第7話 少女はすべてに気付く

 葵が美月の部屋から出ると、白水、西田、天海の三人は仲良く格闘ゲームで遊んでいる所だった。

「幸四郎さん、強い。反射神経が半端じゃない。なんでそんなに早いの」

「ははは。事故のせいで色々不便な面はあるけど、都合のいいこともあったからね」

「また負けた! 警察官が素人に制圧されるなどあってはならないことなのに!」

 三人は随分と仲良くなったようだ。白水に至っては、天海が事件の容疑者である可能性を完全に忘れているようだった。

 葵は無言で三人の前に歩みだし、ゲーム機のコンセントを抜いた。

「あ、なにするんだ! このスカポンタン」

「ゲームしたいならすればいいよ。永遠に眠ってからね」

「すいませんでした。許して、葵。いや、許してください葵様」

 逆切れからの鮮やかの土下座までの流れは、それをさせた葵ですら感動するほどだった。

「白水さんも何してるんですか。行きますよ」

「はっ! 私としたことが、一体何をしていたんだ。……え、行くってどこへ?」

「それは、車の中で話します」

 そう言って葵は、三人に背を向けて玄関の方へ歩みだした。

「ねえ、葵さん」

 その背中に、天海が冷たく尖った声で呼びかけた。

「美月となに話してたの。時々、泣き声も聞こえてきたけど」

「……幸四郎さんには、話せません」

 葵がそう言って振り返ると、天海の顔がすぐ目の前にあった。思わずたじろぎ、葵は三歩ほど後ろに下がった。

 だが天海は一切動かず、葵を見つめていた。その目にはなにか人を惑わせるような、道を踏み外させるような不思議な魔力が備わっているように感じられた。

「妹を泣かされる奴は、誰であろうと許さない。君のような子供でも、ね」

 天海は再度葵に近づき、顔を寸でのところに持ってきた。

「もう一度だけ聞くよ、葵さん。妹と、美月と、なにを話したの」

 言葉遣いや口調こそ穏やかだが、言外からは圧倒的な圧が放たれていた。しかしそれは葵にだけ向けられたもののようで、天海の後ろで帰り支度している白水と西田はなにも感じ取れていないようだった。

「い、言えません。女の子同士の、デリケートな話、ですから」

 葵はその圧に負けそうになりながらも、たどたどしい口調でそう答えた。

「そう。美月の悩みに、葵さんは役に立てたかな?」

「た、多分」

「それならよかった」

 天海は最初に玄関で出迎えた雰囲気に戻り、葵に背を向けた。

 そして玄関先まで三人を見送り、爽やかな笑顔で別れを告げた。


 再び車で十五分。三人は、鉄工所に戻ってきていた。時刻は午後四時。この鉄工所は作業中のミス防止の観点から、定期的に休憩時間が設けられている。今も、その休憩時間の真っ只中だった。

 作業員たちが缶コーヒーや煙草、スマートフォン片手に思い思いに休憩している姿を見ながら、三人は目的の人物を探した。

 その人は、喫煙スペースを一人で占領していた。

「富田さん、少しお話しよろしいですか」

「なんだあんた、また来たのか。はっ、ご丁寧に子供まで連れて。なんでそんなガキに話さなくちゃならな――」

「美月さんから、すべて聞きました」

 葵のその言葉を聞き、富田は瞬時に体を翻して葵を睨みつけた。その眼光は鋭さこそあったものの、葵に恐怖を感じさせることは無かった。むしろ、恐怖を感じているのは富田の方だった。

「あの事故は、あなたと富田さんが故意に起こしたものだった。そして、工場長である北田さんがそれを揉み消した。そうですね」

「……」

「随分物騒なお話をしていますね。名誉棄損で訴えましょうか」

 葵の問いかけに富田が口を噤んでいると、後ろから北田が声を張り上げて現れた。おそらく、鉄工所の誰かがまた警察が来ていると、告げ口でもしたのだろう。

「中学生という年齢で訴えられたとなると、人生お先真っ暗。とても苦労することになりますよ」

「北田さん、それは脅しですか」

「脅しではありませんよ。教育です。まだ社会のしゃの字も分かっていないあなたに、教えてあげているんですよ。子供が大人の世界に首を突っ込むとどうなるのか、その年齢で警察のまねごとをするのがどれだけ危険かをね」

 北田は聞き込み時の温和な雰囲気を一切消し去り、三人に対して明らかな敵対心を見せていた。反対に富田の方は、葵の言葉で精神的に追い詰められたのか、全身の力が抜け、反抗心など何処にも宿していない様子だった。

「あれはただの事故です。それよりも、あなた方は早く車君を殺した犯人を見つけたらいかがですか。子どもに捜査の主導権を握られるだけでなく、殺人犯一人捕まえられないほどに、日本の警察は落ちぶれたのですか……おっと、失礼。これでは、大阪府警以外の警察の方々に失礼でしたね」

「そんなことを言って、怒らせようとしても無駄ですよ。ね、白水さん」

「あ、ああ。大丈夫。俺は大人だからな。こんなことで、いちいち怒っちゃいられねーよ。なあ」

 そう言って白水が苦し紛れに西田の肩を叩くと、西田が悲鳴を上げながらもんどりうった。北田はそれを見て右の口角だけを上げ、鼻で笑った。

「なるほど。あなたが先頭に立つのはあながち間違っていないようですね、お嬢さん。では、お聞かせ願いましょうか。あなたが何を根拠に、富田が故意に事故を起こしたと言っているのか。今更二年前の事故を掘り出してまで、ね」

「証言をもらいました。あの事故は、故意によるものだった」

「富田がそう言ったのですか?」

「はい……正確には、私は又聞きしただけですが。富田さんと車さんから、天海さんをあんな目に合わしたのは自分たちだと、そう告げられたそうです」

 北田はチラリと富田の方を見た。富田は虚空を見つめながら、じっとしていた。先ほどの葵を睨んでいた時とは打って変わり、その目には生気が感じられなかった。

「それで、その証言が本当だという証拠はあるんですか。例えば、二人がそう言った録音が残されているとか」

「ありません」

「では、話になりませんね。富田君、仕事に戻りなさい。今のことは忘れてね」

 富田は促されるまま、おぼつかない足取りで作業場に戻って行こうとした。が、葵が呼び止めたことでその歩みを止めた。

「富田さん、本当は気付いているんじゃないですか。車さんの殺人は、二年前の事故をきっかけに起こったこと。だから、自分もそのターゲットに入っているかもしれないって。本当は、分かってるんじゃないですか」

「富田君、耳を貸すな。こんな子どものつまらない囁きに心を惑わすようだから、お前は道を踏み外すんだ。黙って仕事に戻れ。次は無いぞ」

「富田さん! 本当のことを話してください!」

「富田! さっさと仕事に戻れ!」

 富田は、一歩も動けなくなっていた。答えの出ない問いが頭の中をぐるぐる回り、自分が今何を考えているかさえ、分からなくなっていた。富田に唯一できたことは、視線を伏せて動かないことだけだった。

「あ、富田さん。偶然ですね。あのゴリラ刑事に叩かれて痛がっていたら、こんなところまで転がって来ちゃいましたよ。全く、バカ力が過ぎますよね」

 富田の足元に、もんどりうっていた西田が転がってきた。富田は咄嗟に顔を手で隠したが、西田はその目にあった光るものを見逃さなかった。

「富田さん。実は僕、今でこそ探偵みたいな立ち位置にいますが、この前の事件では被害者だったんですよ。その事件は、過去に犯した罪を隠蔽しようとした人がいたから起こった事件でした。たった一つの犯罪を隠すために、三万人が巻き込まる大騒動になりました」

「だからなんだ。ガキはすっこんで――」

「でも僕が印象に残ったことは、その罪を暴かれた人が笑顔で次の日を迎えられたということです。そして、その罪を暴いた人と友達になったんです。きっと罪を隠すのって、とてつもなくしんどいんですよね。警察に捕まって、罪を償うよりも……」

 富田は、膝から崩れ落ちた。それを見た北田は「あいつが何を話すかは知らないが、俺は何も知らなかった。いいな」と捨て台詞を吐き、事務所に戻っていった。

「あいつを……天海を車が持っている鉄パイプ目掛けて突き飛ばしたのは俺だ。あいつは、そのことを全部思い出してる。俺に電話で言ったんだ、次はお前の番だって。俺は……俺は……」

 涙ながらに語る富田に、葵が無慈悲に告げる。

「私が聞きたいのは、その先のお話です」

 その後、しばらく富田と葵の問答は続いた。富田からの話を聞き終わった葵は、何処からか棒切れを取り出した。

「なにそれ?」

幣帛へいはく。お寺の祈禱のときなんかに使ってるの見るでしょ」

 葵はそう言うと、幣帛を構えて目を閉じた。そして三神神社に伝わる巫女舞、三神流三方聖刀みかみりゅうさんぽうせいとうまいを舞いながら、事件の情報を改めて整理した。

「天岩戸が開きました」

 その一言は、葵が事件の真相に辿り着いたことを意味していた。

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