第8話 夕食後の甘味

 食事が終わった後ジャンルイジ大公は茫然と天蓋ベッドの天を眺めていた。

 以前であれば漫然と書類仕事をして、甘味類を口に放り込んでいた。

 今はルドヴィカの言葉で何もかもとりあげられてしまった。

 夕食後にこんなにぼんやりとする時間は久々だった。


「失礼いたします」


 執事長のパドアンがお茶と甘い香りの食べ物を運んで来た。


「9時以降の食事は禁止になっていたはずだろう」

「はい、まだ9時にはなっておりません」


 パドアンは微笑み、ジャンルイジ大公の前へと差し出した。


「大公妃の希望により用意されたカモミールティーとカボチャのクッキーです」


 目の前に出されたものをジャンルイジ大公はじっと眺めた。

 お茶に、クッキー3枚だ。

 これをルドヴィカが準備させたのか。


「クッキーは砂糖を使用しておりません。それでも甘味は十分で、どうかお楽しみくださいと」

「一体、どういう風の吹きようだ。確かカボチャは……糖質だったはず」


 ここ数日ルドヴィカから耳だこになるほど詰め込まされた知識をジャンルイジ大公は口にした。文句を言い、知るかと突き放しつつもルドヴィカの話に耳を傾けていたのだ。

 その様子にパルドンはふふっと笑った。


「ずっと殿下は食事計画に付き合わせたので、たまには飴をあげないといけないというのが大公妃の考えです。ですが、これ以上のものは出すなと厳重に注意されております」


 ルドヴィカの食事制限は何かと厳しかった。食事量は少しずつ減らされ、時間以外の間食は禁じられ、使用人にめいじてもジャンルイジ大公の元へ届けられることはなかった。ルドヴィカが許可を与えたもの以外は。


 初日はかなり苦労した。

 耐え難い空腹感、いや口寂しさでジャンルイジ大公は苛立ちを抑えられなかった。

 そのためルドヴィカは料理人たちに頼み込んで野菜スティックとそれに合わせたバーニャ・カウダソースを作らせた。南方にイタリアと同じ料理があるというのは驚きで、むしろルドヴィカにはありがたかった。

 朱美の世界では、地中海料理が一時的に糖尿病合併症に良いのではと言われていた時期がある。

 野菜をふんだんに使った南方料理をルドヴィカは盛大にレシピに取り入れるようにとルドヴィカは料理人たちに説明した。食事療法の基礎を伝え、良い食事メニューを作れれば予算をあげるように掛け合うというと料理人たちは一層励んだ。これにより大公領では南方料理ブームが巻き起こった。


 甘い菓子類の代わりに、お茶と野菜スティックを置く。はじめは「私を家畜か何かと思っているのか」と不満たらたらであったが、ルドヴィカが傍らでそれをお茶請けにしてお茶を楽しんでいるのでジャンルイジ大公はもそもそと食べるようになった。


「これも、我が大公領でとれたものか」

「はい。かぼちゃは豊富にとれたとのことです」


 ジャンルイジ大公はクッキーをぱくりと噛んでしっかりと味わって食べた。すぐには飲み込まず、じわりと唾液で柔らかくなっていく感触が思いのほかジャンルイジ大公の気持ちを落ち着かせた。

 しばらくしてカモミールティーを口にする。これはこういう味だったのかとジャンルイジ大公はしばらく考えていた。


「何だ、何かおかしいのか?」


 優しい微笑をたたえていたパルドンにジャンルイジ大公は眉をひそめた。


「いえ、殿下の穏やかな顔を久々にみれたと思いました」


 彼の言葉にジャンルイジ大公は自分の頬に触れた。先ほどルドヴィカが触れていた頬である。今の自分はどんな表情をしていたのだろうか。

 気になったが、鏡をのぞくのはためらわれた。

 代わりに2枚目のクッキーを手にとった。


 ◆◆◆


 ジャンルイジ大公が口にしているカモミールティーとかぼちゃクッキーは他にも運ばれた先があった。


「失礼いたします」


 メイドはお辞儀をして小さな主人の元へお茶とクッキーを運んだ。

 いつもと違う趣向に小さな主人は首を傾げる。


「大公妃さま発案のかぼちゃクッキーです」

「いらない」


 大公妃という名を聞いてクッキーへ手をのばしかけた小さな手はぴたりと止まった。


「もう寝るわ。下げてちょうだい」

「ですが、お砂糖が入っていないのが信じられない程甘くて美味しいですよ。大公殿下も今頃は食されており」

「いらないったら!」


 小さな主人の不機嫌な声にメイドは肩を震わせた。

 怯えさせてしまったと小さな主人は目を伏せた。


「食べたくないの」


 口にした拒絶の言葉にメイドはこくりと頷き、クッキーの載せられた皿を回収した。


「何かありましたらお呼びください。ビアンカ公女」


 小さな主人の名はビアンカ・アンジェロ。

 このアンジェロ大公領の主人・ジャンルイジの唯一の妹にして、正当なる後継者であった。

 ベッドに横になっている彼女を確認して、メイドは部屋の灯りを消していく。


 暗くなった部屋の中、ビアンカは目をぱちりと大きく開いたままだった。

 眠ろうとしても眠れない。

 耳にもしたくない女の名を聞いてしまったせいだ。


「ロヴェリア公爵令嬢……あいつらがいなければ」


 恨みがましい声の中、ビアンカ公女は布団にくるまり瞼を閉ざした。

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