第90-1話 ロクサーナの来訪

 オルフェオの話はユリウスたちにとって、かなり衝撃的なものだった。人間というのはこうも醜くなれるものか――それが実感できるものだ。

 そして、そんな過去を持っているのならば、教皇が罪の意識にさいなまれ、麻薬にすがるのも分からなくはない。


 ユリウスたちはオルフェオに協力することにした。

 悲劇の神子ヴィオラのことに加え、やはり教皇国が帝国の傀儡かいらいになることに危機感を覚えたからだ。

 帝国の思惑はまだはっきりと知れないが、この教皇国で何かをしようとしていることは確かだろう。もしかしたら、エルドラン王国や妖精の里のような悲劇が繰り返されるかもしれない。


 教皇たちを失脚させ、帝国の企みを防ぐ。それが目下の目標となった。

 しかし現実的な問題として、教皇と聖女たちを今の地位から引きずり落すことは困難だ。

 ヴィオラの件で、証拠らしい証拠と言えば、オルフェオが聞いたと言う教皇の部下からの証言だけ。それを裏付けるための物的証拠はない。



 結局、帝国と教皇たち、そしてくだんの麻薬とのつながりを明らかにするしかないだろう――そういう結論に至る。

 そんな折、ついにグローディア帝国のロクサーナ皇女のグランラーゴを訪れたのだった。



 柔らかく波打つブルネットの髪に、神秘的な赤い瞳。国内外で癒しの皇女と名高い少女――ロクサーナ・グローディアはグランラーゴの宮殿に到着するなり、教皇夫妻やその側近たちから熱烈な歓迎を受けていた。

 その様子をユリウスは遠くから眺める。


 ロクサーナへの歓待ぶりは、他の賓客に比べて頭一つ抜けている様子だった。やはり、彼女と教皇国の重鎮たちには何かしらのつながりがあるのだろう。

 自分よりもはるかに年上の大人たちに囲まれながらも、ロクサーナは実に堂々としていた。その落ち着きぶりは、とても十五の少女とは思えない。

 そんな彼女を観察しながら、「それにしても」とユリウスは思う。


――彼女はどこで教皇夫妻の罪を知ったんだろう?


 それが疑問だった。もし、ロクサーナが彼らの罪悪感につけこんで、麻薬におぼれさせたのだとしたら、どうやって過去の罪を知り得たのか。

 教皇夫妻が神子ヴィオラを処刑したのは三十年ほど前。つまり、ロクサーナが生まれるずっと昔のことである。


 年齢には似合わないロクサーナ皇女の落ち着きぶりと照らし合わせて、ユリウスは一つの可能性に気付く。もちろん、証拠も何もない、ただの憶測だが……。

「もしかして、彼女は――」



「クロエさん、顔色が悪いですが気分が優れないのですか?」

 心配顔のデュークに尋ねられて、クロエは「大丈夫」と慌てて否定した。

 先日、濡羽の兵に襲われたところを助けてくれてから、この騎士は何かと自分のことを気遣ってくれる。そのことに感謝と少しの戸惑いを覚えながら、クロエは無理して笑顔を作った。


 デュークに指摘されるまでもなく、クロエも自身が意気消沈していることを自覚していた。その原因は、街で聞いた三十年前の噂とオルフェオが話した事件の真実に由来する。

 ひどい濡れ衣を着せられ、失意の中命を落とした悲劇の神子ヴィオラ・ロレンツォ――実は、その名をクロエは以前から知っていた。

 理由は単純明快。

 クロエの亡くなった母の名はラヴェンダ・ロレンツォ――ラヴェンダはヴィオラの実の妹だった。


 クロエの母ラヴェンダは彼女が物心つく前に亡くなってしまって、クロエ自身には母の記憶はおぼろげにしかない。ただ、優しい温かなアメジスト色の瞳が印象に残っている。

 クロエが知る母の情報は、その多くが後で父クロノスによって教えてもらったものだ。


 母ラヴェンダは教皇国の出身で、ロレンツォ家という名家の生まれのお嬢様だった。ラヴェンダには親しい姉ヴィオラがいて、彼女はラヴェンダの自慢の姉だった。

 ヴィオラはとても優秀な神子だっただけでなく、とても優しい心の持ち主だった。彼女は自分の持てる力を困っている民衆のために捧げ、皆から敬わられていた。

 そうして姉は、教皇の婚約者になった。ラヴェンダは心からそれを祝福し、幸せな生活を過ごしていた。


 しかし、悲劇は不意に訪れる。

 ひどい冤罪のせいで姉は捕まり、両親も何者かによって殺されてしまった。

 ラヴェンダ自身は、身の危険を感じた両親の手によって国外へ逃がされていたため、事なきを得た。

 両親の死と姉の処刑、そしてロレンツォ家の取り潰しの噂を耳にして、とうとうラヴェンダは教皇国に戻れなくなってしまい、エルドランの田舎でひっそりと身を隠して暮らすことになった。

 それからしばらくして、里の外に出かけたクロノスと偶然出会い、見初められたのだ。


「いいかい?お前がロレンツォ家の血を引くことは絶対に口外してはいけないよ」

 父のクロノスは幼いクロエにそう言い聞かせた。

 教皇国でロレンツォ家は、メティス教と国の顔に泥を塗った異端者として扱われている。もし、その血を受け継ぐ子供がいると知れたら、どうなるか……そうクロノスは案じたのだ。

 クロエはそんな父の意図を理解し、自分がロレンツォ家の血筋とは誰にも明かしたことがなかった。

 そして現在に至る。


 クロエは、自分の母や伯母に当たる人物が不当な扱いを受けたことは知っていた。けれども、オルフェオの話を聞くまで――まさかここまで酷いものとは思いもしなかった。

 絶望、屈辱、嘆き、怒り――ヴィオラはどんな思いで最期を迎えたのだろう。そう考えると、クロエの胸が張り裂けそうになった。

 愛していた人々に裏切られ、これまで尽くしていた人々にも手のひらを返される。その中に誰か一人でも、ヴィオラを信じて反対の声を上げてくれるものはいなかったのだろうか。

 気付けばそんな考えで頭の中がいっぱいになっていた。同時に、気分を切り替えなければならないと、クロエは自分を叱咤しったする。


 伯母への冤罪は許せない。彼女の無念を晴らしたい――その想いは確かにあるが、事件は三十年前だ。オルフェオの話では、彼が得た証言以外、ロクに証拠もないという。

 そんな状況で、クロエがロレンツォ家の血を引く者としてヴィオラの無実を訴えたところで、どうなるというのだ。


 ただ、ヴィオラがクロエの伯母であることを、リベアやゼークトたちに言うかどうかは、少し迷った。

 悩んだ末、クロエは沈黙を貫くことにする。

 今は大変なときであり、クロエは仲間たちに無用な心配をさせたくなかった。邪魔になりたくなかったのだ。


――そうですわ。わたくしたちが今相手しているのは、帝国という巨大な敵。彼らは妖精の里の仲間たちのかたきです。そして、魔王復活――そんな愚かなことは絶対に止めなければなりません。


 今は私情に振り回されている場合ではない、とクロエは自分に言い聞かせた。そして、未だ心配そうにしているデュークに向けて、今度ははっきりとした笑顔を作る。

「大丈夫です」

 きっぱり、そう言いきった。



 ユリウスの魔晶玉に緊急の連絡が入ったのは、ロクサーナ皇女がグランラーゴ宮殿を訪れた日の夕暮れだった。連絡は、魔王復活の鍵となるらしい異界の門を調査しにベルカ公国跡に向かった部下からだ。

 一体、異界の門が現在どういう状況にあるか――それを知りたかったユリウスは、単刀直入に尋ねた。

 部下の男が震える声で答える。


「あ……ありません」

「えっ?」

「異界の門が消えているんです!!」



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