第16話 静かな夕食
本日のリハビリを終えた後、わずかな休憩を挟みジャンルイジ大公は執務を行った。
未だにベッド上で続けざるを得ない執務であったが、それでも以前より座位を維持するのは楽になった。以前は特性の枕やクッションを背中に入れて支えてもたいへんだったというのに。
「夕食をお持ちしました」
執事長のパルドンは決まった時間に夕食を部屋へと届けて来た。
以前とは異なるのはルドヴィカがリクエストした野菜、タンパク質、糖質などのバランスを考えたメニューである。以前は糖質過多、脂質が多めであった。
食べる量も以前より少なくなったが、最近は不思議とこの量でも大丈夫になった。
毎日繰り返すと量にも慣れてくるようだ。
「む、あいつの分はどうした?」
夕食の時間になれば必ず訪れる妻の姿がなかった。持ってきた食事も一人分ではないか。
「はい。本日は体調が優れず自室で摂りたいと」
パルドンの言葉にジャンルイジ大公は口を閉ざした。
食事の時間は普段より静かなものだった。ルドヴィカが大公城に来る前と同じくらい。
ジャンルイジ大公の咀嚼音しか聞こえない。
違うといえば、以前より健康的な食事、かつては異臭を放ち香を焚いていたが必要がなくなった部屋である。
まだカーテンが閉ざされる前の窓からは大公領の主要都市の夜の光景が見えていた。
次の日もルドヴィカはジャンルイジ大公の部屋を訪れることはなかった。
3日目になってもルドヴィカの姿はない。
さすがに気になりジャンルイジ大公はパルドンに質問した。
「何をしているのだ。あいつは」
「何をと申されますと大公妃の仕事をこなしております」
今までジャンルイジ大公がしていた大公妃の仕事、そしてルドヴィカでもできそうな仕事をごっそりと彼女は自分の執務室へと持ち去った。
パルドンにも監督を依頼しているが問題なく仕事はこなせているという。
「他に、人力エレベーターの設営作業の見回り、リハビリ用の器具のテスト、トヴィア卿とガヴァス卿とリハビリメニューの作成、厨房で料理人との討論もなさっています」
肝心のジャンルイジ大公の現状確認の訪問がごっそりなくなっている。代わりにパルドンが確認し、ルドヴィカに報告しているそうだ。
「そういえば、3日前にルフィの元へ訪問したのだったな」
食事をしている際中にジャンルイジ大公はパルドンに質問した。彼は困ったように頷いた。
「その、あいつはルフィの容姿について何か言っていたのか?」
昔から美しい容貌を持つ幼馴染、アリアンヌが一目惚れし他の美男子を放ったらかして追い掛け回す程の有様であった。
彼に出会った後のアリアンヌはジャンルイジ大公の元へ足を運び、彼の美しさを絶賛していた。是非紹介するようにと命じてきたが、ルフィーノの性格を知るジャンルイジ大公は難しいと応えた。役立たず、豚としばらくなじられていたな。
姉のルドヴィカも彼の容姿に惚れてしまったのでは。
自分のでていたお腹に触れて彼の姿を比べてしまう。
ずんと重い気持ちがした。
「大公妃はルフィーノの容姿を気に留めていなかったと思います。どちらかというと……」
パルドンは少し間をおいて伝えた。
「妹君が大公殿下はじめ城の方々にしてきた内容を聞き動揺しておりました」
ルフィーノであれば遠慮なくアリアンヌがしてきたことを詳(つまび)らかに語っただろう。
ようやく罪悪感を感じてしまい、食事の席を遠慮するようになったというところか。
今更勝手なことを気にして。
「明日、立位の訓練をする。大公妃が用意した器具の調子も確認すべきだろう。是非同席するように伝えてくれ」
「かしこまりました」
ジャンルイジ大公の命令内容にパルドンは少しばかり楽し気であった。
◆◆◆
自室で食事を摂っていたルドヴィカは食欲がわかず、途中で食事をさげさせた。
食事をして寝るまでの間、ルドヴィカはソファにもたれかかりぼんやりと過ごしていた。
先日聞かされたルフィーノのアリアンヌの話は気が重たかった。
アリアンヌが大公城でしでかした内容は前世の頃におおまかに知っていた。
だが、その具体的な内容はあまりなものであった。
魅了魔法だけではなく、言霊魔法を使い相手の精神を追い詰めて生活の不調を与えてしまう。
魔法で作られた恐怖症は長くジャンルイジ大公を蝕んでいたことになる。
そしてそれは神聖魔法でも治すことは厳しかった。
ジャンルイジ大公だけではない。
多くの使用人たちがアリアンヌに虐げられ、令嬢たちは心をゆがめられてしまっている。
その姉がルドヴィカなのだ。
間違いなくルドヴィカはこの大公城で憎まれてしまう。
ルドヴィカがそれを行ったというわけではないが、大公領の者たちはそんなこと知ったことではない。
ロヴェリア公爵家令嬢の立場を掲げてやってきたことからルドヴィカへの風当たりは強いものであるべきだった。
それなのに使用人たちはルドヴィカへの世話を疎かにすることはなかった。
前世の自暴自棄に浪費していたルドヴィカに対してである。
それなのに、ジャンルイジ大公の部屋の状態を放置していた使用人たちを内心責めてしまった。
そういう風になってしまったのはアリアンヌの言霊魔法だったというのに。
言霊の影響で彼らは今のジャンルイジ大公のありように疑問を抱かなくなってしまっていた。
今のルドヴィカは自己嫌悪の真っ最中であった。
彼らの今までの経緯を知らずに彼らの行いを内心責めることはいくらなんでもよろしくなかった。
「失礼いたします」
先ほど下がっていたはずのルルが再び部屋へ訪れて来た。
「大公妃の食が細いようでしたので、料理長が心配してかぼちゃのポタージュスープを作ってくださいました」
厨房の中にもアリアンヌに酷い目に遭わされた者はいたと聞いている。
それなのにルドヴィカにこのように気遣いを見せてくれるなど。
ルドヴィカはますます申し訳なく感じた。
「それから、執事長からのことづけです」
ルルは背筋を伸ばし伝言を伝えた。
「明日は大公殿下の立位訓練の日です。例の器具の調子も確認したいから是非同席してほしいと殿下の希望です」
殿下の希望という言葉にルドヴィカは胸が締め付けられた。
彼に合わす顔など今の自分にはない。
浅はかにも彼の寝室へ飛び込んで、彼に偉そうな講釈をたれて彼の生活管理をすると豪語してしまった。
あのような姿になった元凶の姉であるというのに。
彼は多少の文句を言いながらもルドヴィカの提案には耳を貸していた。
「そうね。器具は私が発注したもの、きちんと確認しないとね」
発注した者として責任もって器具が大公の役に立つか見届ける必要がある。
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