第93話 協力者
ロクサーナは心中穏やかではなかった。
先日、アルヴィンが濡羽を連れて、グランラーゴの街中で大暴れしたせいで、その根回しと
さらには、食事会の席での聖王国第五王子の発言だ。
「そう言えば、街に出かけた時に可愛らしいヴィオラの花が咲いていましたよ」
前後の会話の流れから、特に怪しむような発言ではない。しかし、ロクサーナにとってそれは心乱れるのに十分な言葉だった。
なんとか表面上は取り
――あのユリウスとかいう王子、もしかしたら何か勘づいているのかも。
ロクサーナは考える。
聖王国の第五王子の噂はかねてより耳にしている。第三王子と共に、その優秀さは国外でも有名だった。
実際、裏は取れていないが、数年前にゼークトが失敗した聖王国への麻薬の
間違いなく、敵にすると厄介な相手である。
復讐が実現するまで、もうあと少しのところまできているのだ。今ここで、ユリウスたちに尻尾を
今まで以上に、行動には慎重にならなければいけないだろう。
だから、ロクサーナはアルヴィンに警告した。もう、裏切者のゼークトのことは捨て置けばいい。それよりも目立つ行動をしないように言い聞かせる。
「私が誤魔化せるのにも限度があるわ。もう後は、祭典当日まで待つべきよ」
ロクサーナの発言に、しかしアルヴィンは不服そうだった。
残念ながら、ロクサーナはアルヴィンに命令することはできない。二人は利害が一致しているだけの協力者で、主従関係にはないのだ。
だから、ロクサーナは辛抱強く説得する。
「もう計画は完遂まであと一歩よ。軽はずみ行動で、これまでのすべてを無駄にする気?私の復讐もあなたの野望も」
「……分かっていますよ」
何とかアルヴィンに不用意な行動を避けるよう約束させて、ロクサーナは胸中で舌打ちする。まったく、魔族は扱いづらい――と。
*
あれは今でも鮮明に覚えている。
夢だ。そう、夢。
――さあ、思い出して。
夢の中で美しい女性の声を聞き、ロクサーナは突如前世の記憶を思い出した。自分がラヴェンダ・ロレンツォだった頃の記憶を――。
愛する恋人のため、ならず者たちに身を差し出したラヴェンダを待っていたのは地獄だった。
身ごもったラヴェンダを、婚約者は助けてはくれなかった。事実を包み隠し、挙句の果てには彼女に冤罪を着せて、投獄した。
最期まで自分を信じてくれた家族は殺され、ラヴェンダ自身も弁解の機会を得られぬまま、火刑に処せられたのだ。
その計画を練ったのは、ラヴェンダの後輩だった神子イメルダ、そしてロレンツォ家の没落で利を得る家門の者たちだった。
自分を裏切った婚約者のヴェネリオ・カルロ。
自分をはめたイメルダたち。
散々尽くしてきたにもかかわらず、あっさり自分を見限った教皇国の国民たち。
彼らを許すことができるだろうか、いや誰一人許すことはできない。
前世の記憶を取り戻したその時から、ロクサーナの頭の中には復讐だけがあった。どうすれば、やつらに自分の味わった地獄を思い知らせることができるか。
そんな折、突然現れたのは魔族のアルヴィンだった。
彼はロクサーナに協力を持ちかけた。
「あなたが異界の門の修復を手伝ってくれるなら、私もあなたの復讐に助力しましょう」
異界の門の向こうは魔物たちが巣食う魔の世界だ。その門が開かれれば、この人間界がどうなるか――少し考えればすぐに分かった。
しかし、それはロクサーナにとって、どうでもいいことだった。
――そう、どうでもいいわ。復讐ができるなら世界が滅びたってかまわない。
そしてロクサーナは、アルヴィンの手を取ったのだった。
実際、アルヴィンは役に立った。今、教皇たちが夢中になっている麻薬も、もともとはアルヴィンが持って来たものだ。
エルドラン王国に
それから試作品をさらに改良して、今の麻薬ができた。より多幸感が得られ、依存性の強いものへと変えた。逆に、意識障害などの副作用は試作品よりも抑えた。
――だって、つまらないもの。
ロクサーナは思う。
教皇たちには正気を保っておいてもらわなければ困る。意識ははっきりとしたまま、自分たちのせいで国が滅ぶところを最前列で見届けてもらわなければならない。
ロクサーナがヴェネリオとイメルダに取り入るのは、実に簡単だった。
イメルダは相変わらず承認欲求が強く、耳障りの良い言葉で自尊心をくすぐってやると、あっという間にロクサーナを懐に入れた。
ヴェネリオは多少警戒したが、過去の罪に付け入れば、すぐに落ちた。元々、気が弱い男だったとロクサーナは思い出す。気が弱く、でも優しい彼のことが大好きだった前世の自分は、なんと人を見る目がなかったことだろう。
そうしてロクサーナは、二人に例の麻薬を薦めたのだった。
拍子抜けするくらい簡単に、麻薬は宮中に広がった。得られる多幸感のわりに、副作用が弱いことが功を奏したのかもしれない。教皇と聖女の側近も、あっという間に立派な中毒者になった。
そして、今宵。宮殿の一角の会場で、皆は薬の快楽にふけっていた。
表向きは、聖女が主催する夜会ということになっている。時折、
ロクサーナは、しばらくイメルダの話し相手になっていたが、彼女が若い男とどこかへ消えてしまと、ひっそりと会場を後にした。目指すは、宮殿の第二書庫だ。
グランラーゴ宮殿には書庫が二つあって、もっぱら使われるのは第一書庫だ。第二書庫は教皇たちの
そして、ロクサーナは知っていた。実はそこには隠し部屋があることを。
これは代々、教皇にしか受け継がれていない秘密の部屋で、前世でヴェネリオがこっそり教えてくれたものだった。
今宵のロクサーナは、その中の物に用があった。
教皇夫妻と
ロクサーナは容易に第二書庫に侵入し、ヴェネリオから教えてもらった通り、壁際の書架からとある一冊の本を抜き取る。すると、小さな音を立てて本棚が回転し始めた。それに乗じて、彼女も本棚の裏へと移動する。
それが秘密の小部屋だった。
小部屋の中には魔術の灯りがあって、思いのほか明るかった。おかげで、中の物をしっかりと調べることができる。
室内には豪華な装丁の本や古びたランプ、金の額縁に入った絵画など様々な物が置かれてあった。そのどれもが歴代教皇の所有物で、非常に価値のある品である。しかし、ロクサーナはそれらには目もくれず、棚に置かれた小箱を手に取った。
蓋を開けてみると、そこには銀の装飾が施された美しい短剣が収まっていた。鞘を抜くと、一点の曇りもない刀身がきらりと輝く。
「破邪の剣……」
確かめるようにロクサーナは
魔を滅する力があると言われている聖なる短剣、教皇国に伝わる遺物の一つだと――かつてヴェネリオは語っていた。
百年前、勇者と共に魔王討伐に加わった
何度も言い含めておいたが、魔族であるアルヴィンを人間が服従させることはできない。ロクサーナとアルヴィンは協力関係にあるが、そこに信頼はなかった。
万が一、彼が暴走してロクサーナの復讐計画を
ロクサーナは短剣を懐にしまい、静かに隠し部屋を出た。そのまま第二書庫を立ち去ろうとしたとき、不意にドアノブが動く。
「――っ!?」
「……皇女?」
現れたのは、教皇ヴェネリオだった。彼は焦点の定まらない目で、ロクサーナを見下ろす。おそらくクスリが効いているのだろう。
ロクサーナは動揺を隠し、にこりと笑みを作った。
「あら、教皇様」
「こんなところで……何をしていたんだい?」
「実は聖女様がいなくなってしまって、探していたのです。無断で部屋に入ってしまって、申し訳ございません」
何も知らない少女のように、
「……妻のことは放っておきなさい。夜ももう遅い。君も自分の部屋へ……」
「……分かりました」
ヴェネリオの声には非難の色は全くなかった。ロクサーナはホッと胸を撫でおろし、あてがわれた客室へと戻ることにした。
ロクサーナが去ってからしばらくして、教皇ヴェネリオは壁際の書架に触れた。秘密の部屋への仕掛けが隠されている、あの本棚である。
「まさか――」
彼は眉間にしわを寄せ、泣きそうな表情でそう
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