第49話 王の資格

 自らの首にナイフをあてがうマグナの妻マリアを見て、ゼークトの眼光が鋭く光った。


 ここにいたる前の話し合いで、敵が洗脳されたマリアや国王を人質にとることは十分に予想されていた。そうなった場合、マグナが言ったのは――


「一瞬のすきを作ってくれ。そうすれば、俺がどうにかする」

 ということだった。


 ならば、この老兵も一肌脱ごうとゼークトは精神を集中させる。

 彼の異能『操鉄』は強力な力だが、幾つか制限もある。その一つが、操る武器の対象に『自分のモノである』という認識が必要であると言うことだ。

 つまり、他人が所持している武器を奪うのは困難だということになる。その制限を無理矢理越えようとすると、かなりの精神力を消耗しょうもうするのだ。

 しかしゼークトは今、その無理をやってのけようとしていた。彼の額に青筋が浮き、額にポツポツと汗が見え始める。


「ハッ!!」


 気合の息づかいと共に、マリアの手からナイフがこぼれ落ちた。その瞬間を逃さず、マグナが駆ける。大きな口でマリアの襟首をくわえ、ラウルから距離を取ろうとした。だが――、


「――!?」


 どこからともなく何本もの鋭利な氷柱つららが現れた。

 マグナは魔術による罠だとさとったが、逃げるにはもう遅い。彼は妻に覆いかぶさり、その身をていして彼女を守った。

 その瞬間、氷柱つららがマグナの体に刺さる。

 鋭い氷の刃はマグナの皮膚を貫き、肉に食い込んだ。見る見るうちに彼の銀の毛皮は赤く染まっていく。

 重傷を負いながらも、マグナは妻を連れて後ろにさがった。クロエが慌てて駆け寄って来る。


「治療を!」

「俺より先に妻をっ!!」

 マグナが吠えた。


 まだ、マリアの洗脳は解けていない。ラウルによって、自死を命じられた彼女は今まさに己の舌を噛み切ろうとしていた。寸でのところで、ダグが自らの手をマリアの口内に入れ、それを食い止める。

「……くっ!奥様を……早く正気にっ!!」

 クロエはマリアの治療にとりかかった。


 パチパチパチ、と乾いた拍手の音が聞こえた。

「身をていして自分の妻を守るなんて立派ですね」

 ラウルが微笑む。

「しかし、貴重な人質をとられてしまいましたね。では今度は父上をと思いましたが……さすがに父上にはまだ生きててもらわないと困ります。せめて、戴冠の儀が終わり、私が王になるまでは……でも、まぁ」

 ニィ――と、彼は口角を上げる。


「人質なんていくらでもいますからね」


 その言葉と共に、謁見えっけんの広間にぞろぞろと人が入って来た。やはりラウルに操られているようで、その表情はぼんやりしている。

 彼らは老若男女さまざまな集団だったが、防具も身に着けておらず、一見して非戦闘員だということ分かった。ただ、手には各々包丁やなたといった道具を持っている。


「彼らはいったい……」

「王都で暮らす善良な民ですよ」

 ラウルの言葉を聞いて、マグナはハッとした。

「やめろぉおおおっ!」


 そう叫ぶのと、広間に入って来た平民たちが各々の刃物で、自分の首を切り裂くのは同時だった。

 血しぶきがはねあがり、それは床や壁……妖艶ようえんに咲き誇る花に新たな模様をつけていく。


 皆が言葉を失う中で、

「なんてことを……」

 絞り出すようにマグナの声が聞こえた。



「降伏しなさい」

 冷淡なラウルの声が広間に響いた。

「さもなければ、お前のせいで罪もない人間がもっと死にますよ」

「外道がっ……!!」

 マグナが憎悪をこめた目でラウルをにらみつけた。

「お前なんかに王になる資格などあるものかっ!!」

「……っ!?」

 その言葉を聞いて、ラウルの血相が変わった。


「だまれっ!!」


 先ほどまでの余裕など消し飛んでしまったように動揺し、同時に怒りの感情をあらわにする。


「黙れ黙れだまれだまれだまれだまれぇええええっ!!」

 その様子は誰が見ても常軌じょうきを逸していた。


「私が正しいっ!間違っているのはこの国……だから私が正す、正すのだ!!」

「兄上……?大丈夫……なのか?」

 血走った目でラウルがマグナを見下ろすと、

「お前などに心配などされたくもないっ!私の苦しみなど何も知らぬお前にっ!!」

 そう叫び、腕輪をしている右腕をかざした。腕輪にはめこまれた紫の宝石があやしい光を帯びると、また新たな民が広間に入って来た。

 ラウルが何をする気か察して、マグナの怒号が飛ぶ。

 このままではまた、罪のない命が犠牲になってしまう。耐えかねた彼が降伏を口にしようとした瞬間、


―――パリィィィイン!


 甲高い音がして、ラウルの腕輪にはめ込まれていた宝石が砕けた。それと同時に、王宮中に咲き誇っていた花が茶色く変色し、しおれ、ボロボロと崩れていく。

 洗脳されていた兵士や民衆たちは、力を失ったようにその場に倒れこんだ。



 花の魔物が滅び、洗脳の腕輪も壊れてしまった。

「……」

 あっという間に形勢が逆転し、言葉もなく立ち尽くすラウルに、ゆっくりとマグナが近づく。ラウルは慌てて逃れようとしたが、足が絡んでしまい転倒してしまった。

「兄上……」

「来るな……来るなぁっ!!」

 己に近づいてくる巨大な狼を見て、怯えた表情でラウルが叫ぶ――と、彼の手が何かを掴んだ。

「来るなっ!」

 それはマリアが取り落としたナイフだった。ラウルはそれをマグナに向ける。

 マグナは憐れむように兄を見下ろした。

「兄上。そんなことをしても無駄です」

「無駄じゃないさ」

 ラウルはいびつに笑うと、何を思ったかマグナに向けていたナイフを自身の首にあてた。

「兄上っ!!」

 走り寄ろうとするマグナ。彼が駆けつけるよりも早く、ナイフがラウルの皮膚に食い込む。


「王に……なりたかった、な」


 それがラウルの最期の言葉だった。


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