第7話 ある夕食会の光景
「と、いうことがありましたの。でも心配しないでください。必ず殿下の為にルフィーノさんの協力をゲットしてみますので」
「心配もしていないし、別にルフィーノの協力もいらない」
夕食時の和やかな食事タイムである。
ルドヴィカは朝昼夕の食事時間には必ずジャンルイジ大公の部屋へ訪れた。
一緒に食事をとるためである。
「何故、お前が私の部屋で食事をとるのだ」
「あら、夫婦が一緒に食事をとるのに何かおかしなことがあります?」
ルドヴィカはきょとんと首を傾げた。
「食堂でとればいいだろう」
「勿論その予定です。車いすが完成すれば」
2年間ベッド上生活をしていたジャンルイジ大公は立ち上がることもままならない。
車いすがあるのだが、彼の体にフィットしたものはなかった。現在技術者に依頼して特注で作らせている次第だ。
食堂は1階、ジャンルイジ大公の部屋は3階である。
さすがに2回分の階段を車いすで移動は苦労しそうだ。
「車いす用の昇降設備を今考えている最中です」
ルドヴィカはどんと傍らに置いていた図案を示した。
車いすにかっちりとはまれば、使用人たちの補助の元下の階まで降りたり、上の階まであがったりできる代物である。
「できればしばらくは殿下には1階で過ごすのがいいのではと思いますが」
ルドヴィカは窓の外をみやった。
「ここの景色はあまりに素晴らしく……、殿下もこの部屋を気に入っているようですし」
1階の良い部屋を確認したが、ここまで見晴らしのよい部屋ではなかった。
長い間カーテンで締めくくられていたのが勿体ない程である。
「そりゃ、私の部屋だからな」
ジャンルイジ大公は深くため息をついた。
「それに私は部屋を出ない」
「2年間出ていませんでしたものね」
ルドヴィカはにこにこと微笑んだ。
「外へ出るには訓練が必要ですもの。大丈夫です。その為の計画や協力者も手配しておりますので」
「人の話を聞いていないな、お前は」
聞いてもいいが、ジャンルイジ大公の話はどれも後ろ向きなのである。
必死に前向きに話しているルドヴィカに身にもなってほしい。
と言いたいが、ルドヴィカが好きでやっていることである。
「殿下は私のお話を聞いてくださいますね」
ルドヴィカの言葉にジャンルイジ大公は頬を赤く染めた。
お酒は入っていなかったが、煮込みが甘かったのだろうか。
トマトと黄緑色野菜のスープを飲んでみるが、アルコールの成分はそこまで強くない。
「殿下、もし宜しければ次からは野菜を先に食べることをお勧めします」
糖尿病の食事療法の話になるが、野菜から先に食べて最後に糖質の多いものを食べるのが基本である。
これにより食後の血糖上昇をゆるやかにしてくれる。
食後の血糖の上昇がゆるやかになれば、その分必要な追加インスリン分泌は減っていく。
今のジャンルイジ大公は糖尿病には至っていないものの、極度のインスリン抵抗性に至っておりインスリン分泌過剰の状態だと考えている。インスリンは出ているが血糖を抑える為の効果が減弱しており多くのインスリンを分泌する必要が出てしまう。
インスリンは血糖値を抑える唯一のホルモンであるが、あまりに多すぎると体内脂肪が増えやすくなってしまう。すなわち肥満の悪化につながってしまう。
肥満によりインスリン抵抗性にいたるがそれがさらに肥満を増悪するサイクルに至っているのである。
「殿下、早く食べすぎです。もう少しゆっくりとしっかり噛んで食べてください」
細かく言うのは折角の食事の時間を楽しくなくさせてしまうのはわかる。
それでもジャンルイジ大公の食事の食べ方が気になってしまう。
今の彼の食べ方は食べるというより流し込む行為に近い。
あれでは胃の内容物が逆流して気管支に入らないかと不安でたまらなくなってしまう。
時々聞こえる咳の音は逆流性食道炎ではないかと考えてしまった。
執事長から聞いたところルドヴィカが訪れる前からジャンルイジ大公はときどき嘔吐をすることがあったという。それでも暴食をやめる気配がなく困っていたそうだ。
「ええい、いちいち煩いな。私がどう食べようと自由にさせろ。お前の希望通り、間食を減らしてやっているのだから」
今は食事の時間をできる限りルドヴィカの案に合わせてくれるようになっただけありがたいと思うべきだろう。
「でもどうしてそのように早く食べるのです。危険な食べ方です」
「ええい、いつ戦争が起きるかわからないのだ。ゆっくりと食べる余裕などないだろう」
ルドヴィカは立ち上がり、ジャンルイジ大公の元へと近づいた。
さすがに言い過ぎたかとジャンルイジ大公はしもろどもろする。言っていた内容は特にルドヴィカを傷つける内容ではないと言おうと思えば言えたが、黙っているルドヴィカを目の前にすると言えなくなる。
ルドヴィカは両手を広げ、ジャンルイジ大公は思わず目をつぶった。
「殿下」
ルドヴィカはジャンルイジ大公の両の頬を両手で包み込んだ。
「よく考えてください。今は戦争が終わって5年経ちました。あなたのおかげで平和になったのです」
彼女の言葉はゆっくりと静かにジャンルイジ大公の耳に届いた。
「確かに戦争はいつ起きるかわかりません。その機微は私にはわからない。あなたにしかわからないこともあるのでしょう。……でも、食事をゆっくり楽しむ時間くらいはあると思います」
ルドヴィカはにこりと微笑んだ。
「この野菜もお肉も戦争が終わり農家の方々が元の生活に戻り大公城へ届けてくれたものです。どうか、しっかりと噛んで味わってください」
ジャンルイジ大公はうぅと目を伏せた。顔が妙に赤い。
「誰もあなたがゆっくり食事を摂っているからと責める者はいません」
「お前は私が決まった時間にとるように言うではないか」
「それは……えへ」
それとこれは話は別だし、ジャンルイジの健康管理の為に仕方ないのだと言おうとした。でも、今の彼にはおしつけがましく聞こえるだろう。
ルドヴィカはごまかし笑った。
「わかった。気を付けよう。だから、放してくれ」
「いえ、もしかして殿下はお風邪を召したのでは……今から医者を呼びましょうか」
「いいから、食事は終わったし早く出て行ってくれ!」
ジャンルイジ大公は呼び鈴を鳴らし、執事長を呼びルドヴィカを部屋から追い出した。
ようやく静かになった部屋の中ジャンルイジ大公は残された食事を眺めた。
まだスープが少し残っている。
先ほどルドヴィカが言っていたことを思い出した。
どうかしっかりと味わって。
ジャンルイジ大公はスプーンでスープを掬いだす。キャベツとトマトの切れ端がみえる。
そういえば、ルドヴィカが大公城へやってくるまで久しくキャベツを食べていなかったな。
それをぱくりと口に入れる。ゆっくりと噛んで食べてみた。
「うまい」
流し込むように食べていて気付かなかったが、色んな工夫で味付けされている美味なスープであった。キャベツにも甘味がでていた。
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