第3話 事件の背景にあるもの

「ここが、大阪府警の本部庁舎……」

 目の前にそびえる巨大な建物は、まるで未知の怪物かの如く葵の恐怖心を煽った。隣の西田に目をやると、まるで水を得た魚のように目を輝かせていた。どうやら、感情の共有はできそうもないらしい。

「こちらです。どうぞ」

 家まで迎えに来た神原が、二人を本庁舎の中へ案内した。

 今日は日曜日。のんびりと休んで宿題でもしようかと思った矢先、警察車両が三神神社の前に止まった。話がいつも急すぎると思いながらも、葵は神原に促された通りに車に乗り、こうしてやってきたわけだ。

 余談だが、警察車両に乗った葵を父親が涙ぐんで見送ったことで、ご近所では何かよからぬ噂が流れたらしい。それが三神家の宿命だから、などと格好つけて警察からの依頼を承諾したのなら、見送りも普通にしてほしいものである。

 とにもかくにも、そうして車で送られてきた葵と西田は、大阪府警の本部庁舎内部を歩いていた。

「なあ、葵。さっきからすれ違う女性警官たちが、俺の方に必ず視線を向けてくるんだよ。これ、脈ありかな」

「ああ、そう。良かったね」

「やっぱり……モテるって、罪だな」

「そうだね」

「適当に返事してるよね?」

 西田は女性警官が自分に気をかけていると舞い上がっていたが、葵はそれが勘違いであることを分かっていた。何故なら自分にも目が向けられるし、その目は好奇の目だからだ。男性の警官に至っては、葵に軽蔑の目すら向けてきた。

 だが、それも当然だろう。天下の大阪府警が、中学生に捜査依頼しているなど、そう簡単に受け入れられるわけがない。反発があって当然、むしろそちらの意見の方が真っ当だろう。

 今は自分たちに背を向けて案内をしてくれている神原さんも、先週の部屋を出る時の視線を考えれば、自分たちを受け入れてくれているとは言い難いだろう。ここは、それだけアウェーな空間ということだ。

 そんなことを考えていると、神原がとある一室に入るよう告げ、すぐに踵を返して何処かへ去っていった。葵と西田はその背中を見送った後、恐る恐るその部屋の扉を開いた。

「おう、来たか。待ってたよ」

 そこは如何にも捜査会議をしていそうな広い会議室で、机と椅子、コピー機や電話などが所狭しと並んでいた。窓際の電話が並んでいる所には、電話番と思われる人間が三名ほどおり、退屈そうにあくびをしていた。

 そして会議室の前方、事件の情報がまとめられたホワイトボードの前には、机に浅く腰かけた白水がいた。

「すげー! 捜査会議ってやつか。うわっ、ドラマで見たことあるじゃーん」

 西田は部屋のあちこちを見て目を輝かせ、勝手に着席したり、敬礼しながら立ち上がったりと、落ち着きなく動いていた。

「あの、白水さん。こんなところに私たちみたいな一般人が入って、本当にいいんでしょうか?」

 葵はそそくさと白水に歩み寄り、小声でそう尋ねた。すれ違うたびに向けられた軽蔑や好奇の目によって、葵は完全に委縮してしまっていた。今にも全身が音を出して震えだしそうだった。

「大丈夫。大丈夫じゃないけど、俺が大丈夫にするから」

「なんですか、その頼りがいがありそうで全くない言葉は」

「この事件を無事解決できれば、君たちには実績がつく。それを積み上げていけば、やがて君たちが現場に現れることに疑問を抱く人間もいなくなる。ほら、フィクションの世界でも最初は警察と探偵は仲悪いけど、事件解決したら仲良くなるじゃん。あれだよ、あれ」

「それはフィクションの中だからでは?」

「はっはっはっはっはっは」

「笑って誤魔化さないでください!」

 白水と葵の二人が言い争っていると、一通りはしゃぎ終わった西田が後ろから声をかけた。

「あの、ところで呼びだした要件は何ですか? まさか社会見学させるために呼んだんじゃないでしょ」

 いつになく冷静な一言。葵は、西田のことを憎らしく思った。いつもそうなのである。普段は落ち着きのない西田を葵が注意するが、葵が取り乱すと西田が誰よりも一番冷静になる。そこがなんとも憎らしく、相棒としては最――

「最高の相棒だな、君たちは」

 白水の言葉で、葵はより取り乱した。その後西田に肩を抱かれて慰められたのだが、これが葵にとっては近年稀に見る屈辱であった。

「とにかく、本題に入る。先週の葵さんの話を聞いて、被害者と被害者候補たちの間に共通点が無いかどうか調べてみた。そしたら、一件の事故情報がヒットした」

 白水はそう言い、ホワイトボードの一点を示した。そこには事故の報告書と思われる書面があり、その横には事故現場だと思われる写真が貼られていた。

「こんな場所、ありましたっけ?」

「見覚えが無いのも無理はない。これは、あの殺人事件の事件現場でもある。つまり、君たちが行った時にブルーシートで覆われていた中だ」

「場所に繋がりがある」

 葵が小さく呟いた。それに呼応して白水は大きく頷き、声のトーンも上げて事故のことについて話し始めた。

「二年ほど前、当時二十三歳だった天海幸四郎あまみ こうしろうという男性従業員が、工場内で転倒。それだけならよかったが、近くにあった鉄パイプをなぎ倒してしまったことで、運悪くその鉄パイプが刺さってしまい、一時は意識不明の重体にまでなった」

「……何処に、刺さったんですか」

「……頭だ。鉄パイプは脳を貫通した。対応した救急隊によれば、生存は絶望的だと思えるような状態だったらしい。だが、天海幸四郎は生きている。奇跡的に一命を取り留めた上に、懸命なリハビリの末、日常生活まで送れるようになった。今は体に負担のかからない職に切り替え、大学生の妹さんと二人暮らししているそうだ。学費も全部払っているんだと」

「いいお兄さんなんですね。それで、被害者たちとどのようにつながるんですか」

 葵が努めて平静を装いながら、質問した。もちろん、本当のところは話の内容に恐怖を感じていた。これは西田も同じだったようで、大人しく話を聞いていた。

「この事故の発見者が、今回の被害者である車と被害者候補の富田だった。二人は鉄パイプの倒れる音を聞いて現場に駆けつけ、天海を発見。すぐに消防へ通報したと証言した」

「特に矛盾は感じられませんが、なにか引っかかることでもあるんですか?」

「ああ。この報告書、工場長の北野が書いてるんだ」

「……よく分かりませんが、責任者だから当然なんじゃ」

「確かに、工場長である北野は、最終的に報告書に目を通して決済する必要がある。場合によっては、然るべきところに届け出もする。だが、文章まで北野が書く必要は別にないんだ。その証拠に、他の報告書はすべて現場を直接見た人間、つまり発見者が文章を書いて、北野が決裁している。文章まで北野が書いているのは、この天海の事故だけなんだ」

「つまり白水さんは、この事故にはなにか裏があると言いたいのですか?」

 葵の芯を突いた発言に、白水は首を小さく縦に振った。さっきまでとは違い、この先のことを話すことを躊躇っているように見えた。

「確かに、これは被害者の共通点と言えそうなものです。場所も共通しています。でも、それだけでは……」

「違うよ、葵。もっと大事なことがある」

 西田が空気を読まず割り込んできたことで、葵はイラっとして、つい語気を強めてしまった。

「私は今、白水さんと話してるの。なにも話が理解できていないのに、割って入ってこないで!」

「話が理解できていないのは葵のほうだよ」

「なに言って――」

「昨日! ……工場長が言ってただろ。工場に来た時に、になっている車さんを見つけた、って」

 その瞬間、葵の背筋に悪寒が走った。偶然で片づけるには、あまりに状況が酷似しすぎている。この事故は、今回の事件と関係がある可能性が高い。そう直感した。

「……白水さん。この事件を解決するためには、私たちはもっと、嫌なことを知るしかないのかもしれません」

 白水は、小さく頷いた。

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