第24話 リハビリは続く

 ジャンルイジ大公の部屋から出る日は失敗に終わった。

 ルドヴィカとしてもう少し彼の容姿に対する不安、きっかけになった者への恐怖を理解すべきだったと反省した。

 それでもジャンルイジ大公はルドヴィカを責めることなく、淡々と次のリハビリへと打ち込んだ。

 車いす移乗はスムーズになり、二人の騎士の支えがあれば立位保持時間は伸びていった。

 5分程立位保持可能になったところで、ようやく歩行器を利用することにした。

 ジャンルイジ大公の体重を支えられるだけの耐久性を持ち、前の部分に取っ手をつけている。それでブレーキ操作もできるため、もう少し時間をかければ騎士の支えなく動き回ることが可能だろう。


 可能であれば寝室の隣のトイレ・バスルームの扉をもう少し改築したいが、立派な扉を一度取っ払っての工事はたいへんである。

 彼の体重を支える為の手すりの設置をすることで妥協した。


「まだバスルームの湯舟を使える段階じゃないから焦る必要はないでしょう」


 ルフィーノの言葉はその通りなのだが、ルドヴィカはため息をついた。

 確かにそうなんだけど。

 貴族の家では寝室とトイレ・バスは別々になっているが、庶民では一緒の空間にある。

 庶民の生活では自宅にトイレ、バスすらもなく、排せつはおまるで行われておりトイレの為の部屋などない。

 トイレは富裕層、貴族の権威の部屋のようなものだった。


 いずれは庶民用のトイレも作りたい。


 不衛生な区域は今後の課題になってくるだろう。


 今日は湯あみの日であり、使用人たちが部屋の隅に置いてあった湯舟を置いた。湯を少し張り、ジャンルイジ大公がバスに浸かった後に追加の湯を足していく。

 はじめに使った時はジャンルイジ大公の体重によって押し出されたお湯で部屋が水浸しになったことを思い出した。


 準備が整った後にジャンルイジ大公は騎士二人に支えられて湯舟の方へと近づいた。そわそわとしてなかなか寝着を脱ごうとしない。


「お前はいつまでいるのだ」


 ジト目でこちらをみるジャンルイジ大公にルドヴィカは首を傾げた。


「別にいいじゃないですか。私たち夫婦ですし?」


 湯舟を使い始めた時はルドヴィカはさすがに遠慮して退室していたが、今は退室する気配はない。


「夫婦でも、昼間に夫の裸をみるのは……」

「大丈夫です。それよりも殿下の体をしっかりと把握しておきたいので」


 ルドヴィカのあけすけな発言にジャンルイジ大公は顔を赤くした。


「馬鹿者! 臣下らがいる前で破廉恥なことを言うな」


 何をどうしたら破廉恥になるのだとルドヴィカは首を傾げた。

 ルドヴィカとしてはジャンルイジ大公の体をみる目的があった。

 それは内分泌疾患に特徴的な外見を持っているかだ。

 例えば副腎皮質ホルモンが過剰になるクッシング症候群であった場合、野牛肩を認め、腹の皮膚には赤い線状のものを認めることがある。また、中心型肥満という体幹は肥満であるが手足がほっそりしているかどうかも確認しておきたかった。これは服を着てもだいたい判断できそうであるが、裸の状態で全体をみてみないと何ともいえない。


 設定を忘れそうになるけど、ルドヴィカの前世は内分泌代謝内科・菊丘朱美であった。

 9割方食生活が原因だったとしても、内分泌疾患の可能性を除外しなくていいというのは信条に反する。


 とはいえ、そんなことを知るよしもないジャンルイジ大公はパルドンに命じてルドヴィカを部屋から追い出してしまった。

 一度閉ざされた扉が小さく開かれ、隙間からルフィーノが顔を出す。


「大公妃」


 何事だろうとルドヴィカは耳を傾けるが、すぐに顔をしかめた。


「魔法原理の本と、魔法基礎、応用編の本をバルドに選別して部屋に届けさせてた。3日後に理解度を確認するから読んでおいてください」


 ばたんと空しく扉は再び閉ざされた。


 仕方ない。

 湯あみが終わったあとはジャンルイジ大公は夕食まで執務をしているだろう。

 ルドヴィカ自身も大公妃の仕事がある。自分の執務室へ行くこととした。

 ルフィーノが提示した魔法学の本も一読はしておかなければ。


「その前に厨房でお豆腐作成の進捗状況を確認しようっと」


 現在、料理人に頼んで大豆を使った食品を作ってもらっている。

 この世界にはお豆腐というものは一応ある。ずっとずっと東のかなた、中国や日本に似た国があり、そこでお豆腐は存在していた。

 バルドに頼み込んで、中国っぽい国の書物を取り寄せてもらった。

 「豆腐」という漢字をみたときはあまりのなつかしさに感動してしまった。


 お豆腐ができれば、久々に湯豆腐とか食べてみたいわ。

 豆腐の次はお醤油をお願いしましょう。


 朱美の記憶がじわっと呼び戻される。学生時代の冬は湯豆腐をよく食べたものだ。


「大公妃様」


 厨房へ行く途中にメイドに声をかけられる。声の存在に気づきルドヴィカは「そうだ」と思い出した。

 現れたメイドはアンであった。

 ビアンカ公女付きのメイド。


「アン、数週間ぶりね……その、公女様は大丈夫だったかしら」


 散歩計画失敗の時、ビアンカ公女のことが気がかりであった。

 心配するルドヴィカは、自分が行けばかえって逆効果であり、周りの使用人たちに任せるほかないと思った。


「はい。たいそうショックでしたが、ようやく落ち着かれました」


 アンは涙ぐみ、その場に膝をついた。


「申し訳ありません!」

「え、ちょっ、ちょっと」


 突然の謝罪にルドヴィカは困惑する。


「私がいけないのです。公女様に大公殿下のお部屋へ行くのを提案したのは私で……きっとお二人とも喜ばれると思っていたのですが、私が浅はかでございました」


 何故、あの場にビアンカ公女がいたかようやくルドヴィカは合点がいった。

 本当は昼食には食堂で過ごしてもらい、ビアンカ公女を引き合わせる予定だった。


「いいのよ。あなたも二人の為を思ってしたことでしょう」

「でも」

「それを言うなら私も同罪よ」


 ルドヴィカは悲し気に微笑んだ。

 ジャンルイジ大公は食堂に行くまではビアンカ公女に再会することに覚悟を決める予定だったそうだが、もしかするとジャンルイジ大公の異変は食堂で起こっていたかもしれない。

 あの部屋を出る時も十分無理をさせていたことになる。


「もう少し二人のことをしっかりと見極めるべきだったわ」

「そんな……大公妃様はお二人の為によく頑張られております」


 頑張っていると言われると微妙な気分である。

 ビアンカ公女のことは何とか親しくなりたいと思っているが、それでもジャンルイジ大公優先で彼女のことをなおざりにしている。そんな感じが否めなかった。


「殿下も公女様もまだ時間が必要なのよ。慌てず少しずつ……その間、アンには公女様のことをお願いね」


 ルドヴィカはアンの両手を握った。

 大公妃ともあろう方が自分の手を握り、そこまでのことを言ってくれることにアンは感激した。


「これからも公女様の為に頑張ります! 大公妃様と仲良くなれる日の為に協力は惜しみません」


 ビアンカ公女の孤独な日々をみてきた彼女としては義姉のルドヴィカと姉妹のように過ごして欲しいと願っているようだった。

 アリアンヌの姉であるが、ここまで信じてくれるなんて少し気恥しいながらも嬉しく感じた。

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