第23話 呪いのように根付いたもの
ジャンルイジ大公を部屋から出す計画は一時中止となった。
何があったのかルドヴィカには理解できなかった。
部屋を出た直前は確かに緊張していたが、それでも出た直後は問題なく表情も安堵していたのに。
部屋へ戻ったジャンルイジ大公は顔を青ざめて、両手で顔を覆って俯いていた。
今の状態では散歩どころではないだろうと考え、控えていた使用人と騎士に下がるように伝えた。騎士二人に関してはジャンルイジ大公をベッドへ移す際に呼ぶので部屋の外で待機してもらう。
部屋の中にはルドヴィカ、ジャンルイジ大公、ルフィーノ、パルドンのみが残った。
ずっとジャンルイジ大公の様子を眺めていたルドヴィカはぽつりとつぶやいた。
「無理を、させてしまったのね」
ようやくルドヴィカは自分の計画が早急すぎたと反省させられた。
「一点気を付ければ問題はありませんでした」
ルフィーノの言葉にルドヴィカは首を傾げた。
その一点とは何?
あらかじめ知るべきだったことを見逃してしまった。
「以前、話しましたよね。言霊魔法の影響で大公がこうなってしまったと」
ルフィーノの言葉にルドヴィカはこくりと頷いた。
アリアンヌの話が来るだろうと身構えた。
「他にも精神面に影響を与えてしまいました。大公は不安障害に近い症状を引き起こしています」
不安の対象は自分の容姿であった。誰かに自分の容姿を見られることに強い抵抗感を示していたが、ルドヴィカの影響で少しずつ容姿についてネガティブに考える時間が減った。
心許した使用人以外入れることがなかった部屋には新しい人が出入りするようになり、抵抗感は薄れた。この前は料理長を労う為にジャンルイジ大公が部屋へ招待したこともあった。
「それでもある者に対してはまだ強い不安感を抱いているようです」
「それは何? 教えてほしいわ」
ルドヴィカはふとジャンルイジ大公の方をみた。
彼がここまでして言わなかったのは踏み込んでほしくなかったのかもしれない。
「いえ、大公殿下が望まないのであれば……」
ルドヴィカは一歩引く。
不安対象を知って今後の対策を建てたいと思ったが、ジャンルイジ大公が自分に知られたくない内容であれば無理に踏み込んではならない。
「心配させたな」
ようやく落ち着いた様子でジャンルイジ大公は顔をあげた。
「はじめから言うべきだった。私の目算が甘かったのが悪い」
少し疲れている様子であった。
「お水を」
ルドヴィカはパルドンに命じて、テーブルの上に置かれている水差しからコップへ水を注いだ。ほんの少しレモンを浸した、果実の香りのする水である。
ジャンルイジ大公はそれを受け取りごくごくと飲み干した。
口の端から水がこぼれ、じわりと彼の寝着の衣に吸い付く。
深くため息をついた彼は随分と疲れている様子であった。
「ベッドへ戻りましょう。騎士を呼びます」
ルドヴィカが部屋の外へ出ようとするとジャンルイジ大公は手を伸ばし彼女の腕を握った。
「大丈夫だ。もう少し車いすで過ごす」
「ですが」
「それよりも今回は心配をかけた。お前に言わなかった私の落ち度だ」
ルドヴィカを心配させまいようにいうジャンルイジ大公のことが逆に心配になってしまう。
「もし、よければ教えていただけますか」
ルドヴィカはおそるおそる尋ねる。
それにジャンルイジ大公は悲し気に笑った。
「お前の責任ではないとまず言っておこう」
先ほどルフィーノが言っていた通りジャンルイジ大公は強い不安障害を抱えていた。それが自分の容姿に対しては勿論のことであるが、副反応としてある存在への恐怖心を抱くようになった。
「金髪の女が、怖いのだ。怖い、というより会ってはいけないという焦燥感にかられる」
ここ1年の間、ジャンルイジ大公の部屋は決められた者だけが世話の為に出入りしていた。その中に金髪の女はいない。
どうして彼は金髪の女へ不安感を抱くのか。
いやでもわかってしまう。
「アリアンヌ、ですね」
アリアンヌは見事な金髪を持っていた。美しく艶やかな、女神のような髪。
帝都にいたときは誰もが彼女の髪を羨み、称賛した。
彼女にあやかって金髪に染める淑女もいる程であった。
そのアリアンヌは花嫁修業の為に大公城へ滞在している間、あろうことか大公を害した。言霊魔法を使い、ジャンルイジ大公が部屋から出られないように、簡単に自分の前から出ないようにした。
それだけではなく、彼を侮辱するような発言が多々認められた。
魔法だけではなく、精神的にアリアンヌはジャンルイジ大公を痛めつけていた。
ジャンルイジ大公は許可なくアリアンヌの前に出るのを恐れた。アリアンヌが大公の前へ出たのは嘲笑、侮辱、要求の時のみ。
アリアンヌが大公城から出て、不安対象が消えたと思ったが、ジャンルイジ大公はふとした拍子にアリアンヌがまだいるのではないかと妙な焦燥感を覚えた。
金髪のメイドをみると動悸がして恐怖にかられ、ついには幼い少女のビアンカ公女をみても怯えるようになった。
ただでさえ醜い姿になってしまった自分を妹にさらけ出すのは戸惑うのに、彼女を怯えてしまえばどれだけの傷を植え付けてしまうだろう。
ジャンルイジ大公は1年以上前からビアンカ公女に会わなくなった。部屋を訪れることも禁じた。重い病気にかかり、彼女に移してはならないという嘘までついて。
「それでも部屋の外へ出るのであれば、あの子には会うべきだろう……まだ幼いのに寂しい想いをしたあの子に。今なら、頑張れる。そう思ったんだけどな」
ジャンルイジ大公は悲し気に笑った。
先ほどのビアンカ公女が現れたのは不意打ちであった。心の準備がまだ整っていなかった。ようやく部屋の外を出た緊張感の中で、気が緩んでしまった。
ジャンルイジ大公が改めてルドヴィカの方へ顔を向けた時、彼は驚いた。
ルドヴィカの頬に涙が零れ落ちていた。
「お、お前が気にする程ではない。そのな、まだ弱かった私が」
慌てて言いつくろうがルドヴィカは首を横に振った。
「いいえ、あなたは悪くありません」
ルドヴィカは昔を思い出した。
前世で、ジャンルイジ大公が崩御した後、葬儀に入れてもらえなかったあの日、叫んでいたビアンカ公女の姿を思い出した。
――「あなたたちのせいよ!」
悲痛な少女の叫び声であった。
――「あなたたち姉妹は私からお兄様を奪った。それなのに最後の時間まで横やりをいれないでちょうだい!」
あれはどんな気持ちで叫んだものだったのか。
彼女は1年、いや2年ジャンルイジ大公に出会えなかった。
まだ幼い、父母のいない兄しか頼れる家族がいなかった少女であったというのに。
その兄から面会謝絶を言い渡されて会うことも叶わなかった少女はどれだけ寂しい想いをしてきただろうか。
その原因が、アリアンヌから与えられた心的外傷(トラウマ)と考えたら。
あの子からどれだけ恨まれていたかと考えてしまう。
アリアンヌがしてきたことにルドヴィカは関与していない。だが、それを10歳に満たない少女が心の整理などできようはずがない。
ルドヴィカはビアンカ公女の心の傷を今更ながら感じ入った。
「ビアンカ公女のことが気になるわ」
ふと呟くとパルドンは安心させるように言った。
「自室へ戻って、メイドたちが落ち着かせています」
今の自分よりはそちらの方がビアンカ公女には良いだろう。
ルドヴィカは再びジャンルイジ大公の方へ向いた。彼の傍らで膝を床につけて彼の視線に合わせる。
「あなたを追い詰めてしまってごめんなさい」
部屋から出る時に、彼はどれだけの勇気がいたか計り知れない。
「何を今さら。いずれは外に出るつもりだったのだし、私自身そろそろかと思っていた頃だ」
自分は一生この部屋から出られない。
そう思った。フランチェスカに言霊魔法を解いてもらっても、もう手遅れだと。
それなのにルドヴィカはその思い込みを覆すように次々とジャンルイジ大公に計画を打ち立てた。
おかげで自力で立てるようになった。
気づいたら、あれだけ顔を合わせるのに躊躇していたルドヴィカの顔をみれるようになった。
ウェーブのかかった鼠色(ブルーグレイ)の髪、赤いルビーの瞳に、可愛らしい容貌。
あの初めて出会った一瞬だけの夢だとさえ思ったルドヴィカが、こうして自分を支えようとしてくれている。
それだけで妙に胸が温かくなり、彼女の期待に応えたいと思った。
ジャンルイジ大公はおそるおそる彼女の頬に触れた。彼女の頬を濡らす涙を指ですくいとる。彼女は自分の容姿を嫌がらず、じっとまっすぐに見つめてくれた。
「さて、トヴィア卿とガヴァス卿を呼んでくれ」
話は一度終了である。
「そうですね。ベッドに移りましょう」
ルドヴィカは残った涙をぬぐい立ち上がった。
「いや、リハビリを続ける」
「え」
「散歩は断念するが、だからといって何もしないこともないだろう。お前の言っていた腓腹筋と大腿筋を鍛える運動をして、歩行訓練を目指したい」
まだ二人の騎士の介助で、数十秒程度立位保持ができる程度である。
「大丈夫ですか?」
「お前が注文した衣装も着れるようになりたいしな」
ジャンルイジ大公の言葉にルドヴィカは思わず笑みをこぼした。
部屋の外を出るのは厳しいが、それでも彼は彼なりに前へ進もうとしている。
また、殿下に気を遣ってもらった。
そんな気がして、だから自分は立ち止まってはいけないと思った。
ルドヴィカは改めて、新しい目標へ向けて進まなければならない。
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