第6話 天岩戸が開くとき
田辺を応援に引き渡した白水たち一行は、三度関西一円建設株式会社を訪れていた。当然、田辺が提出した証拠を基に、現社長の三舟を追求するためだ。
「田辺弁護士が、すべて話してくれました。お宅の払った賄賂のこと、被害者の会に偽の示談条件を提示してサインさせたこと」
「そうですか、先代の社長はそんな汚いことを……実に残念です」
「あくまで自分は知らなかったと、白を切る気ですか。無駄ですよ。当時常務だったあなたが田辺さんとの交渉役になったことまで裏が取れていますし、社長になった今も定期的にお金を払っていることは知っています。もちろん、正式な依頼のふりをしてね」
「もう既に、証拠があると」
「ええ」
白水がそう言うと、三舟は大声で笑った。その笑い声は初めて会ったときに聞いた豪快なものではなく、どこか邪気を孕んだようなものだった。
「まあ、逮捕状を持ってきたら、大人しく私も従いますよ」
三舟は不敵な笑みを浮かべながら、そう言った。自分は絶対に捕まらないという自信があるようだ。そして、それは事実かもしれない。田辺を取り調べていた白水の部下たちから連絡が入り、捜査に横やりが入ったと報告があったからだ。おそらくは、三舟と繋がりのある国交大臣・安久路田からの圧力だろう。
「まあ。あなたが関わっているかどうかは、この際不問にします」
白水のその言葉に、田辺との関係を尋ねにくるのだろうと高を括っていた三舟は虚を突かれた。目を丸くし、開いた口が塞がらないようだ。
「私が聞きたいのは、先代の社長がそんなことをするなら、誰に何をやらせるかということです。つまり、隠蔽の実行犯に誰を指名したのかということ」
「ですから、関係のない私には分からない話で――」
「あなたに、想像してほしいんですよ。当時の社内を知るあなたのほうが、私たちよりも正確に予想できるでしょうから」
白水は苦虫を噛み潰したような表情で、膝の上の拳を力強く握りしめながら言った。ここにくる車内で、葵に説得されたのだ。事実が明るみになったところで守られる立場にいる三舟が数珠繋ぎ殺人を起こす可能性は低いから、その追及を諦めて情報を引き出すべきだと。そして殺人犯を突き止め、悲劇を止めるのが先決だと。
三舟はしばらく考え込んだが、この辺りが落としどころであろうと考えて、その重い口を開いた。
「……もし仮に、当時の社長がそれを画策して命令していたのだとしたら、まず命令を受けるのは島田でしょうね。あいつはあの一軒家を販売した張本人ですから、耐震偽装がバレないようにしろと言われるでしょう」
「でも、それは失敗した」
葵がそう相槌を打つと、三舟は静かに首を振った。
「三神さん。私は今、仮定の話をしているんです。そんな断言口調は止めていただきたい」
「すいませんでした。少し先を急いでしまいましたね。黙っているので、続けてください」
「……島田の隠蔽が失敗して耐震偽装が公になったとしたら、次に命令を受けるのは冴島でしょう。おそらくは、ほとんどの隠蔽工作をあいつが実行することになる。あいつは家庭がうまくいっていなくて、そのフラストレーションを仕事にぶつけていました。あいつほど、出世のためになんでもするという言葉が似合う男はいませんでしたからね」
そこで三舟は息を呑み、出しかけた言葉を飲み込んだ。被害者たちとの和解の隠蔽について話しそうになったのだろう。葵は少しそれを期待していたが、三舟は寸でのところで踏みとどまった。
そこからしばらく待っても三舟は何も話さず、ただ時が過ぎるのを待っているようだった。少なくとも、葵にはそう見えた。だから葵もそれ以上期待することは諦めて、三舟にただ一つだけ問いかけた。
「もし隠蔽工作を命じられた人が失敗した場合、その人はどうなりますか」
「日本の法律上、簡単にはクビにできません。だから、飼い殺しにされるでしょう。そいつが得意とする業務から外したり、一生出世することないと分からせることで自主退職を促す。まあ、そんなところでしょうか」
そう言うと三舟は立ち上がり、社長室の扉を開いて三人の方を見た。
もう帰れ。
言葉は無くても、葵たちにははっきりと聞こえた。
葵たちはその発せられていない言葉に素直に従い、社長室を後にした。時刻は午後七時。いくら今日が土曜日で明日が休みだとはいえ、そろそろ葵たちは家に帰るべきだと判断され、白水の自家用車で自宅まで送られることになった。
その車内では、雑談という名の捜査会議もどきが行われていた。
「三舟さんから聞いた話を総合すると、俺たちに情報を流した島田は耐震偽装の隠蔽に失敗して、現在飼い殺しにされている。そしてその後の後始末を担当した一番の汚れ役の冴島が、今回数珠繋ぎ殺人の最初のターゲットにされて殺害される。そして、そこに加担した三舟と島田が現在の被害者候補、ということだね」
「そうだけど、なんであんたが仕切ってんの。気持ち悪い」
「話しただけで気持ち悪いはひどくないかな、葵?」
いきなり仕切りだした西田に葵が嫌悪感を示すと、白水が更に続けた。
「事件の概要を整理する。十年前に耐震偽装問題で多くの犠牲者を出し、それを隠蔽した関係者たちが次々に殺されている。つまり犯人は、この耐震偽装に関係する人間で、さらに言えば被害者の中にいると考えるのが自然だ。そして、その被害者遺族の中に一人、重要な証拠を持っている人間が存在する」
白水は、そこで息を継いだ。そして続きを話そうとしたが、葵が話を遮った。
「友永さんが持っていたのは、本当に数珠繋ぎ殺人の現場に残されるものと同じだったのでしょうか」
「ああ。俺は何度も現物を、この目で見ている。間違いない」
「では、何故それをわざわざ私たちに見せたのでしょうか?」
葵の疑問はもっともだった。友永が犯人であるなら、わざわざそんな重要な証拠を警察に見せる必要などない。自分から犯人であると言っているようなものだ。あの最初の聞き込みでそのようなことをする合理的な理由は、どう考えても見当たらなかった。
「そうすることで、今みたいに捜査のメスが入って、真相解明される可能性にかけた……とか?」
「そう考えることも出来ます。ただそれなら、あの殺人事件だけで十分のはずです。わざわざ自分が犯人であることを名乗り出る必要はありません。それに、もし本当に友永さんが犯人なら、もう一つ疑問が残ります」
「もう一つの疑問?」
「あの隠蔽工作の裏事情を、友永さんがどうやって知ったのかです」
確かに、警察でも調べるのに苦労したこの事実を、友永はどこで知ったのか。比較的簡単に口を割った島田や田辺でさえ、被害者に直接そのことを話すとは思えない。それにもし二人のどちらかから情報を得ようとしたなら、最初のターゲットになるのはその情報源である方が自然だ。
つまりは、脅迫してすべての真実を話させた後に殺す。数珠繋ぎ殺人を企てているなら、そのほうが自然なスタートだと言える。どうせいつかは順番が回ってくるのだから。
「まさか、まだ未発見の犠牲者がいるとか?」
西田がそう言うと、白水はそれを否定した。隠蔽に関係したと思われる人間全員の所在は確認できているし、被害者の会に参加した人間たちもそれは同じことだ。情報源になり得る人間の中で、所在不明となっている人間は誰一人としていない。
白水がそう話した時、葵が突然車を止めるようにと叫んだ。白水は急ブレーキを踏み、周囲の安全を確認する。しかし、何の危険も確認できなかった。
「葵さん、なんにも危ないことないじゃ――」
そこで白水は口を閉じた。葵はドアを開けっぱなしにして車から降り、またどこからか取り出した幣帛を片手に、
極限の集中状態。葵の頭の中では、事件に関係するすべての出来事が目まぐるしく動いていた。
誰が何を言ったのか、その時の表情はどうだったのか、証拠が語るものが何か。
すべてを新たな視点から眺め、そして一言。
「天岩戸が開きました」
再度車に乗り込み、葵は白水に、島田の警護を担当している人間に連絡を取るよう告げた。
「そこで、犯人を捕まえましょう」
葵は力強くそう言い、白水も力強く頷いた。だが西田は少し不安げな表情をしながら隣に座る葵の方に体を傾け、小さな声で話しかけた。
「葵、俺たちに隠していることないか?」
「なによいきなり。犯人については今からじっくり話すよ」
「それは数珠繋ぎ殺人の犯人か? それとも田辺を襲撃した犯人か?」
葵は目を見張った。この男は時々、妙に鋭い観察眼を発揮するから困る。それも大抵、葵が気付いてほしくないことに気付く。
「田辺さんが襲われた時、しゃがみながら葵の方を見たんだ。心配になってな。そしたら葵、何も怯まずにビルの上を見てただろ。あの現場には、数珠は無かった。本当は誰があれをしたのか、あの時から知ってたんじゃないのか?」
「……そんなわけないじゃん。あんたならともかく、白水さんにまで黙っておくなんて、そんなことする意味ないじゃん」
葵がいつもの冗談ではぐらかそうとしたが、西田はそれを見抜いていた。西田の目線はまっすぐに葵に注がれ、その心の中のすべてを見通しているかのようだった。
「まだ話さない。その理由があるんだな。信じてるぞ、葵」
葵は、何も答えることができなかった。
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