第8話 避けられない

「島田さん。あなたの本当の動機は、冴島さんが自分との約束を破ったからでしょう」

 葵がそう言うと、島田の顔つきが一気に変わった。先ほどまで涙ながらに友永鈴音に対する罪の意識を語っていたとは思えないほど、その顔は狂気に満ち溢れていた。

「どういう意味だ」

 島田の発した短い言葉。だがそこには、とんでもない殺気が込められていた。少しでも不用意なことを言ったら殺す――そう言っているかのようだった。

「あなたが耐震偽装の件をマスコミにリークしたのは、自分の正義感からではありません。冴島さんにそそのかされたからでしょう。この問題を公にすれば、経営幹部たちを一網打尽にできる。そうすれば、自分たちがその座につくことができる。そんなところでしょうか」

「ははは。それは君のただの想像だろう。それとも、それにも何か証拠があるのかな?」

「いえ、証拠はありません。おっしゃる通り、これはただの想像です。でも、あなたが友永さんのために事件を起こしたわけではないことだけは、確かです」

「だから! 何を根拠鵜にそんなことを言うんだ」

 島田の語気が徐々に荒く、足も地団太を踏むようになってきた。相当苛立っているようだ。

「あなたが本当に友永さんのことを思って事件を起こしたのなら、どうして会社で言った独り言の時に、わざわざ友永さんに疑いが向かうような言い方をしたんですか。私たちが聞いているのを分かっていながら、どうして。……それは、あなたが友永さんに罪を着せようとしたからです。それ以外、考えられません」

 葵がそこまで言ったその時、突如島田は友永の首に手を廻して締め上げ、ポケットから刃物を取り出して突きつけた。

「動くんじゃねえぞ。ゴミども」

 島田はまっすぐ葵たちの方を見つめ、冷たくそう言い放った。その鋭い眼光と言葉の冷たさは、血の通った人間にはとても真似できように思われた。

「島田さん、どうして。どうしてこんなことを。あなたが鈴音を思っていると言ったあの言葉は、嘘だったのか」

「嘘に決まってんだろ。お前がそんなお人好しだから、示談交渉の時に簡単に騙されるんだよ。いいことを教えてやろう。俺はあんたの娘のことを、これまで片時も忘れたことは無かったよ。だってそうだろ? あいつが死ななきゃ、あの事故がそこまで大きく騒がれることも、俺様のキャリアが無駄に傷つくこともなかったんだからな!」

 島田のその叫びは、友永の口を閉じさせるのに十分だった。

「冴島も冴島だ。あいつの作戦のためにわざとマスコミにリークしたのに、その後あっさり切り捨てやがった。事故の後に悪かったって言いながら、百万円を俺に渡したんだ。たった百万だぞ? 俺様の働きに対する金額が、たった百万。その後は適当に人事の波に流してれば、その内辞めるだろうと踏んでたんだろうな。事件の日、俺が話しかけても全く気付かなかったよ。あいつは、自分が踏みにじった仲間の声を忘れてやがったんだ!」

 島田の叫びは海にまで轟き、水面をざわつかせた。だがそれ以上に、その場にいる全員の心がざわついていた。この男は、本当に人間なのだろうか。人間のふりをした別の何かではないのだろうか。そう思いたい気持ちで一杯だった。

 だがどれだけ願っても、島田が人外の何かに変身することも、未確認飛行物体が迎えに来ることもなかった。島田は紛れもなく、人間だった。

「どいつもこいつもふざけやがって! 俺様を馬鹿にするやつは、ブライドを踏みにじる奴は、全員殺してやるよ!」

 島田が叫んだその時、物陰から飛び出した何かが島田の脇腹辺りにぶつかった。それに煽られる形で島田は倒れ、友永が解放された。白水はすぐさま島田を無力化しようと構えて近付いたが、島田の様子を確認した途端、構えるのを止めて駆け寄った。

 そして頸動脈の辺りに手を当て、すぐにポケットから取り出したハンカチで横腹を押さえて止血し始めた。

「西田! 救急車だ、今すぐここに救急車を呼べ!」

 白水が叫ぶ声を聞いて、西田はすぐにスマホを取り出して消防へ通報した。これほど学校の授業の知識が役立ったことは無かっただろう、西田はあまり慌てることなく通報することができた。ただそれは、現状を何も理解できていないことにも起因していた。

 もしこの時点で島田が何者かに刺されて多量の出血をし、虫の息になっていることを知れば、ここまで落ち着いた対応はできなかっただろう。

「幸恵……なんでここに」

 友永のその言葉を聞いて、島田以外の全員が見た。血まみれの包丁を持ちながら、床に力なく座り込む、友永幸恵の姿を。

「あいつが鈴音を殺した。鈴音はあいつに殺された。あいつがあの家を売らなかったら、鈴音は死ななかった。なのにあいつは、鈴音を馬鹿にした。恨んだ。唾を吐いた。鈴音の明るい未来を奪っておきながら、あいつは、あいつは! だから今度は奪ってやる。弁護士の時はあの目が邪魔だった。だから失敗した。けど、今度は確実に、私の手で!」

 幸恵はそう言ったが、目の焦点が定まっているようには見えなかった。言葉も途切れ途切れで、同じ意味の言葉を何度も反復することもあった。錯乱状態であることは、誰の目に見ても明らかだった。

「死ぬな、生きて罪を償え。罪を犯したお前にできることは、それだけだ」

 意識が朦朧もうろうとしている島田に、白水が力強く語りかける。しかし、反応という反応は返ってこなかった。

「なんでそんな奴助けようとするの。そいつのせいで、たくさんの人が死んだ。なのに、なんで。私たちのことは、誰も助けてくれなかったのに。なんで、なんで加害者が守られるのよ」


 やがて救急車が到着したが、島田は既に意識を失っていた。



「そうそううまくいくもんでもないな」

 葵と西田を自宅まで送る車内で、白水がつい愚痴を漏らした。数珠繋ぎ殺人の犯人は突き止めて止めることができたが、もう一つの凶行を止めることはできなかった。その後悔の念と自分の不甲斐なさを責める感情が、その言葉から滲み出ているようだった。

 葵は押し黙り、俯いている。西田は腕を組んで、何やら考え事をしている。こうして捜査協力などしているが、彼女たちはまだ中学一年生なのである。その心には、目の前で人が差される光景に耐える力などないだろう。

 やがて、西田が口を開いた。

「葵。今晩はもう遅いから、うちに泊まっていかないか」

「……急にどうしたの。こんな時に発情したの? 気持ち悪い」

「すぐそういう話にもっていくな。とにかく、今晩は泊まれ」

 葵は断ろうとしたが、西田の目が訴えかけていることの真意を掴み、ただ一言こう言った。お父さんに連絡しといて、と。

 葵の父親からは簡単に了承が取れたので、二人は白水に送り届けてもらい、西田の家の前で降りた。距離で考えると、西田と葵の家にそこまでの距離は無い。だから、夜道が心配だからという理由はほとんど意味をなさない。つまり、西田が葵を泊まらせた本意は別にあるのだ。

 だが西田は、すぐにその本意を伝えることはしなかった。葵に先に風呂に入らせ、自分も後から入った。そして姉から借りたスウェットを葵に差し出し、自分のベッドを葵に譲って寝るように言った。西田は床にそのまま寝ころび、毛布を被っていた。普段なら間違いなく言うであろう、一緒に寝ようという提案がなされることは無かった。ただ西田は葵に背を向けて床に寝そべり、微動だにしなかった。

「で、電気消すよ」

 気を遣った葵がそう言って電気のスイッチを押した。西田と暗い部屋に二人でいるなどあまり考えたくなかったが、今の西田の姿をはっきり見るよりはましに思えたのだ。電気を消しても、西田はすぐに言葉を発することは無かった。葵は気まずく思いながらも、ベッドに戻った。

「なあ、葵。俺、気になることがあるんだ」

 葵がベッドに戻って布団を頭から被ると、西田が言った。葵は頭だけ布団から覗かせて、ぶっきらぼうに続きを促した。なにが、と言って。

「幸恵さんの言葉。弁護士を狙ったときは、あの目が邪魔だった。確かにそう言ったんだよ」

「それで?」

「その目って、葵のことじゃないのか」

「……」

「教えてくれ、葵。災厄が事前に分かるお前が、なぜ二度も人を見捨てようとしたのか」

「……災厄が訪れることは分かっても、何が起こるかまでは分からない。だから、防げないこともある。それだけよ」

「幸恵さん事を黙っていたのは?」

「一瞬だったから、誰か分からなかっただけ。もういいでしょ、早く寝たいんだけど」

 葵はそう言い、三度布団を頭から被った。

「……俺は信じてるよ、葵。葵はただ純粋に、人を助けたいだけだって」

 西田はそう呟いて、目を閉じた。今日は疲れた。ゆっくり眠れそうだ。

 微睡み《まどろみ》の中で、西田は葵の心の叫びを確かに聞いた気がした。

「私の能力で数珠繋ぎ殺人を止めて救われるのは、本当に助けなきゃいけない人なのかな」

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