第89話 教皇と聖女の罪

 教皇と聖女の失脚。

 それが望みだと、彼らの実子であるオルフェオから告げられ、レナたちは当惑した。


「あなたたち急進派が保守派と争っているのは知っています、ですが……」

 レナは辺りを見回しながら言う。ここは宮殿内だ。現政権の転覆てんぷくを声高に言っていい場所ではない。

「そうだな。詳しく話したいが、ここではマズい。どこか場所を移そう」

 オルフェオが同意したところで、レナはリベアに連絡をとった。

 ちょうど良いことに、リベアは聖王国の王子たちと対談中だ。それでそのまま、レナたちもそこに加わる運びになった。



 私たちの元に新たに客が訪れた。

 アルコ、イリス、レナ。そして問題なのが――見知らぬ黒髪の青年。

 彼がオルフェオ・カルロ。現教皇夫妻の実子であり、急進派の中心人物でもあった。


「まさか、聖王国の王子たちまでいらっしゃるとは」

 開口一番、オルフェオは少し驚いた様子でそう言った。しかし、彼は「これはちょうどいい」と不敵に笑う。

「何がちょうど良いのでしょうか?」

 ジェラルドがおっとりと聞き返した。

「いずれ、エルドラン王国だけではなく、ティルナノーグ聖王国にも協力していただきたいと思っていたからですよ」

「協力?確か、貴方あなたたち急進派は、教皇やその重臣たちの選出の多様化を主張しているようですが……」

 ジェラルドの言葉に、オルフェオは首を左右に振った。

「確かにそれも目指している。けれども、真の目的は別に……」

「真の目的?」

「ええ。俺の……、急進派の最終目標は現政権の打倒です」


 私は目を丸くした。何とも思い切ったことを言う。

 こんな危ういことを、皆の前で堂々と口にするなんて……軽率すぎるのではないだろうか。

 私は少しドキドキしていたが、

「それは……穏やかではないですね」

 ユリウスは平然と微笑んでみせた。

「現政権のトップ、教皇と聖女は貴方あなたの実のご両親だ。その彼らを失脚させたいだなんて……一体どうして?」

「彼らがこの国の癌だからです。恥を忍んで言いますが、現在この国にはびこりつつある麻薬のことはご存知で?」

「それって西区の……?」

 思わず言葉が口から出た。

 私の頭に、今日の出来事がよみがえる。

 濡羽の襲撃でそれどころではなくなってしまったが、そもそも西区を訪れたのは、怪しいが流行していると、耳にしたからだ。

 そして実際、西区の住民たちはクスリの中毒者らしい人間が見受けられた。

「パイプを使っていましたね。吸引型の麻薬なのでしょうか」

「……そこまでご存知とは」

 オルフェオの顔に、一瞬悲しそうな影が落ちる。

「その通りです。そしてあのをこの国に入れたのが他ならぬ教皇たちなのです。すでに教皇やその側近の間では、あれが当然のように使われています」

「なっ……」

 私は絶句した。一国のトップが薬漬けだなんて前代未聞である。


 一方で、ユリウスはあくまで冷静。驚きなど、微塵も表に出ていなかった。

「そうなんですか?教皇夫妻と私も実際に会ってお話ししましたが、会話の受け答えに妙なところはありませんでした。麻薬の中毒患者にはとても見えませんでしたが?」

「ユリウス殿下。ここは多くの神官が集う治療術の最先端の街ですよ。麻薬による意識障害くらい、多少の治療できます」

「ふむ」

「しかし、という欲は何ともできない。一見、まっとうに見えても、彼らはれっきとした中毒者です。麻薬欲しさに、あの女狐のいいなりですよ」

「女狐?」

「帝国のロクサーナ皇女です」

 オルフェオの口から渦中の人物の名前が出て、その場にいた皆が息を呑んだ。

「ロクサーナ。あの女狐がこの国に麻薬を持ち込んだんです。おかげで、教皇も聖女も家臣たちも……あの女の言いなりだ。このままでは国がダメになる、滅んでしまう。だから俺は、彼らの罪を明らかにし、メティス教を改革して、この国を救いたいのです」


 これでオルフェオが、どうして現政権の打倒など物騒なことを口にするか――その理由が明らかになった。

 確かに、彼の言うことが本当なら、この国は危機的状況にあるだろう。

「しかし、教皇夫妻がロクサーナ皇女の……その、言いなりというのは本当ですか?だって、彼女はまだ少女いっていい年齢のはずでは?」

 おずおずとジェラルドが伺う。

 教皇たちが、はるかに年下の少女に手玉に取られていることが理解できない様子だった。

「では、その具体的な例を挙げましょうか?最近、この地に新しい聖堂が建てられましたが、その言い出しっぺは誰だと思います?そう、ロクサーナ皇女ですよ。他国のまつりごとにまで口を出し実現させる――これがどれ程異常か、王族のあなたたちなら分かるでしょう?」

「……」

 オルフェオの話を聞いて、ジェラルドもそれ以上は何も言わなかった。


「どうか、俺に協力してください。これはあなたたちにも益になることのはず。教皇国やメティス教が帝国の傀儡かいらいになったら、ティルナノーグもエルドランも困るはずだ」

「確かにその通りです」

 ユリウスがうなずく。

「しかし、分からないのが、どうして教皇までも麻薬に手を染めてしまったのか。対談してみましたが、思慮深く聡明そうな方でした」

 すると、オルフェオが自嘲気味に笑った。

「そうですね。俺もかつては教皇のことを、父として上司として尊敬していました。けれども、それは虚像だった。教皇はかつて大きな罪を犯し、それを女狐に付けこまれたのです」


 そうして、オルフェオが語り始めたのは教皇夫妻の過去の罪だった。

 彼は父親が罪の意識から、独りで女神に懺悔している場面に偶然出くわし、を聞いてしまったのだった。 



 現在、教皇国の中心となっているのは十六の家門だ。しかし三十年前、名家は十七あった。

 今は取り潰されてしまった家、それがロレンツォ家である。

 ロレンツォ家は優秀な神子を何人も輩出し、時には教皇になる者までいた――まさに名家だった。

 それが没落したのは、現教皇ヴェネリオ・カルロの婚約者だった神子ヴィオラ・ロレンツォが、婚前に教皇ではない男の子をはらみ、さらには新たな婚約者イメルダの暗殺をくわだてて、処刑された時である。

 世間一般には、ヴィオラはまさに悪女であり、教会の汚点とされているが、実はそれは真実ではなかった。

 そのことをオルフェオは、彼の父親の口から知ることになる。



 教皇とヴィオラが共に地方の祭事さいじをとり行った帰りに、事件は起きた。二人が乗った馬車が山賊に襲われたのである。

 山賊たちは教皇を殺そうとした。

 しかし、その時にヴィオラが彼らの慰み者になれば、教皇の命を助けてやる――そう取引を持ちかけられたのである。

 自分の命が惜しい教皇はヴィオラに懇願し、そして彼女はそれに従った。そして、その暴行の末、ヴィオラは山賊のうちの誰かの子をはらんでしまったのである。

 さらに不幸なことに、どういうわけか世間にヴィオラが妊娠していることがバレてしまった。

 当初、教皇はヴィオラが身ごもった子を自分の子供として公表するつもりでいた。しかし、それに彼の側近やイメルダが反対したのである。


 当時、教皇は着任したばかりで、その地位も盤石なものではなく、また若すぎる教皇を不安視する声もあった。

 そんな中、貞操が重んじられる教皇国で婚前に神子を妊娠させるなど、前代未聞のスキャンダルだ。これを理由に、教皇の座から引きずり落されかねなかった。

 さらに、イメルダは教皇にひっそりとささやいたと言う。


「もし猊下げいかが命惜しさに、慰み者としヴィオラを山賊に差し出したと世間に露見したら――どうなるかしら?」

「どうして君がそのことを!?まさか、あの山賊を仕掛けたのは――」


 身の破滅を恐れた教皇は、イメルダを止めなかった。

 そして、全ての責任と醜聞をヴィオラに押し付け、彼女を不浄の異端者に仕立て上げたのである。

 ヴィオラの両親は娘の無実を訴えたが、イメルダが手をまわして、彼らを亡き者にしてしまった。同時に、ヴィオラに対しても反論できるような機会を与えなかった。


 ヴィオラには神子としての優れた力があった。その力を弱めるため、牢屋に閉じ込めて、水や食べ物を一切与えず、彼女が衰弱するのを待ったのである。

 最期に、彼女を民衆の前で火刑に処した。


 その悪魔の所業を教皇はただ眺めていた。

 後悔して、全てを白状しようとしたときにはもう遅く、事態は坂道を転がる石のように止めることができなくなっていた。



 オルフェオは父親の懺悔を聞いて、過去を調べた。そして、教皇の昔からの部下を脅し、真実を白状させたのである。

 オルフェオは耳を疑った。

 自分の両親がそのような恐ろしい悪事に手を染めていたなんて。特にあの思慮深く心優しい父がそんなことを――。


 オルフェオは絶望し――そして自ら、両親に鉄槌てっついを下すことを決心したのであった。


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