第5話 悪徳弁護士の末路

「示談は正当な手続きを踏んだうえで、両者の合意のもと行われました。それを蒸し返さないでいただきたい。私も、関西一円建設株式会社さんも、何も悪いことはしていません」

 一軒家倒壊の際に被害者の会の代理人を務めた、弁護士の田辺富雄たなべとみおはそう言った。

 友永邸を出てすぐに、白水は田辺に連絡を取った。もし賄賂を受け取った話が本当なら、田辺も命を狙われる可能性があると考えたからだ。白水の問い合わせに対し、田辺は事務所まで来れば話に答えると言った。

 だが、白水が田辺の事務所を訪ねた頃には、田辺は既にクライアント先へ訪問に行っていた。そのため仕方なく、白水と葵、西田の三人はそのクライアント先の出口で田辺が出てくるのを待った。

 三十分ほど待って田辺に会うことができたが、田辺はその足を一度も止めることなく、三人の方を一瞥もせずに先ほどの言葉を言った。

 こちらが、だ。

「弁護士という方は、やはり相当頭が切れるのですね。私たちが質問する前に、その答えを教えてくれるなんて。まるで、最初から何の話をされるか、かのようだ」

 白水が嫌味たらしくそう言っても、田辺が足を止めることは無かった。むしろその歩調は一層早くなり、葵がついていくので精一杯になるほどだった。

「もういいでしょう。あなた方が知りたいのはそれだけ。私だって、暇じゃないんですよ。この後もまだ訪問しなければならない場所が――」

「それで、いくらもらって被害者を裏切ったんですか」

 田辺が話を切り上げようとした時に、西田が何の脈絡もなく言う。その一言にはさすがの田辺も面喰い、無意識の内に足を止めていた。

 すぐ脇にあるビルのガラスに写る田辺の顔は少し動揺しているように見えたが、振り返るときには眉間にしわを寄せて相手を睨みつける表情に変わっていた。

 しかし発言したのが子どもだと分かると、途端に全身の力を抜いた。そして溜息交じりに、質問に答えた。

「ぼくちゃんのような賢い子供には、想像もできないような金額だよ」

「へー、もらったこと認めるんだ」

「ふん。子どもとの戯言を真に受けられても困るね。大人にはね、子どもを楽しませる責任があるんだ。だから今のは、君を楽しませるために、君が望んでいる答えを言ったまでだ」

 田辺は口角を片方だけ上げ、西田を見下しながら言った。

「なら、おじさんは人を楽しませる才能がないね。僕は、弁護士は正義の味方だから被害者を裏切ることなんてしないって、そう答えてほしかったんだから。それとも弁護士っていうのは、お金をもらえば簡単に人を裏切る人のことを言うのかな」

「……かわいくない子だ」

 田辺は再び前を向き、颯爽と歩き始めた。だがその背中に、葵が声をかけた。

「あなた、狙われてますよ。命を」

 田辺は再びその歩みを止めた。そして後ろを振り返って発言の主を確認し、西田の時と同じ表情をした。そして白水の方に向き直り、その語気を強めた。

「あんた、本当に刑事なのか? こんな生意気でバカな子どもなんて連れて捜査なんて、一体何考えてるんだ」

「この子たちには正式に捜査依頼をしています。あまりに侮辱的態度をとるなら、それ相応の対応をしなければいけなくなりますが」

「警察が子どもに捜査協力を依頼するなんて、世も末だね」

「金もらって依頼人を裏切る弁護士がいる時点で、世は末だったと思うけどな」

「黙ってろ、クソガキ」

 田辺が西田の発言に苛立ち、口調を荒くした。田辺が初めて見せる感情的な仕草だった。白水はその隙を見逃さず、すかさず核心に迫る質問を投げかけた。

「ところで田辺さん、あなたはあの倒壊事故の後に、急に個人事務所を立ち上げましたよね。調べたところ、事務所を立ち上げる前にあなたの個人口座に三千万円ほどの入金が確認されました。こちらは、どういった経緯のお金でしょうか。賠償金の額や被害者の会の態度から見て、成功報酬というわけではないですよね」

「なんだ。その金が会社から受け取った賄賂だとでも言いたいのか。残念ながら、あれはその前に手掛けた仕事の報酬が遅れて入ってきただけだ。調べればそれくらい分かるだろう。それとも、子どもに捜査協力を依頼するようになった警察では、そんなことも調べられなくなったのか?」

 田辺は更に苛立って答えた。白水はここぞとばかりに矢継ぎ早に質問攻めにして、田辺がボロを出すのを待った。だが、さすがは弁護士。どれだけ感情的になろうとも、決定的なことは何も言わず、白水の追及をうまくかわし続けた。

「もういい加減にしてくれ! これ以上は名誉毀損で訴えるぞ!」

 田辺がそう叫んだ時、それよりもはるかに大きな音を立てて、田辺の背後に何かが落ちてきた。

 ――石ブロックだ。冴島の命を奪ったものと同じ、固く無機質なブロックだ。

 それが大きな音を立てて、小さな破片たちが宙に舞った。一番近くにいた田辺は手で顔を守り、少し離れたところにいた白水と西田は耳を塞いで屈んだ。葵はすぐに近くのビルを見上げた。

 少しの間の沈黙。

 田辺と白水、そして西田はなにが起こったのか、理解するのに時間がかかった。しかし、事態を飲み込んでからの白水の動きは速かった。他の三人にビルから離れるように言い、自分は単身ビルの中に乗り込んだ。

 田辺はすぐにビルから離れ、さっきまでバカにしていた子供たちの後ろに、腰を抜かしながら隠れた。葵の両肩を掴むその両手は、情けなくぶるぶると震えている。足に至っては、生まれたての小鹿のようだ。

「なんだよ……なんでこんなもんが落ちて――」

「だから言ったじゃないですか。あなたは命を狙われているって」

「お前、何か知ってるのか。言え。俺は誰に命を狙われているんだ」

「それは、あなたの胸に聞いたほうが分かるんじゃないですか」

「教えてくれたっていいじゃん。いや、教えてください。この通り」

「あなたがしたことを全部話してくれるなら、教えてあげないこともないです」

 葵がそう言うと、その両肩を抱く田辺の手に力が籠められるのが分かった。言うのに躊躇しているのだろう。そう感じた葵は、西田にそっと目配せをした。西田はすぐにその意図を察し、ポケットに忍ばせたスマホの録音機能をオンにした。

「俺は、あの倒壊事件の時に関西一円から賄賂をもらった。足がつかないように、別件の成功報酬と抱き合わせでもらってな。そして偽の示談条件を被害者の会全員に見せて、同意のサインをもらった後に条件をすり替えた」

「認めるんですね」

「ああ。俺の事務所にはまだ、被害者の会に示した偽の示談条件の書面が残っている。それとそこのムカつくガキがしてる録音があれば、十分な証拠になるだろう」

 田辺の言葉を聞いて、西田が素っ頓狂な声を上げた。田辺はバレていないと思ったのか、と笑いながら西田のポケットからスマホを取り出し、録音ボタンを押して止めた。

「次からはスマホの方を見ずに操作するんだな。バレバレだぞ」

 田辺が微笑みながら言うと、ビルから白水が出てきた。

「駄目だ。犯人の姿らしきものは無かったし、ビルのテナントはほとんど休業してるから証言も期待できないな」

「刑事さん」

 田辺は、静かに両手を差し出した。白水は何も言わず、その両手を押し下げて、自分で歩いて付いてくるように促した。

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