第90-2話 ロクサーナの来訪

 ユリウスがロクサーナと対面で話せる機会は早々にやって来た。

 教皇夫妻が食事会を開き、その席に呼ばれたのだ。


 そこにはユリウスやジェラルドだけではなく、エルドラン王国から王太子夫妻も招待されていた。もちろん、帝国の代表として教皇夫妻の友人として、ロクサーナの席もあった。

 教皇夫妻の一人息子であるオルフェもこの会に呼ばれていたはずだが、彼は出席していない。


 食事会は和やかにつつがなく進行した。

 ユリウスが直接話してみて分かったが、ロクサーナ皇女はとても大人びた少女だった。

 こちらが、

「かねてより皇女様の御高名は耳にしておりました。こうしてお会いできて光栄です」

 そう言えば、ちっとも照れる様子もなく落ち着き払って、

「こちらこそ。お二人のことは伺っておりました。とても優秀な方々だと。聖王国の未来は明るいですね」

 と返す。

 もっとも、大人びているのはユリウスも同じだ。

 そんな早熟な子供たちを見て、周囲は「大人顔負けですなぁ」と笑っていた。



 己の五感を研ぎ澄ませて、ユリウスはロクサーナを静かに検分した。

 彼女からは、教皇夫妻のようなしみついてしまった薬の臭いはしない。つまり、ロクサーナは麻薬を提供しているだけで、自身は使用していないのだ。

 一方で、教皇夫妻とその側近は麻薬にどっぷりつかっている。

 そこにユリウスは、ロクサーナのこの国に対する深い恨みが垣間見れるような気がした。


 自分の考えが正解かどうか確かめるため、ユリウスは動き出す。

 ちょうど会話は、この街の景観の良さを賓客ひんきゃくたちが褒めたたえているところだった。それに便乗する形で、ユリウスは口を開いた。


「確かに、この街は素晴らしいです。そう言えば、街に出かけた時に可愛らしいの花が咲いていましたよ」

 ヴィオラ――ユリウスが話したのは、この大陸では一般的な可愛らしい小ぶりの花の名前だ。

 しかし、教皇夫妻はその名前を聞いて見るからに顔をこわばらせた。特に教皇のヴェネリオは見るからに青ざめていた。


 一方で、ロクサ―ナ皇女。

 彼女は態度を全く変えず、悠然と微笑んでいた。少なくとも表面上は。

 だが、ユリウスの超人的な聴力には、激しく拍動する彼女の心臓音が聞こえていた。ロクサーナは完ぺきなポーカーフェイスをその顔に貼り付けながらも、内心は非常に動揺しているのだ。


――大したものだな。

 ひっそりとロクサーナの様子を伺い見ながら、ユリウスは思った。



 両親に必ず出席するように言われた食事会を当然のようにすっぽかし、オルフェオは宮殿の庭に座り、ぼうっと夜空を眺めていた。

 オルフェオの心情とは正反対に、満点の星空がキラキラと輝いている。


 聖王国やエルドラン王国との協力をとりつけることができて安心した半面、オルフェオは自分たちを取り巻く事態の複雑さに頭を悩ませていた。

 教皇とその側近たちが帝国の女狐の甘言に乗せられて、麻薬に手を出してしまったせいで、国がむしばまれようとしていた。だからこそ、オルフェオは教皇らを失脚させるため動いている。

 しかし、事態はより複雑らしい。

 聖王国やエルドランの王族が言うには、あの女狐は魔王復活を企む輩と共謀している可能性があるという。

 魔王復活なんて、それを言った人間の正気を疑うような話だ――が、それを口にしたのは各国の王族だというのであれば話は別である。

 現に聖王国やエルドランでは被害も出ているとのことだった。

 

 よりにもよって、そんな悪党をこの国に引き込むなだなんて――。 

 オルフェオは教皇たち――つまり自分の両親の不甲斐なさに、唇を噛んだ。

 そこにふと、かつての父親の面影がよぎる。オルフェオが尊敬してやまなかった頃の、父の姿がまぶたに浮かんだ。

「父さん……あなたは立派な人だったはず。それなのに……俺が見てきたあなたは、やはり嘘だったのか……?」

 オルフェオはうめく。

 父親のことを思うと、裏切られたことへの腹立たしさ、そして何より悲しさがどっと押し寄せてきた。


 そんな矢先、カツンと乾いた靴音が聞こえた。

「誰だっ!?」

 慌ててオルフェオが振り返ると、そこには凛とした雰囲気の若い女が立っていた。エルドラン王家の従者の女だ。名前は――レナ。

 先ほどの呟きを聞かれてしまったか――と内心オルフェオは焦った。その気まずさを誤魔化すように、思わず低い声が出る。

「……何か用か?」

「すみません。人の気配がしたもので……立ち聞きするつもりはなかったのですが」

 どうやらオルフェオの独り言は、ばっちりレナに聞かれてしまったらしい。己のうかつさに内心舌打ちしながら、

「用がないなら一人にしてくれないか」

 ぶっきらぼうにオルフェオは言った。


 レナは少し迷った後、オルフェオの隣に腰を下ろす。

「おいっ!」

「そんなに思いつめると体に毒ですよ」

「……同情でもする気か?」

「同情というより共感ですかね。私も信じていた人に裏切られたことがありましたから」

 どうせ適当なことを言って慰めるのだろう。そう思っていたオルフェオだったが……

「私、婚約者に浮気され、破断にされたんです。その後、あちらにさんざん悪評を立てられました。『私を浮気されても仕方ない女』と周囲に思わせるためでしょう。向こうの思惑通り、私の醜聞は都中に広まり、嫁の貰い手がなくなった私は出家を余儀なくされました」

「なんだ、その酷い話は……」

 オルフェオの想像していた二十倍くらい酷い話に、思わず彼はそう口走る。

「まぁ、オルフェオ様に比べたら大した話ではありませんが」

「いや、十分酷い話だと思うが……その、気の毒だったな」

「ありがとうございます」

 レナはふわりと笑う。

「でも、今は見ての通り吹っ切れています。その……お節介は十分承知ですが、誰かに話を聞いてもらうだけでも、気持ちが楽になることもありますよ?」

「……ふっ」

 妙に説得力のあるレナの物言いに、オルフェオはたまらず笑いをこぼした。


 気が付くと、オルフェオはぽつりぽつりと話していた。

 父親であり教皇であるヴェネリオ・カルロは物静かだが、聡明で優しい人であったこと。とても立派な人物で、息子であるオルフェオを深く愛してくれたこと。

 だからこそ、父の過去の罪やその罪悪感から逃れるために今まさに国を危うくしているのが許せない――と。

 そんなことを語った。


 かたわらにいるレナはそれについて特に何も言わず、時折相づちを打つだけであったが……不思議と、オルフェオの心は落ち着いた。

 考えてみれば、今までこんな風に誰かに自分の気持ちを吐露とろしたことはなかった。相談できる相手がいなかったのだ。

 急進派の仲間たちは優秀だが、権力のない神官が多いため、まだまだ勢力として弱い。

 そんな立場の弱い急進派が保守派に対抗するためには、強いリーダーシップが必要だった。だからオルフェオは、急進派をまとめる者として、誰にも弱音を吐くことなんてできなかったのだ。


 オルフェオが胸中を話し終えると、

貴方あなた猊下げいかこと、愛して尊敬されていたんですね。だから裏切られ、そんなにも苦しんでいらっしゃる」

 そんなことをレナはつぶやいた。

「そうかもしれない。俺の信じていたものが全て虚構きょこうだったと気づき、失望したんだ」

「果たしてそうでしょうか?」

「……何?」

「確かに教皇様の罪は許されるものではありません。でも、彼やその思い出全てを否定してしまってもいいのでしょうか」

「何が言いたい?」

「人間は立体的な生き物、色々な面を持っています。教皇様の卑怯な一面は事実。そして、優しく聡明なのもまた事実かと。もちろん、貴方あなたいつくしみ育てたことも」

「立体的……」


 そのことについて、オルフェオは考えてみる。

 過去に犯した罪に怯える卑怯で愚かな面も、オルフェオに対しての愛情深く聡明な面も、どちらもヴェネリオ・カルロという人物の一面。

 どちらか一方を否定する必要はない――と?


 レナは話を続けた。

「私の仲間にとても不思議な人がいます。遠くで見ていた時と、近くで見ていた時ではずいぶんと印象が変わりました。見る角度によって人間というものは変わるのだと実感した次第です。あ、もしかしたら私の元婚約者にも良い所が……う~ん、まぁ。あったかもしれませんね?」

 茶化すように笑うレナにつられて、オルフェオも口元をほころばせた。



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