第17話 久々の立ち上がり

 ルドヴィカはジャンルイジ大公の部屋へと向かった。3日、4日ぶりであろうか。


「大公妃様」


 ガヴァス卿が嬉しそうに声をかけている。扉の前まで運んでいるものをみてルドヴィカは速足で近づいた。

 ようやく耐久性と安全面をクリアしてジャンルイジ大公の元へお届けできる。


 ひとつは車いすである。

 人力エレベーターに使えるようにベルトの固定部をつけてもらっている。


 もうひとつは歩行器である。立位、歩行訓練の補助器だ。

 しばらくはジャンルイジ大公の足が彼の体重を支え切れない為、これを支えにして歩く練習をする。


 ルドヴィカはトヴィア卿、ガヴァス卿を後ろに扉へノックした。

 中から入るように言われて扉を開く。

 朝食も一緒に取るのを控えていた為、数日ぶりである。


「殿下、おはようございます」

「ああ、体調はいいのか?」


 ルドヴィカは困ったように笑った。


「それよりも、殿下。今日は立位訓練です。まずはトヴィア卿とガヴァス卿を左右に控えて、支えてもらいながら立ってみましょう」


 ジャンルイジ大公はベッド脇まで移動する。寝返りをうつことも大変であったが、両手を使い、臀部を持ち上げてずりずりと移動することができるようになった。

 これだけでもかなりの進歩である。

 長年仕えていたパルドンは再びジャンルイジ大公が動けるようになるとはと頬を緩ませてしまっていた。


 まだ体向に関してはサポートがいる。ガヴァス卿がジャンルイジ大公の胴体を、トヴィア卿が足の方へ触れた。

 ジャンルイジ大公の状態を確認しながら、足をするするとベッドの脇から出し床へとぺたっとつける。

 だいぶ浮腫みがとれたが、それでも脂肪がついて動くのもたいへんそうな足であった。

 ベッド上のリハビリによって少しだけ筋肉は回復してきていると思う。


 左右の手を二人の騎士がそれぞれ持ち、ジャンルイジ大公の立位を促す。

 1,2の3という掛け声とともにジャンルイジ大公は立ち上がった。


 ほんの数秒であったが、ジャンルイジ大公は床に足をつけて立っていた。

 足がふるふると震えて、崩れそうになったためすぐにベッド脇へ座り込む。


「くそ、情けない」


 1分ももたせられなかったことをジャンルイジ大公は悔やんだ。


「慌ててはいけません。今はリハビリを続けながら立つ練習、そして車いすへ移動する練習をしていきましょう」


 まだ歩行器を使うのは難しいだろう。

 でもトヴィア卿とガヴァス卿の支えがあれば、すぐそばまで車いすを持っていきそこへ移動することができる。


「車いすへ移乗できれば、大公殿下は部屋の外へ出ることができます。人力エレベーターも来週には完成しますので、その時にはお庭で散歩をしましょう。殿下の為にコースも作成していて、図を示した地図をお渡ししますね」


 それまでに散歩コースを作っておかなきゃ。


 ルドヴィカは順調に前進しているジャンルイジ大公の姿をみて嬉しくなった。


「トヴィア卿、ガヴァス卿、お散歩をお願いしていいですか?」

「もちろんです」


 すっかりリハビリに溶け込んでいる二人の騎士は喜んで引き受けた。

 大公妃と騎士の会話を聞きながらジャンルイジ大公はむぅと唇を尖らせた。

 確かに二人の騎士なくしては今のジャンルイジ大公は車いす移乗は厳しいので、二人の騎士の都合を確認するのは仕方ない。

 それよりも気になったのは、散歩に関してだ。

 ルドヴィカは散歩に自分が一緒に行くとは言っていないように感じられる。

 そういいたいのにうまくいえない悶々を抱えていた。


「今日はもう少し足のリハビリを続ける。車いす移乗もみてもらいたいから、そこで見ていてくれるか?」

「はい」


 ルドヴィカはパルドンが用意した椅子に腰をかけてジャンルイジ大公のリハビリを見学した。

 二人の騎士に支えられながら、一瞬立位をとり、すぐに車いすへと移る。

 わずかに揺れた車いすは問題なくジャンルイジ大公の座位を受け持ってくれた。

 耐久性は何度も確認していたが、いざ彼が座ってからでなければわからない部分もある。問題なく使用できるようでルドヴィカは安心した。

 ガヴァス卿に操作してもらい、ぐるぐると車いすで部屋の中を移動する。

 ぴたりとルドヴィカの前まで近づき止まった。


「ベッドからここまで移動できた。感謝する」

「はい。技術者にもお礼をたっぷり弾まないといけませんね」


 ルドヴィカの言葉にジャンルイジ大公はうーんと口を曲げて傍にいたパルドンへ視線を移した。パルドンは優しく微笑み、首を横に振る。


 自分で具体的に言わなければ伝わりません。


 そういっているようにみえた。

 そうはいってもこれ以上何といえばいいのやらとジャンルイジ大公は悩み、ようやく彼女に言った言葉は昼食の内容であった。


「昼食まで練習する。一緒に食事をとるぞ」


 そういわれるとルドヴィカは困ったように俯いた。


「どうした? 4日前まで一緒に食事をとっていただろう」

「そうですが……」

「今頃になって私と食事をとりたくないと」

「違います!」


 ルドヴィカは顔をあげて否定した。

 それなら何故今更食事を一緒にとるのを遠慮するのだとジャンルイジ大公はなおも質問する。

 ルドヴィカは困ったように俯いた。


「ルフィーノ殿から聞きました。アリアンヌが殿下にしたことを……言霊魔法、殿下には辛い日々を送らせてしまったのに私が一緒に食事をとろうなど」

「お前がしたわけではないだろう」


 ジャンルイジ大公は食事を一緒にとれなくなった理由を聞き、内心安堵した。

 ルフィーノの容貌にほれ込み、ジャンルイジ大公そっちのけになってしまったのではと考えてしまった。

 パルドンから聞いた彼女のスケジュールがジャンルイジ大公の減量計画の為のものだからそれはないと思ったが、ついつい考えてしまった。

 やはりアリアンヌが大公城で何をしでかしたか具体的に聞いてしまい後ろめたく感じたのだ。


(仕方ない奴だと呆れつつも、安堵してしまうなどおかしいものだ)


 ジャンルイジ大公はそう考えながらも、今言うことを選びながら口にした。


「アリアンヌ嬢のしたことはお前とは関係ない。お前は……」


 ジャンルイジ大公はルドヴィカへ手を伸ばそうとした。彼女の膝の上の手を握ろうとしたが、脂肪のおかげで届かない。諦めたジャンルイジ大公は姿勢を元に戻した。


「それとも何だ。夫婦だから一緒に食事を摂ろう、健康を管理するといいながら今更放り出し他人に丸投げする気か?」

「そ、そんなこと……今も殿下を何とかしたいと」

「なら、何とかしてもらおう。約束は違えるな。勝手に私の部屋へ押しかけて、勝手に宣言しておきながら、妹のことで罪悪感を出して今更すぎるぞ」


 今更という言葉を聞きルドヴィカはうぅと情けない声をあげた。

 あの時は転生したばかりで、ジャンルイジ大公が生きているか確認したくて必死で飛び込んでしまった。

 などとは言えない。


「殿下は私が怖くないのですか。私はあなたを苦しめたアリアンヌの姉ですよ」

「それこそ今更すぎる問いだ」


 ジャンルイジ大公は笑い、ルドヴィカを見つめた。


「お前は私の瞳を褒めた。あの女は私の目すら合わせようとしなかった。お前は彼女とは違う」


 初対面の時は自分の醜い容姿をルドヴィカにみられるのを恐れた。

 しかし、今は恐ろしいと感じない。


「しかし、そうか。お前が食事に同席しないとなればこれはチャンスだな……」


 ジャンルイジ大公はちらちらとパルドンを見つめた。


「久々のあれらを」


 その言葉にルドヴィカは慌てて立ち上がった。


「ダメですよ。折角ここまで来たのだから過食は許しません!」


 ルドヴィカの言葉にジャンルイジ大公はははっと笑った。


「では、これまで通り監視を任せよう」


 そういいながらガヴァス卿に指示して、再度ベッドの方へ戻る。

 今度は車いすからベッドへ移動する練習である。


「ありがとうございます」


 ジャンルイジ大公のリハビリを眺めているとパルドンが声をかけてきた。


「大公妃が来てくれてこれほどありがたいと思ったことがありません」


 もう自分が生きているうちにジャンルイジ大公が自力で立ち上がれるとは思わなかった。

 わずかであるが、自分自身もアリアンヌの言霊の影響を受けていた。

 その為部屋の衛生面はルドヴィカが指摘するまで気づくことができなかった。

 ルドヴィカはアリアンヌの姉である。

 だが、アリアンヌとは違う存在であった。


「あなたは私の世話をよくしてくれているわ。複雑だと思わないの」


 アリアンヌの姉の世話など、本当は辛いのではなかろうか。


「それも今更の問いです。私は大公城の執事長。あなたが大公殿下のお認めになった大公妃であり、殿下を再び立ち上がらせた。あなたは間違いなく我が女主人です。お世話するのは光栄です」


 パルドンの言葉にルドヴィカは唇をきゅっと結んだ。


「これからもどうか殿下をよろしくお願いします」

「ありがとう。そうね、ここまで来たのだし彼をもっと回復させなきゃ」


 ルドヴィカは今もリハビリを続けているジャンルイジ大公を見つめて微笑んだ。

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