の頃の記憶はそこまで昔の話だとは考えられないだろう。だが葵は、それは記憶の奥底に封印していた。二度と思い出さないように。

 葵は、生まれた時から他の人に見えないものが視えた。それが三神家の宿命だったからだ。両親からは、再三視えているものを人に話すなと説明されたが、子どもの頃の葵にはそれが意味することを理解することができなかった。

 ある時葵が園庭で遊んでいると、随分と多くの友達の上に血染めの手が見えた。今はこれが災厄の前兆であり、対応によっては防ぐことができることを知っている。だがその時の葵はそれが何か分からなかったし、皆にも当然見えているものだと思っていた。だから葵は特に気にすることなく、その子たちに背を向けて園庭で遊び続けた。

 轟音と悲鳴を聞いたのは、そのすぐ後だ。園児たちに大人気だった木で出来た塔のような遊具が、長年の酷使で根本が腐り、倒れてしまったのだ。幸い死者は出なかったが、怪我人は多数いた。血を流しながら泣く友達の姿と、遊具が倒れた後から血染めの手が見えなくなったことで、葵は子どもながらにその意味を理解した。

 それから葵は、手が視えた人たちに次々と声をかけた。きっと、皆にも手は見えるしその意味も理解しているのに、自分頭上に出ているのは気付きにくいからひどい目に遭うんだ。だから手が視えることを教えてあげれば、その人を助けてあげることができる。そう考えたのだ。

 だが、現実は甘くなかった。道端でそのように話しかけられたところでまともに相手にされるわけもなく、誰のことも救うことはできなかった。それは、友達も変わらなかった。誰もまともに取り合わず、たくさんの災厄に見舞われた。それでも葵は、助けようとすることを諦めなかった。事故現場で花を手向けながら涙を流す人には、隣でその人が見守っていることを伝えた。その人にも見えると思っていたから……。

 そんな葵に返ってきたのは、感謝の言葉でも、尊敬の眼差しでもなかった。

 軽蔑だ。

 まず葵のことを白い目で見始めたのは、その友達の保護者たちだった。

「薄気味悪い子」

「あの子が何か忠告した日は、必ずうちの子がけがをして帰って来るんです。お宅のお子さん、私のたかしちゃんをいじめているんじゃないでしょうね!」

 そんなことを言われ始め、やがて葵の周りから人は居なくなった。子どもは素直だ。親から関わるなと言われた子とは、すぐに疎遠になる。先生たちも葵のことを気味悪がり、最低限の接触以外避けるようになっていた。

 それは、小学生になってからも続いた。葵はいつも一人だった。教室に入れば、クラスメイトから嘲笑の言葉が飛んでくる。

「おい、霊子れいこ。今日もお化けが見えたのか」

「霊子、俺の運勢見てくれよ。俺災難に遭うのかな? 早く答えろよ! 殴るぞ」

 教師にも相談した。でも、言われることは決まって一つだった。

「お化けが見えるとか、あなたはこれから不幸になるとか。そんなこと言われて、誰が喜ぶと思っているの? みんなと仲良くなりたいなら、皆が嫌な気持ちになることじゃなくて、喜ぶことをしなさい。いつまでも、そんな気持ち悪い嘘ついてたら駄目よ」

 学校に行くのが嫌になった。学校に行けば、自分のすべてを否定されるような気がした。

 そんな時、葵は登校中にいじめの主犯格三人が前を歩いてるのを見つけた。三人の頭上には、あの手が視えた。だが葵は、そのことを伝えなかった。そのことを伝えて喜ぶ人間なんていない。それに――

「キャー!」

「おい、誰か救急車を呼んでくれ! 子どもがトラックにはねられた!」

「まずい、この子息してないぞ」

 ――人をいじめて楽しむような悪人は、死ねばいい。


「葵、葵! 大丈夫か。おい!」

 西田の声に背中を押されるようにして、葵は布団から跳ね起きた。随分と嫌なことを思い出した。早く忘れたい。記憶から抹消したい。何度もそう思った。でも、出来なかった。一時的に忘れることができても、通学路であの交差点に差し掛かる度に視えてしまうからだ。どうして助けてくれなかったのかと訴えているような、あの鋭い目が。

 葵は無言のまま西田の家を飛び出し、自宅に戻った。父親からの心配の言葉も無視して、自室の堅い煎餅布団に包まり、ただひたすらに泣いた。そして、答えの出ることのない問いについて考え続けた。


 わたしのしていることは、本当に正しいの?


 一方その頃、白水はとある仏具店を尋ねていた。友永雄也から聞いた、数珠の購入店だ。数珠繋ぎ殺人の現場に残される数珠と酷似したものを売っている店なら、何か事件に繋がる手がかりがあるかもしれない。暖簾を押しのけ、店内に入った。

「いらっしゃいませ。ゆっくりご覧になってください」

 感じのいい二十代後半から三十代前半とみられる男性が、何かの彫刻をしながら優しく声をかけた。男は白水が頷くのを見ると、また一心不乱に作業に集中し始めた。整った顔立ちと繊細な指先からは大人の風格が、しかし集中しているために半開きになっている口元からは子どもらしさが感じられた。顔も全体的に童顔と言え、子どもらしさと大人らしさが絶妙に共存しいているようだった。

 少し見まわしてみると、あまり見たことのない装飾の施された仏具が点在している。恐らく男の手作りなのだろう。美しく丁寧に手入れをされている仏具に写るの顔は、男の整った顔立ちを見た後には見るに堪えないものだった。

 白水は余計な考えを吹き飛ばすように首を大きく横に振り、男の方に近づいて話しかけた。

「すいません、数珠はどちらに置いてあるのでしょうか」

「ああ。数珠は、お店の方には置いていないんです。拘っていましてね。お客さんのお話を伺って、一つ一つ手作りします。作り方や材料に何を使っているかは、企業秘密ということで」

 男は人差し指を立て、口元に持っていった。一々愛らしい仕草をする男に白水は少し苛立ちを覚えたが、グッとこらえて話を続けることにした。ここからも手掛かりが得られないなら、そこからの進展は考えられなかったからだ。

「手作りということは、お時間もかかるんでしょうね」

「まあ、そうですね。ですからすぐ必要な方には、出来合いのものを買われることをお勧めします。今では、数珠も百円で買えるものですからね」

「そうですか。でも、困りましたね」

「どうされましたか?」

「きっと、あなたのものじゃなければいけないんですよ。それも、これしばらく、大量に必要になるのですが……」

 男の目付きが一瞬で鋭くなり、白水を捉えた。そのあまりの豹変っぷりに、白水は思わず狼狽えてしまった。少し鎌をかけるだけのつもりだったが、どうやら思わぬ大当たりを引いてしまったらしい。

「……あなた、お名前は?」

「それが何か関係ありますか」

「いえ、特にありませんでしたね。ところで、用件は何でしょうか」

「ですから、先ほども言いましたよね。あなたの数珠が大量に必要なんですよ」

 男は、じっと白水を見つめた。白水は表情を読み取られまいと努めて冷静に振舞い、男が油断したところを確実に確保する算段をつけた。

「なるほど。表情を読み取られまいと努めて冷静に振舞い、私が油断したところを確実に確保する算段をつけている。つまり、あなたは警察ですね」

 白水は半身を引いて、身構えた。

「ところで白水さん、あなたには数珠は必要ありませんよ。だって、あなたの頭の中には一人も、誰一人として恨んでいる人間なんていないじゃないですか。まあ、強いて言うなら、その口の臭い上司の説教を聞きたくないと思っている程度でしょうか」

 白水は呆気にとられ、何も言い返せなくなった。愚痴を誰かに話したことなど一度もない。しかし、男が言うことは自分の本音を的確に表している。自分の思考が読み取られているとしか思えなかった。

「あら。黙ってしまいましたか。まあ、それも仕方ありませんね。ただ、このままでは不公平だ。私ばかり、相手の情報を得ている。私からも、情報を差し上げましょう。あなたはもう知っていると思いますが、私の名前は三安久業さんあくかるま。私にはあと一人だけ、仲間がいます。これくらいで、如何でしょうか」

「それが本当だという保証は? どこにある!」

「信じないのなら、それでもいいですよ。私からは、それ以上のことを語ることができません」

「……なぜそこまで話す。目的はなんだ!」

「ですから、先ほども言った通りですよ。私ばかり情報が増えるのは不公平です。神は、すべての人間を平等に扱います。しかし、数奇な運命ですね」

 三安久は邪気を孕んだ笑みを見せながら、その透き通った目を白水に向けた。

「まさか同じ町内の、初詣の時にお世話になっている三神神社の娘さんが、そちら側につくなんてね」

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