第6話 幸四郎の裏の顔
「失礼します」
葵がかしこまりながら美月の部屋に入る。
部屋の中はとても整理されていて、壁際の本棚からは知性を、窓際のぬいぐるみからは可憐さを感じ取ることができた。勉強机の上にはパソコンが一台。提出物でも作成していたのか、画像編集ソフトが起動している。
「ごめんなさいね、あまり客人を招くことが無いから……まあ、そこにでも座って」
美月は葵にベッドに座るよう促し、一度背を向けてパソコンをスリーブモードに切り替えて再度向き直した。葵は促されるままにベッドに座る。
フカフカのマットレスから伝わる感触が、暗くなりかけた葵の心を優しく包み込んだ。シーツの肌触りもとてもよく、寝具には相当なこだわりがあるように思えた。葵は、普段自分が寝ている煎餅のように薄く固い布団を思い返しながら、今日からここで寝たいと、心の底から思った。
「あなたも大変ね。警察のパパの付き添いに捜査に連れていかれるなんて……働き方改革とかいうけど、それが必ずしもいい影響をもたらすとは限らないわね」
美月から、葵にとってはデジャブと思える発言が飛び出した。やはり、二人は兄弟なのだ。それも、感性がものすごく似ている。
葵は美月に捜査協力している旨を伝えた。その時の反応も、兄の幸四郎とそっくりだった。
「そんな年で捜査協力なんて……あなた、いわゆるギフテッドってやつ? 子供ながらに超天才? それとも日本の警察がおかしいのかな? え、もしかして私がおかしいのかな」
「混乱するのは分かります。私だって、まだ状況を完璧に理解できたわけじゃあありませんし。とにかく、そのことは今は置いときましょう」
「ああ、そういえば私と話したいことがあるんだっけ。その話はなに、捜査関係の話? それとも、さっきの子との恋愛相談とか――」
「あいつと恋人になるくらいなら死にます」
「それはちょっとかわいそうじゃない?」
美月は呆れながらも、葵の隣にゆっくりと腰を下ろした。立っている時はとても大きく感じられた美月が、座ってみると目線がほとんど同じであることに、葵は気付いた。
「足が長いんですね、羨ましい。私みたいなチビにとっては、美月さんみたいなモデル体型は憧れですよ。きっと、モテモテなんでしょうね」
「案外、いいことばかりでもないよ。言い寄ってくる男は私の外見にしか興味が無くて、中身を全然見てくれない。私のことなんて、何も理解してくれない。それにお兄ちゃんだって――」
美月が言葉を濁したので、咄嗟に葵は美月のことを見た。目は床の一点を見つめているが、どこか焦点が定まっていない。両手はお腹の前で組み、少し震えていた。
「美月さん、大丈夫ですか」
葵がそう声をかけると、美月は一瞬身を強張らせた後、髪型を整えながら取り繕った。それは身だしなみを気にしているというよりは、自分で頭を撫でて安心したがっているように見えた。
「あ、ありがとう。大丈夫だよ。それで、聞きたい話って?」
「……今のを見たら、ものすごく聞きづらくなりました。また日を改めます」
「ああ、お兄ちゃんのことが聞きたかったんだ。記憶喪失でなんの話も聞けなかったから、私に聞こうってことね。大丈夫、話せるよ」
美月の美しい瞳が、葵を見据えた。先ほどまでとは違い、確かに焦点も定まっている。一言で言えば、覚悟が決まっている目に思えた。
「では、お兄さんの幸四郎さんのことについて聞かせてください記憶喪失になる前に、どんな人だったのか……。あなたに、何をしたのか」
「ふふ。あなたが捜査協力する理由が、少しだけ分かった気がする。まさか、初対面の段階から、私とお兄ちゃんの間に何かあったことを分かっているなんてね」
「それに気づいたのは、私ではないんですけどね」
「……あの子も、ただのエロガキじゃなかったってことか。子どもだって油断していると、全部見透かされそうで怖いわね」
美月が、無意識に葵から身を引いた。少し、心の距離が離れてしまったようだ。
「お兄ちゃんのこと、葵さんの目にはどう映った?」
唐突な美月の質問に狼狽えつつも、葵が答える。
「とても礼儀正しくて、穏やかな方。誰にでも分け隔てなく優しい。きっと、美月さんのことも大切にされているんだろうなと、そう思いました」
「今は、ね」
「やはり記憶喪失になる前は、幸四郎さんに何か問題があったんですね」
「問題があったんじゃないわ」
そう言うと美月は立ち上がり、窓際のぬいぐるみから手頃なものを選ぶと、胸元で強く抱きしめた。それはそれは強く、ぬいぐるみから断末魔が聞こえるほどに強く抱きしめた。
「問題しか、なかったのよ」
身構える葵。直感で、この話が事件解決に直結することが分かった。同時に、これまでの中で最も耳を塞ぎたくなる話であることも、理解していた。
「あいつは、元々とんでもない悪人だった。小学生の頃には万引きに傷害事件、中学生になったら、そこに更に強姦まで加わった。学校や警察からの呼び出しなんて、何回あったか分からない。そんなあいつを父は見限り、離婚して家を出た。私とお母さんを、あの怪物の所に置いてね。それからすぐに、あいつはお母さんに暴力を振るい始めた。最後の抑止力だった父が居なくなったことで、あいつはもう、何処でも人間に戻ることができなくなったのよ」
固唾を呑んで、話を聞く葵。その体も少し震え始めていた。美月は変わらずぬいぐるみを抱きながら、窓の方を向いて話している。
「そうして家の中でも暴れまわるようになったある日、私の人生最大の汚点になる事件が起こった。年頃の女の子の前で言うのは少しはばかられるような、そんな大事件がね。それ以来、高校生以上の男性のことは受け入れられなくなっちゃったの。言い寄ってくる男の顔にも、あの時のあいつの顔がダブって見えるようになった……」
美月は、窓際の方を向きながら話し終えた。その窓には、なにかキラリと輝くものがあった。
「……今の幸四郎さんからは、想像もできませんね」
「ええ。今のあいつは、まさに理想のお兄ちゃんだね。どこに出しても恥ずかしくないし、やっと私も家に友達を招いたりできるようになりそう」
「……今のお二人ならきっと、お母様も天国から安心して見ていられますよ」
「え? どうしてお母さんが死んだことを知ってるの?」
「まあ、これが捜査協力の理由ですね。私には、普通の人に見えないものが見える。そういうことです。今もそこに、お母様がおられますよ」
葵は部屋の隅を指さした。美月もその指先に目をやるが、当然何も見えない。歩み寄って手を出してみるが、何も触れることはできない。
だが美月の中には、なぜかそれを嘘だと断じる考えが芽生えなかった。その言葉を信じ、涙を流すことしかしなかった。
「お母さんは、私に何か言ってるの?」
「すいません、私は見えるだけなんです。声は聞こえません。ただ――」
美月が、葵の方を振り返る。
「泣いています。お母様はずっと、私がこの部屋に入ってきてからずっと、泣いています。美月さん、あなたを見つめて」
「お母さん……気付いてあげられなくてごめんね。ずっとここにいたのにね……ごめんね。ごめんね。ごめんね」
美月はその場に膝から崩れ、ただただ謝罪の言葉を繰り返しながら泣いた。葵は美月が泣き止むまで隣で慰めた。
いつまでも、いつまでも――
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