第6話 魔法棟の見学
魔法棟。
大公城に隣接するように建てられた公的機関である。
大公領の魔法使いたちが所属しており、ここで毎日研究、修練を積み上げている。
「はじめて来たわ」
バルドの案内のもとルドヴィカは5つの塔の複合施設を訪れた。
前世では訪れる機会はなかった。戦争が起きて、帝国軍からの攻撃で多くの魔法使いたちが命を落とすことになった。多くの魔法概念、道具が焼失したことにより他国の有識者たちが遺憾の意を示していたことを今も忘れられない。
帝国にも一応魔法棟はいくつか存在している。
ルドヴィカは魔力を僅かに持つものの、才能がないと早々諦めてお妃教育に専念していた。魔法棟を訪れる機会はなかった。
アリアンヌは才能があったというから定期的に通学していた。
自分も通ってアリアンヌを監視しておけばよかったと今なお後悔している。
おそらくその時の経緯でアリアンヌは魅了魔法を身に着けたのだろう。そして悪用するに至った。「うちのアリアンヌは天才なんだ」と父母は大喜びしていたが、今思えばあれはただの娘への溺愛だったのか、娘の魅了にかかってしまったのか疑わしい。
代表格らしき魔法使いが出迎えて、中の様子を案内してくれた。
魔法だけを研究しているわけではないようだ。海外の科学、医学も積極的に取り入れて独自の発展を遂げようとしている。
この魔法棟から開発された医療品もいくつかあるという。
勿論異民族、騎馬民族との争いの絶えない地であったため戦争の為の道具も開発されている。これが使用されないことを願わなければ。
前世でビアンカが帝国に叛意を示し大きな戦争を起こした時のことを思い出した。ルドヴィカはビアンカへの謁見を求めた、謁見を与えられることはなく、久々に再会したビアンカは首だけの姿であった。
あの痛ましい日はもうこりごりである。その為にはビアンカがしっかり成長するまでの間ジャンルイジ大公に生きてもらわなければならない。
そのために必要なのは健康管理なのだ。
「大公妃は医学に興味をお持ちと聞きました。まだ内密のものですが、今開発中のものをご覧いただきたい」
「ええ、是非」
今後の役に立てそうなものであればウェルカムである。
新開発中の薬、治療道具、前日発表された論文の概要資料を披露してもらった。
朱美の世界でいえば、中世ヨーロッパ風味の世界だというのに近代に近いものだった。
「すごいわ。私は最近医学に興味をもったばかりなのだけど」
無論嘘だけど、現在のルドヴィカの経歴を考えるとそういわざるを得ない。
「こんなに発展を遂げていたなんて知らなかったわ」
「これも全て、大賢者たちのおかげでしょう」
各国の魔法棟に奇跡のように現れた逸材たちのことである。数々の功績を持ち、生前・死後に大賢者の称号を与えられた。
どうやら彼らの画期的な考えのおかげでこの世界は大きく進歩したそうだ。
(もしかして朱美と同じ世界からの転生者だったりして)
過去数百年の大賢者たちの話を聞きルドヴィカはちらりと考えてしまう。どうあれ、彼らの先進的な考え、行動力によりルドヴィカは大層助かってしまっている。
「たいへん有意義な時間を過ごさせていただきました。可能であればご協力をいただきたいのですが……その為の魔法使いはいらっしゃいますか?」
ルドヴィカはこれから自分が行おうとする計画を披露した。
魔法使いはふむふむと頷いていた。はじめは大公妃の突拍子もない発案だろうと聞き流す程度だったようだが。
「そうですね。大公殿下のあれにはどうしたものかと悩んでいました。それであればルフィーノが適任でしょう」
ルフィーノはバルドの弟魔法使いである。
人体研究を専攻しているという。魔法属性は攻撃魔法ではあるものの重力系魔法にも特化している。科学にも優れており、先ほど新開発中の道具のいくつかは彼の発案によるものだった。
「是非、ぜひ!」
ルドヴィカとしてはこれほどの協力者はいないだろうと喜んだ。
早速ルフィーノとの面談の場を設けてもらった。応接室でルドヴィカはお茶を飲み過ごしていた。その間に魔法使いから別の研究内容を確認してみる。
「大公妃は何をお望みで」
「そうね。内臓をみる方法とか」
言い方に魔法使いとバルドが目を合わせる。
「解剖学ですか。確かに、その設備はありますが……大公妃をお通しできる場所じゃなくて、防腐剤で匂いが……」
しどろもどろながらも必死に要望に応えようとするが、ルドヴィカは首を横に振った。
「いえ、解剖ではなく……いえ、解剖学も大事だけど」
今言っていた自分の言葉は一見猟奇的にみえたことだろう。
「体を切ることなく内臓を評価する方法です」
レントゲン、もしくは超音波検査、放射線画像検査のCT、電磁波検査のMRIである。
さすがにまだそこまでの開発には至れていなかった。
血液検査・尿検査が発達している分ありがたいと思うべきなのだろう。
「こうピカっと光って、ばばっと画像だしてくれたり……」
朱美は古い知識で訪ねていく。
どういう概念で、経緯で開発したかなど知らないルドヴィカはとにかくどういった検査かを必死に説明した。
「そういったものはないですね。開発できれば大賢者の称号を得られますよ」
それもそうだ。
ルドヴィカが画像検査の道具を求めていたのは理由がある。
ジャンルイジ大公の現状を把握することである。
肥満症というのは原因は食生活のみではない場合がある。それは内臓病である。
頭の下垂体、お腹の副腎に腫瘍があるかどうかを知りたい。
朱美の専門分野は内分泌代謝内科である。病的肥満症を受け持った場合、まずは調べるのはその人に肥満を引き起こす病気がないかを調べることだ。
どうみてもあのジャンルイジ大公の食生活が原因であっても、まずそれを調べないといけない。それは専門医を名乗る朱美の使命感であった。
でも、調べるだけの道具が限られているのよね。
血液検査で糖尿病と甲状腺の病気がないことを確認できただけよしとしてもいいのかもしれない。
「せめて、超音波検査が欲しい……エコーで副腎腫瘍をみるのは難しいけど、膵臓がんがないかは何とか。いやあの脂肪で視れるのか……膵臓。いや、脂肪膵はエコーではすごい真っ白にみえるというし、逆にみつけやすいのか?」
「大公妃は随分熱心ですね。発想も面白いですし」
ルドヴィカはぶつぶつと独り言を語っているが、魔法使いはえらく関心してバルドをみやった。バルドは事前にルドヴィカの勉強姿勢を報告していたので、案内を請け負った魔法使いは好意的に感じていた。ちなみに大公城図書館の司書であるバルドは、この魔法棟所属である。
ルフィーノを呼び出していたスタッフが戻ってきた。
一人で戻ってきて彼は申し訳なさそうに報告した。
ルフィーノは応召しなかった。拒否といってもいい。
魔法使いたちは困ったように大公妃のルドヴィカに謝罪した。
「才能ある者なのですが、偏屈なところがありどうか無礼をお許しください」
「構わないわ。アリアンヌの一件があって警戒しているのでしょう」
魔法使いはちらっとバルドをみた。
ルドヴィカはお茶を最後まで飲み干して、ソーサーに置く。
かちゃりという音が響き、呼び出しに出ていた魔法使いスタッフは青ざめた表情であった。
「ルフィーノさんのいる部屋はどちらかしら」
ルドヴィカはすくっと立ち上がった。
「いえ、彼の研究室はその大公妃が訪れるような場所ではありません」
魔法使いたちはあわわと言いながらルドヴィカを止めた。
ルフィーノを必ずこちらへ連れて来ると宣言するが、ルドヴィカを警戒しているルフィーノが来るのは難しいだろう。
「まずは彼に会いたい、というのであれば呼ぶのではなく私から行くのが筋でしょう」
どんな汚い場所であろうとルドヴィカは構わないと言った。決して文句は言わないのでルフィーノの部屋へ訪れることを求めた。
ジャンルイジ大公に続いての部屋直撃訪問である。
「ルフィーノさん、私はルドヴィカと申します」
「帰ってください」
閉ざされた扉の奥から響く男の拒絶の言葉である。
挨拶を返そうともしない失礼な言葉に魔法使いたちは慌てた。バルドもさすがにまずいと顔に出していた。
「も、申し訳ありません。大公妃」
「こら、ルフィーノ! 大公妃さまに向かって何て無礼な」
魔法使いたちが謝罪、ルフィーノへの叱咤で忙しそうである。
「いいのよ。事前予約もなく訪れた私こそ無礼なのだから」
ルドヴィカはにこりと微笑んだ。
彼女の大人な対応に魔法使いたちはほっと安堵した。
「ルフィーノさん、あなたにお願いがあってきました。まずは顔をみせていただけませんか? 挨拶をしたいのです」
「帰ってください」
相変わらずの拒絶の声、それに呼応するように少年たちの叫びであった。
「そうだ。悪女はかえれー」
「かえれーかえれー」
あの図書館でルドヴィカにりんごを投げつけた少年たちだ。
「まぁ、お久しぶり。そういえばりんごの忘れ物を持ってき忘れたわ」
ルドヴィカはほほと笑った。
怒るどころか不敵な態度のルドヴィカに部屋の奥ではひそひそと声が交わされた。
「兄ちゃん、あの悪女なんかこわいよ」
「きっと何かの罠だ。油断させて俺たちを悪女の取り巻きにしようとする算段なんだ」
ひそひそとしているつもりだが、まる聞こえである。
ここで何を言っても扉は開かれる様子はない。
「仕方ありません」
ルドヴィカは深くため息ついた。
魔法使いたちはその場に土下座しルフィーノと弟子たちの無礼を詫びようとした。その前にルドヴィカは朗らかに部屋へと伝えた。
「今日はお邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした。また改めてきますのでよろしくお願いしますね」
思いもしない反応に魔法使いたちはぽかんと口を開く。
もしかしたら騎士を呼び込んで、扉をぶち壊しルフィーノたちを連行するのではないかと心配であった。
「くるなー」
「かえれー」
怖い者しらずの子供たちはいっそうルドヴィカへの帰れコールを繰り返した。
ルドヴィカは特に気にする様子はない。
「元気な子供たちだこと。でも、人に向かって悪女というのはダメだと言ったのに」
「重々厳しく言いつけます」
恐縮しきった魔法使いたちは青ざめて宣言した。
ルドヴィカの行動に付き合わされただけだというのに、逆に可哀そうに思えてくる。
「次訪問する許可をいただきたいのですが」
予約を取り付けて、ルドヴィカは大公城へと戻った。
「大公妃様、申し訳ありません」
頭を痛めた様子のバルドも可哀そうなほど恐縮していた。まさか実の弟があのような無礼な態度をとるとは思わなかったようだ。
「いいのよ。随分私を警戒しているのね。アリアンヌが余程彼に迷惑をかけたのね」
バルドは苦笑いして頷いた。
「とりあえずバルドさん、弟さんの今までの経歴や研究成果がわかる書籍を選別して届けていただける?」
「弟のですか?」
「ええ、後日改めて挨拶にいくからその前に彼のことをしっかりと知らなければ」
全くルフィーノのことを知らないまま力を求めるなどむしのいい話である。
まずはルフィーノことを調べて、今彼がどんなことを求めているかを確認しなければならない。
研究に没頭しているということはそれだけ彼には大事なことなのだ。その時間を割いて協力を仰ぐのだからルドヴィカは相応の対価を支払わなければならない。
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