第15話 魔法使いとの面談②

「それで大公殿下の状態を把握していたのに今は放置だったのね」

「他にやりようがないからな。フランチェスカ神官が戻るまで待機、私は彼女の魔法の対抗方法を研究していた」

「それでもやることはあったでしょうに」


 ルドヴィカの言葉にルフィーノはむっと不満げな表情を浮かべた。

 彼としては最善を尽くしたつもりなのに言われて面白くないのだろう。


「失礼しました。今のはあなたたちの努力を蔑ろにする発言でした」


 ルドヴィカはまず今の失言を詫びた。


「それでは大公妃は何をすればいいと思ったのですか?」

「大公殿下の今の状況、部屋から出られないのは仕方ないことです。でも、食事内容を変えることはできたはずです」


 明らかな過食生活、アリアンヌの言霊魔法の影響か部屋から、ベッドの上から出られない状況。

 ジャンルイジ大公の筋肉はごっそり痩せて、脂肪がどんどん増えていく有様である。


「仮にアリアンヌの魔法を無効化できジャンルイジ大公が部屋から出られるようになったとしても、肝心の外へ出るための体力がなければ意味がありません。言霊魔法が無効化される前に病気になっていた。いえ、すでに病気です」

「病気? あの状態が……普通に呼吸も問題ないし、心臓も」

「呼吸できて心臓が動いていただけで病気ではないとどうして判断できますか?」


 病的肥満症の概念のない世界である。

 肥満症によって起こされる病気がどういうものかということまで考えが結びつかない様子であった。


 ルドヴィカがカーテン越しでジャンルイジ大公と会話したときに気になったのは呼吸音であった。

 聴診器をあてなくても聞こえる気道狭窄の音が気になって仕方なかった。


「殿下は睡眠時無呼吸症候群と考えています」

「睡眠時……?」


 まだこの世界にはない病名のようである。

 朱美の世界でも病名がつけられたのは1980年前後と意外に最近なのだ。


「睡眠時無呼吸症候群というのは眠っている間に気道が閉塞してしまう病気です」


 ルドヴィカは真っ白な紙をみつけてそこに絵を描いた。

 人の横顔の簡単な断面図、のどの奥を簡略し、そこがどうやって閉じるかを説明した。


「肥満の方の場合、こののどの奥が緩み舌の根が重圧に対して落ちてしまうことがあります。これによって呼吸時の空気の通りが悪くなってしまう」


 他にも原因になるものはあるが、今ジャンルイジ大公に一番近い理由をあげておこう。


「眠っている間は気道閉塞して、酸素が体内へ十分いきわたらなくなります。睡眠の質は悪くなりますし、これにより心臓に負荷がかかり血圧があがってしまいます」


 ルドヴィカはパルドンに頼んでジャンルイジ大公の睡眠中の様子を観察してもらった。いびきがかなり大きく、突然いびきがぴたっととまった瞬間が何回か繰り返された。20秒程観察できた時があるという。

 10秒以上の無呼吸を1時間に平均5回認められれば診断に至れる。

 正確な診断するための機械がないが、ジャンルイジ大公は睡眠時無呼吸症候群であった。

 おそらく重症の。


「ほうっておけば心臓への負荷がかかり心臓病のリスクに繋がります。突然死のリスクもあがってしまいます」


 睡眠状態が良質のものではなく日中の疲労感も大きくなるだろう。


「なるほど、説明を聞くと確かにそういう状態もありえます。大公妃はどこでそんな知識を」

「……か、海外の文献で読みました」


 ルドヴィカはしどろもどろな解答をした。実は、睡眠時無呼吸症候群に関する文献はまだない。肥満症の人間が突然死するデータをみた程度である。


「治療はありそうですか?」

「この世界で可能かどうかわかりませんが、物理的に鼻などから空気圧をかけてここの落ちた舌をおしあげて空気の通りをよくする」

「今のところ無理ですね。重力魔法を応用する、もしくは風魔法でというのも考えましたが力の微調整が必要です。しかも、ただ空気を送るだけでなく本人の呼吸に合わせて。それを夜通しするのは現実的ではないです」


 治療の為の経鼻持続陽圧呼吸療法はこの世界には存在しない。

 魔法で代用するにも魔法使いの負担が大きくなる。


「今のところ一番の治療は減量です。それまでは、枕の高さ、寝具の見直し……あおむけで寝ないこと」

「どこまで応じられるかわかりませんが、それが現実的でしょうね」


 ルフィーノはこくりと頷いた。

 警戒心はまだ残っているようだが、意外にルドヴィカの話に耳を傾けている。

 ルドヴィカは次の話をするかどうか悩んだ。

 だが、彼への指摘はしておきたい。


「呼吸状態も心配ですが、他に気になったのは衛生状態です」


 ルドヴィカにとっては最も許せないことであった。


「私が来た時のあの方は簡単な清拭しかしていませんでした。髪はあぶらぎっとぎと、からだは垢だらけ、排せつはおむつ、匂いも酷いはずだけどそれをごまかすように香を焚いて誤魔化して……しかも部屋の換気もしていませんでした」


 今も思い出すと鼻がもげる感覚がする。本当であれば部屋を飛び出したかった。前世の自分はよくあの部屋に入れたものだ。


「あんな状態で病気にならない方がどうかしているわ。足だってあんなむくんで、清潔にしていないし除圧に関しても考えていなかったようで……潰瘍にならなかっただけ奇跡だわ」


 正確にはなりかけていた。

 どうしてこの状態になるまで放置していたのだとルドヴィカが尋ねるとジャンルイジ大公は使用人に悪いと思っていたという。

 自分の体型のたいへんさを知っていた故に遠慮が生まれたそうだ。

 おかげでおむつ交換も1日3回程度で、長時間排泄物を放置していたことが多かったようだ。よく尿路感染、性器感染を起こさなかったものだ。


 ルドヴィカはパルドンに命じて、大公自身と部屋の衛生状態を見直した。

 大勢の使用人が取り掛かるのは嫌だというから、少ない人数で彼の環境を整えた。部屋の掃除にはルドヴィカも参加した。

 さすがにジャンルイジ大公の体格では使用人だけでは難しい為、信用できる騎士2人だけ入室許可をもぎ取って清拭介助を依頼した。


「それは……私の仕事では」


 衛生面については関与していないと言わんばかりのルフィーノの言葉にルドヴィカはむっとした。

 あの状態を健康上問題ありと指摘することはできたはずだ。

 よくよく聞いてみるとルフィーノが最後にあの部屋に入った時はまだジャンルイジ大公の部屋はまともだったようだ。ぎりぎりパルドンの介助で入浴もできたという。


「それなら時々様子をみてくれてもよかったのに」

「まるで責めるような言い方ですが、元凶はあなたの妹でしょう」


 ルフィーノの言葉にルドヴィカは口をつぐんだ。

 彼の言う通りである。

 ジャンルイジ大公がああなった原因はアリアンヌの言霊魔法である。


「お帰りください。あ、お土産も一緒に持って帰ってください。何が入っているかわかりませんので」

「まるで私が何か盛ったかのような言い方ですね」

「アリアンヌ嬢は盛ったので」


 その言葉にルドヴィカははっとした。

 ただアリアンヌに追い掛け回されていただけじゃないと今気づいた。

 アリアンヌに陥れられて薬を盛られたことがあったと言っているようなものだ。


「ご安心を。すぐにオルランド卿が助けてくれましたので」


 ルフィーノの言葉にルドヴィカは何も言い返せなくなった。

 薬を盛られ、アリアンヌに性的な被害を受けそうになったのだ。

 未遂だったとしても突然異性に迫られた恐怖ははかりしれないものだ。


 ルドヴィカは改めて今の自分の立場を見直した。

 アリアンヌの行ったことはルドヴィカの範囲の届かない場所である。だが、それは大公領側からみればそう捉えられない者もいる。

 ルドヴィカはアリアンヌの姉であり、帝都側の人間である。

 ルフィーノからすれば加害者の家族との面談は受けたくないだろう。それでも部屋へ通してくれたのは前回送った手紙の内容でルドヴィカに情報は与えるべきだと考えた研究者としての義務感からであった。


「ルフィーノ殿、アリアンヌのことは申し訳ありませんでした」


 話を変え、ルドヴィカは改めてルフィーノに頭を下げた。

 よく考えれば、顔を合わせてすぐにすべきことであった。


「アリアンヌのことで慰謝料が必要ならば、対応いたしましょう。あなたが私を信用しておらず警戒することも理解すべきでした。……でも、あなたの力で大公殿下をお救いできるかもしれない。そう思って、参じましたが私とあなたでは手を組むのは厳しいでしょう」


 今頭ごなしに彼に協力しろ、というのは強引すぎる。

 何よりもアリアンヌの姉と一緒にというのは未遂とはいえ、性被害者としては耐えられるだろうか。


「どうかアリアンヌの言霊魔法の対抗についての研究を続けてください。必要あれば補助金をお出しいたします」


 他の魔法使いを探すことも考えなければとルドヴィカは立ち上がった。

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