第22話 不安の対象

 少し前の出来事である。

 ビアンカ公女は普段通り、授業が終わった後アンが淹れたお茶を飲んでいた。


「そういえば、いよいよです」


 アンは嬉しそうに語った。


「大公殿下の治療は順調で、もうすぐ部屋の外へ出られるようになります」

「本当に? お兄様は下の階まで降りられないと聞いたけど」

「はい。大公妃様が用意した器具で昼食を食堂で過ごせるように手配しているとのことです」


 大公妃という単語を聞き、ビアンカ公女は不機嫌になった。

 せっかく兄が久々に食堂へ来るかもしれないのに、彼女もいっしょなのだろう。


「大公妃様が言っていました。その時は自分は席を外すと」

「え……」

「大公様と公女様が兄妹水入らずで食事を楽しめるようにと配慮してくださると」


 アンの言葉にビアンカ公女はしばらく沈黙した。

 一体何を企んでいるのだろうか。

 もしかすると気を遣っているの。

 ぐるぐる考えてしまう。


「公女様、今から大公殿下のお部屋近くまで行ってみては? 久々に外へ出るお兄様をお迎えするのです」

「私が……いいのかな。だって部屋に入ることを許されなかったし」


 少し遠慮がちに呟くビアンカ公女にアンは囁いた。


「2年前のビアンカ公女様はお体が弱く、幼かったから殿下が公女様を思って部屋へ入れなかったのでしょう。ですが、今や立派なレディーに成長した公女様であれば問題ありません。公女様がお迎えすれば殿下はきっと喜ばれることでしょう」


 耳元で囁く声は優しくビアンカ公女に響いた。

 久々に兄に会えるかもしれない。今まで部屋へ入ることが許されなかったビアンカ公女にとって本当に久々の再会である。

 毎日授業をかかさず受けて、テストの成績もいいと伝えたい。

 ルドヴィカはすくっと立ち上がり、ジャンルイジ大公の部屋付近の階段の方へと向かった。

 確か大公妃が発注した謎の機械があるところだ。


 ◆◆◆


 人力エレベーターの耐久試験は問題なく終わったことをルドヴィカはジャンルイジ大公へ報告した。


「という訳で散歩しましょう!」


 早速二人の騎士の介助でジャンルイジ大公は車いす移乗した。

 スムーズな動きをみて、ルフィーノは関心した。同時に、あの体格に耐えられる車いすを作れたのかとも考えた。


「無事1階まで降りられれば、まずは外の空気を浴びましょう。梅雨明けの綺麗な青空がみえますよ」

「空はここでもみれるだろう」


 つっこみを入れるジャンルイジ大公にルドヴィカはとんでもないと食い入った。


「窓の外からみるのと、外でみるのとは全く違います! 解放感とか、気分が高揚して絶対いいですよ」

「わかった。わかった」


 ジャンルイジ大公は苦笑いした。

 ちらりとパルドンを見つめた。

 何かとパルドンを呼び寄せて耳元へ囁く。


「金髪のメイドは」

「大公妃が考えているルートに入らないように手配済みです」


 仮に入った時は金髪が見えないようにと特注の帽子をかぶらせるように指示してある。

 それを聞きほっと安心した。勿論ルドヴィカに見えないように。

 何の話をしているかルフィーノは察した。ルドヴィカに聞こえないように小声で話す。


「私の顔を見れるようになったからもう大丈夫かと思ったぞ」

「そうなんだけどな……」

「公女様は」

「それは、心の準備をすれば何とか」


 これはルドヴィカに知られたくないと思った。

 知られればまた不用意に遠慮や躊躇が生まれてしまう。

 先日のような曇った表情はみたくなかった。 

 その為、部屋の外をでるだろう日までにパルドンに手配指示を出していた。


「扉をめいいっぱい開けましょう!」


 ようやく外出までこぎつけたことが余程嬉しいのかルドヴィカは使用人に頼んで扉を開かせた。

 もちろんその方がジャンルイジ大公の車いすが通りやすいのだが。


 ガヴァス卿が車いすを押し、ジャンルイジ大公は少しずつ部屋の扉へと向かった。扉の枠組みの線を越える時、妙に胸騒ぎがした。


(大丈夫だ。外には、アリアンヌはいない)


 自分にそう言い聞かせて、ぎゅっと膝の上の拳を握りしめた。冷や汗に近いものが出ていたが、それでもまだ耐えられた。

 扉をでると思いのほか後はどうにかなりそうだった。

 一瞬動悸が酷かったが、しばらくして治まりジャンルイジ大公はほっと安心した。


「さぁ、人力エレベーターまで行きますよ」


 ジャンルイジ大公を先導するようにルドヴィカは廊下を歩いた。


 こつ。こつ。


 向こうから可愛らしい小さな足音がした。階段からあがってきて、壁から現れた金髪の少女。


 ビアンカ公女だ。


 兄の外出の話を聞き、気になって見に来たのであろう。


「ごきげんよう。公女様っ!」


 ビアンカ公女は唇を尖らせながらも髪を指に絡ませていた。

 ちらっとルドヴィカの後ろにいる兄の姿を探した。

 随分と変わり果てた姿であるが、面差しからすぐに兄だとわかる。


 少し驚いたが、それでも兄は兄である。


「お兄様」


 ビアンカ公女の照れた声、挨拶をしようと彼女は姿勢を正し淑女の礼をとった。


「あ、あ……」


 うしろからがちがちと妙な音がしてルドヴィカは首を傾げた。

 何の音だ。

 車いすに座っているジャンルイジ大公は青ざめて、震えていた。

 体全体を。


「戻ってくれ……部屋へ、戻って」


 あまりに憔悴した声に周りが心配する。これは尋常ではない。

 異常を察したパルドンはすぐにジャンルイジ大公を部屋へ戻すように指示した。同時に傍に控える使用人にビアンカ公女を託した。


「お兄様」


 ビアンカ公女は兄の方へ近づこうとするが、その前にメイドが彼女の前を塞いだ。


「申し訳ありません。大公殿下はまだお加減が優れず……公女様に移ってはいけませんから、今は部屋へお戻りください」

「嘘よ。さっきまで部屋から出られたじゃない」

「発作がまた出たのです。どうかお戻りください」


 メイドは他の使用人にも声をかけてビアンカ公女を連れて立ち去った。

 その様子をみてルドヴィカはどうすればいいのかと悩んだ。

 ビアンカ公女のことが心配であるが、同時にジャンルイジ大公のことが心配だった。


「大公妃! すぐにこちらへ」


 厳しい口調でルフィーノが声をかける。ルドヴィカは反射的にジャンルイジ大公の方へと走った。

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