Chapter2-5 ブラックウルフ戦


 猛さを感じさせる、低い雄叫び。

 それはまるで、肉食動物が獲物を見つけた時のような反応だ。



(まさか、ティアが襲われてるんじゃないのかっ)


 そう思った瞬間、反射的に体が動いていた。


 俺は飛び跳ねるように立ち上がって、ティアの向かった方向へと走り出す。



 どうか無事でいてくれと願いつつ、森の中を駆け抜けていく。


 そして、遂に視界に捉えた。木々の間から僅かに漏れ出る光の中に、黒い影が浮かぶ。そのシルエットは、どこか熊を思わせる巨大な形をしていた。


 ただし、サイズは普通のクマよりも遥かに大きい。人間など簡単に押し潰せるほどの巨体を持った獣が、地面に座り込んでいるティアに向かって襲いかかろうとしていた。


 元勇者を倒せるほどの相手が来やがったのか!? 遠目にしか見えないが、どうやら足を怪我しているようだ。このままじゃ彼女が危ない!!



「大丈夫かティアァッ!!!」

「カイト!? どうしてここに!」

「異変を感じて飛んできたんだ。それよりも……おい、そこの黒いの! お前の相手はこっちだ!」


 怯みそうになる心を抑え付け、俺は喉を震わせて叫んだ。それと同時に、左手を前に突き出すようにして構えを取る。


 そして心の中で念じると、右手の甲に熱が集まり始めた。

 やがてその熱が弾けるように拡散していく。その感覚を覚えた直後、俺の手には巨大な剣が握られていた。



「俺がコイツの気を引いている間に、ティアは逃げろ!」


 具現化した聖剣を両手に持ち直し、目の前の敵を見据えて身構えた。すると、黒い獣もこちらに気付いたのか、そいつはゆっくりと振り向いてくる。



「グルルルゥ……」


 その姿はやはり、想像した通りだ。

 全身が黒く、毛並みがフワリとした大きな熊がそこにいた。いや、これは熊じゃない。



「――デカいグリーンウルフの色違い? いや、コイツはその親玉か!?」

「ガルルウッ!」


 その瞳は赤く染まり、口元からは鋭い牙が見える。


 おそらくこいつはグリーンウルフの群れのリーダーだ。

 何故なら少し離れた木立の影から、さっきも見たグリーンウルフたちがこちらの様子を窺っているのが見えたからだ。


「マズいぞ……ゲーム内のランクで言うと、グリーンウルフは一番下のGランク。だがコイツがその上だとすると……」


 グリーンウルフは群で行動し、連携を取ることでF-ランクに匹敵する強さを持つと言われている。それらを統率する個体ともなれば、尚更強いモンスターのはずだ。とてもじゃないが俺が敵うような相手じゃない。



「……でも、やるしかないんだ。ティアを守れるのは俺しかいない」


 俺は覚悟を決めて剣を構えた。

 しかし、次の瞬間。



「待って、カイト!」


 ティアが突然、叫ぶ。見れば彼女はその場から動いておらず、ただ俺のことを見つめていた。



「ブラックウルフと戦っちゃ駄目!」

「それがこのモンスターの名前なのか? 戦うなって、今はそんなこと言ってられないだろ!」


 この世界では死ねば終わり。俺はゲームオーバーになっても28年後に蘇るが、この世界の住人であるティアは違う。ティアだってそれを分かってるはずなのに……。


 彼女は真剣な表情を浮かべたまま、その場から一歩も動こうとはしなかった。


 ティアがウルフに喰われる姿を想像した瞬間、俺の中にあった恐怖が徐々に薄れていくのを感じる。



 そうだ。何をビビッてるんだよ、荒津海人。

 ここはゲームの世界だ。ここで死んだら攻略に影響が出るかもしれないが、それでも死ぬわけじゃ無い。


 それに俺は勇者になりきると決めたじゃないか。今さら尻込みしてどうする!



「分かったよ。でもお前は危ないから下がっててくれ。後は任せろ」


 そう言って、彼女を安心させるように微笑んで見せた。今の俺じゃかなわないのは分かってる。それでもモンスターからティアを引き離すことぐらいはしてみせるさ。



「カイト……」


 すると、何故か彼女が頬を赤らめて俯く。どうしたんだろうか。


 まぁいい、今は戦闘に集中しよう。俺は改めて、目の前の巨体を見上げる。

 さすがは最新型のVRゲームというべきか、こうして近くで見ると迫力が違うな。



「グオオォッ!!」

「うおっ!? あぶねぇっ、“ひとつかみの栄光”発動――!!」


 俺が観察していると、いきなり吠えながら襲いかかってきた。慌てて横に飛んで避けるが、体勢が崩れてしまう。


 まずい。このままだと追撃を食らう。急いで立ち上がり、剣を構えるが――。



「ヴァウッ!!」

「ぐううっ!? お、重いぜチキショウ!!」


 ブラックウルフは振り返りざまに俺に飛び掛かってきた。


 それを俺は幅の広い大剣を盾代わりに受け止めたが、何しろ相手は熊みたいな体格だ。あまりにも重く、そのまま圧し潰されそうになる。



「こんのっ、どっか行けぇっ!!」


 剣を横に逸らすことでどうにかダメージは最小限で耐えたが、ブラックウルフの攻撃は止まらない。

 空中で一回転したかと思えば、その巨大な前足で地面を蹴ると、弾丸のようにこちらへと向かってきた。


 速い。まるで瞬間移動だ。一瞬で距離を詰められる。



「っ!」


 咄嵯に剣を前に突き出す。

 直後、凄まじい衝撃とともにブラックウルフの爪撃が剣に直撃する。


 その威力に体が浮き上がり、地面に叩きつけられた。



「ぐぅ……!」


 なんとか立ち上がるが、腕が痺れてしまった。体重に速さが掛けられ、運動エネルギーが馬鹿みたいにデカくなっている。こういう物理法則は現実と同じなのかよ!?


 そして“ひとつかみの栄光”の効果時間がもう半分しかない。



「このままやられてたまるかってんだよ!!」


 こうなったらイチかバチかだ。武器というよりも防具となっている聖剣を手放すことになるが、仕方ない。



「お前はこれでも喰らっとけ!」


 聖剣は“ひとつかみの栄光”の戦闘開始直後からずっと握っている。操作するための条件は十分だ。


 俺は聖剣を前を突き出し、可能な限りのスピードを乗せて射出する。

 狙いたがわず、ブラックウルフに向かって一直線に飛翔していった。


 取り敢えず俺の狙い通り。だが速度はともかく、実際はなんの特殊効果もない、ただのぶん投げだ。しかし奴はそんなことは知らない。



「グルァッ!?」


 ブラックウルフは、突然目の前に迫ってきた凶器を慌てて避けた。――が、当然ながら俺の攻撃はそれで終わりじゃない。



「おらおらおらっ!! いつまでもお前を追い続けるぜ!!」


 俺は『握った秒数だけ自由に操作できる』というスキルの効果を使い、聖剣を操作して追撃を行う。避けたそばから、勢いはそのままに聖剣が再びブラックウルフを襲う。

 物理法則なんてガン無視して飛び交う武器に、さすがのブラックウルフも防戦へと転じた。



「よしっ、イケる! っていうかもしかして、このまま倒せるんじゃないか!?」

「カイト! 周りに気を付けて!!」

「ん? 周り……っておいおい。この野郎、このタイミングで仲間を呼びやがったのか!?」


 ティアの声に従って、ブラックウルフから一度視線を外す。すると木々の隙間から配下のグリーンウルフたちがこちらへ向かっているのが見えた。


 それも全部で20匹以上はいるだろう。さっきの倍近い数だ。



「グルルルル……」

「わふっ!!」

「わおおおんっ!!」


「あー、さすがにこれはちょっと無理かも」



 そんな弱音を吐くと、グリーンウルフたちはチャンスとばかりに一斉に突撃してきた。



「ああクソ、こうなりゃヤケだ。分かったよ。とことんやってやろうじゃないか!!」


 剣を手元に呼び戻し、俺は決死の覚悟を決めた。



 ▷NEXT Chapter2-6 ウルフたちの宝

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