第92話 皇女の前世

 何はともあれ、ユリウスが偵察スカウトを使えるようになったおかげで、クスリの探索もはかどるだろう。

 私はそう満足して、自分の宿に戻ろうとしていたところ、帰り際にユリウスに引き留められた。


「君はロクサーナ皇女についてどう思う?」

 突然そう聞かれ、その意図について少し考える。

 言うまでもなく、ロクサーナ皇女はこれまでの事件の黒幕とおぼしき人物だ。聖王国、エルドラン王国、そしてこの教皇国で暗躍する少女。

 しかし、そんな事実ではなく、ユリウスが聞きたいのは彼女の人物像についてだろう。


 私は皇女とはお会いすらしておりませんが――と前置きした上で私は口を開いた。

「ロクサーナ皇女の行動力はとても十五の少女のものとは思えません。そもそも、ゼークトさんの奥さんの治療と引き換えに、彼に汚れ仕事をさせたのは、彼女がまだ十歳ころだったと聞いています。どう考えても異常です」

 この件は、以前レナたちとも話したものだ。

「だからもしかすると、ロクサーナ皇女は私や殿下と同じで……」

「前世の記憶があると?」

「確証はありませんが」

 ただの推論だったが、ユリウスは特に否定することもなかった。それで、この機会に私はもう一つ考えていたことを彼に話す。


「実は、イマイチ理解しきれなかったのが、帝国の目的です。裏に魔族がいるとはいえ、帝国はなぜ魔王復活なんかに加担したのか――その意図が分かりません」

「これがおとぎ話なら、魔王の力を借りて世界征服を……なんて話になりそうだけれどね」

「しかし、魔王の力を制御するなんてです。あの存在は人間がどうこうできるものではありません。そんなことも、分からないのでしょうか?」

「実体験として、魔王の脅威を知っている者はいなくなってしまった。僕と君の他は、ね。だから魔王の力を手に入れようとする愚か者が現れる可能性も……まぁ、考えられなくはないだろう」

「ロクサーナ皇女も?」

「……」

「話に聞く限り、彼女は間違いなく聡明です。そうでなければ、一人の少女が自国にとどまらず、他国の政治にまで影響を及ぼすなんて不可能でしょう」

「じゃあ、どうしてロクサーナ皇女は魔王復活なんて愚行を犯そうとしているのかな?君はどう思う?」

 それが分からないから、頭を悩ませているのだが……。

 私はうーん、とうなる。


 一体、が聡明なロクサーナ皇女を駆り立てているのか。彼女が今の地位を得るまでの道のりは、決して平坦なものではなかったはずだ。そしてその努力の先が、魔王復活という破滅へのカウントダウンだなんて……。

 そこまで考えたとき、私は暗く苛烈かれつな感情の渦を垣間見たような気がした。

「……復讐」

 思わず、そんな単語が口から出る。

 すると、私の言葉に続けるようにユリウスが口を開いた。


「私も不思議だった。教皇国での麻薬のことは、ロクサーナ皇女が教皇ヴェネリオ・カルロの罪の意識に付け入ったのが始まりだ。しかし、他国出身で年若い彼女が、どうして教皇と聖女の過去の罪を知ったのだろうか?」

「あ……」

 確かに言われてみれば、その通りだ。三十年前の神子の冤罪は極秘事項だった。こんなものが世間に知られれば、メティス教の尊厳が揺らぎかねない。そんな秘密を、当時はまだ生まれてすらなかったロクサーナ皇女が知ったのは……?

 どくどくと心臓が音を立てるのが自分でも分かった。


 普通なら知り得ない秘密。

 それを知っているロクサーナ皇女は、前世の記憶を持っているかもしれない。

 では、彼女の前世は――?


「まさか……」

「ああ。おそらくロクサーナ・グローディアは、三十年前に処刑された神子ヴィオラ・ロレンツォのだ」

 ユリウスの答えに、私は目を見開いた。



 ユリウスから衝撃的な話を聞いてしまい、私は混乱したまま宿に戻った。すると、そんな私の様子を見て、先に帰っていたゼークトとクロエが心配顔でこちらを伺ってくる。

 そこで、私は素直に先ほどの話を二人に相談することにした。


「それは……なんと……」

 私の話を聞いて、ゼークトは絶句する。

「証拠はないよ。まだ推測の領域をでない。でも、エドワルド王だった頃から彼の推理はよく当たるんです」

 まるで人の心の中が透けて見えているのでは――と噂されていたくらいだ。

「あと、ロクサーナが癒しの皇女と呼ばれるくらい治癒術に優れているのも、前世が神子ヴィオラだったことに起因しているかも。色々と辻褄つじつまが合うんです」

「確かに。それだと教皇国では、皇女自身が積極的に動いている理由も分かります。教皇と聖女、そしてその側近たち。おそらく三十年前に、ヴィオラを陥れた者たちに、皇女は手ずから復讐しようとしているのでしょう。そして彼女は、この世界自体を憎んでいるのやも……」


 神子ヴィオラは民のために奉仕活動を続けた素晴らしい神子だった――とオルフェオも話していた。

 それまで民衆のために尽くしてきたのに、処刑の際に誰もヴィオラを助けてくれなかったこと――おそらく、彼女はひどく絶望しただろう。その憎悪の矛先が、教皇たちだけでなく、民に向いてもおかしくなかった。

 もし、ロクサーナ皇女がヴィオラだったとしたら、その復讐は正当なものだ。

 しかしだからと言って、魔王復活を見過ごすわけにはいかない。何とかして、彼女を止めなければ――そう思った矢先、


「クロエ殿!?」

 ゼークトが慌てて、倒れるクロエを抱き留めた。

 見ると、クロエの顔は血の気が引き真っ青である。

「クロエ、大丈夫?ごめん!私がいきなりこんな話をしたから……」

 私が謝ると、クロエはわずかに首を左右に振った。それから小さいが、はっきりした口調で言う。

「皆さんに……聞いていただきたいお話があります」



 ベッドに腰をかけながら、ぽつりぽつりとクロエは話し始めた。

 彼女の母はラヴェンダ・ロレンツォ。

 そして、ラヴェンダは神子ヴィオラ・ロレンツォの実の妹であることを。


「じゃあ、クロエにとってヴィオラ・ロレンツォは……」

「はい。伯母に当たります」

 クロエの母ラヴェンダの話では、伯母のヴィオラに冤罪がかけられ、さらにはラヴェンダとヴィオラの実の両親も口封じのために殺されてしまったらしい。唯一、ラヴェンダだけが命からがらエルドラン王国へ逃げることができたという。

 クロエの話を聞いて、なるほどと私は思った。彼女は非常に治癒術に長けているが、それはヴィオラ・ロレンツォの家系に因るものなのだろう。


「オルフェオ様のお話を聞いてから、ずっと伯母のことが頭から離れませんでした。もう三十年前のことで、無実を証明するのはほとんど不可能。頭を切り替えなければならないと、そう自分に言い聞かせていたのですが」

「それで最近、元気がなかったんだね」

「でも、まさか……妖精の里を滅ぼしたかたきが伯母の生まれ変わりかもしれないだなんて……」


 複雑そうな表情のクロエ。私とゼークトは顔を見合わせた。

 彼女をこのままこの事件に関わらせるのは酷ではないか、とそう思う。ゼークトも考えは一緒のようで、わずかにうなずいてみせた。


「クロエ。君は一度、船に帰ったらどうかな?今回のことに、無理に関わる必要ないよ」

 私がそう言うと、

「……いいえ」

 予想外にもきっぱりとした返事が返ってきた。

「伯母が道を誤ろうとしているのなら、私がそれを止めます。母のためにも」

 青白い顔のまま、クロエは真っすぐな目で私たちを見据えたのだった。



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