第48話 打克

「戦うのが怖くなるときってあるか?」


 波打ち際で、せっせと作業をしているリベア――今はギルベルトの姿だけれども――の背中にアルコが問いかけた。

 隣にいた双子の妹イリスが目を丸くして、こちらを見ている。兄が誰かに弱さを見せるのが珍しいから驚いているのだ。

 今さらだ、とアルコは思う。リベアには散々、かっこう悪いところを見られてしまっている。今さら、取り繕っても意味がない。


 あの不思議な船での生活で、リベアはギルベルトの姿から本来の少女に戻っていた。それは自分に対する配慮だと、アルコは気づいている。

 アルコはリベアの優しさに感謝すると同時に、己のふがいなさを恥じていた。

 リベアはアルコたちのたった二つ年上なだけだ。それなのに、自分からは遥か遠く、高いところにいる気がする。

 いったい、どうすれば彼女のように強くなれるか知りたくて、意を決してアルコはリベアに声をかけたのだ。

 しかし、返ってきたのは意外な答えだった。


「あるよ。当然、ある」


 リベアは即答した。「え?」とアルコは目を丸くする。


「私は基本的に戦うのが嫌いだよ。殺すのも殺されるのも御免こうむる。まして強い敵なんか相手したくない。逃げられるのなら逃げたいし、逃げる」

 付け足すように、「臆病者なんだよ」とリベアは言った。

「そうはとても見えないけれど?」

「そう?それは良かった」

 リベアは微笑む。

「まぁ、実際問題。逃げられる状況ばかりじゃない。物理的に逃げられないこともあれば、立場上どうしても戦わなくちゃいけない時もある」

「そういう時はどうするんだ?」

「腹を決める」

 なんとも簡潔な答えである。

「私は絶対に死にたくないから、腹を決めて戦う」

 簡単に言うが、それはとても難しいことのように思える。アルコがそう伝えると、

「その通り。とても難しい」

 リベアは深々とためいきを吐いた。

「そういう時、役に立つのがまぁ、経験なんだけれども。あのとき上手くいったから今回も大丈夫と自分を励ますの。ただ私の場合は臆病だから、何百、何千と場数を踏んでも、やっぱりしんどい」

「何千は言いすぎだろう。いったい幾つなんだよ」

 思わずそうつっこむと、「そうだね」とリベアはまた笑った。


「えっと、それで恐怖に打ち勝つ方法だけれど」

 私の場合は上手くいかなかったけれど、と前置きしつつリベアは説明した。

「恐怖を怒りや闘争心に変える人もいるよ。あと、これは参考にならないだろうけれど、そもそも死を受け入れてしまっている人もいる。人間、どうせいつかは死ぬんだからっていう精神らしい」

 その境地にはいたれそうもないと首を横に振るリベア。それから、最後にこう締めくくった。

「でも、アルコは私よりずっと勇敢だからきっと乗り越えられる」

 

――無責任なことを言う。俺は全然勇敢なんかじゃない。

 そう思う一方で、アルコは胸の内が温かくなるを感じた。



「おい!見張りの奴が倒れているぞ!」

「こいつら、眠っているのか……?」

「ちっ、魔術か!」


 騒々しいのがやって来た――そう思いながら、アルコは入り口をにらみつけた。

 ドクドクと心臓がうるさいほどなっている。漏れ聞こえてくる声音から、そいつらの中にがいるのは知っていた。

 ほどなくして、数名の男たちがぞろぞろとやって来る。その中に、忘れもしない顔があった。


――頬に大きなアザがある男。


 アルコは怒りによって自分をふるい立たせていた。負けるわけにはいかないと、己に言い聞かせる。

 銀色に輝く狼の姿のアルコを見て、男たちがおののいた。そんな仲間たちをアザの男が怒鳴りつける。

「ビビるな!お前らっ!!」


 その怒声はアルコがかつて聞いたものだった。途端に脳裏に過去の出来事がよみがえる。

 何度もバケツの水に顔をつけられた後、咳き込むアルコをわらう嘲笑の声や、タバコを押し付けられたときの自分の皮膚が焼ける臭い、したたか顔を殴られた時の口に広がった血の味……。

 気が付けば足がすくんでいた。

 動かなければならないのに、戦わなければならないのに、どうしようも動かない。


「おい、コイツ動かねぇぞ。でくの坊だ。今のうちにやっちまえ!」


 忌々しいあの男の声。

 ああ、こういう時――どうするればいいんだったか。

 そう考えて、アルコは数時間前のことを思い出した。波打ち際でリベアが言った。


――でも、アルコは私よりずっと勇敢だからきっと乗り越えられる。


 そうだ、リベアがそう言った。

 瞬間に、アルコははじかれたように動き出した。

 体に血が巡り、四肢に活力が戻る。


 斬りかかって来る目の前の男たちの動きなど、魔物に比べれば対応するのは造作ぞうさもないことだ。

 アルコは易々と彼らの攻撃をかわし、すれ違いざまに思いっきり後ろ足で蹴りを入れた。簡単に一人が吹き飛ばされる。

 剣を取り落とした男の腕にかみつくと、ボキリという音がして簡単にその骨が折れた。

 逃げようとする男の背中に爪を立てる――男が悲鳴を上げた。


 戦いながらアルコは思った。

 まだ自分は己の力を信じきれない。そうなるには、まだアルコは経験が足りない。

 でも、リベアが信じてくれた自分なら信じられそうな気がする。


 頬にアザのある男が命乞いをする。その股間が濡れていて、アルコは顔をしかめた。恐怖のあまり男が失禁しているのだ。

 こんな男に自分はどうして怯えていたのか、不思議になる。


「お前なんかの影を引きずるわけにはいかない」


 アルコはうなる。

 もはや恐怖はなく、アルコの体は怒りと闘争心で満ちていた。



 苦し気にうめく男たちが地面に転がっている。

やってみれば、拍子抜けするほど簡単なことだった――とアルコは呆気にとられていた。

 しばらくの間、ぼうっと立ち尽くしていた彼だったが、ハッと思い出す。まだ、何も終わっていないのだ。急いで、イリスとリベアの所へ戻らなければならない。


「あの花は厄介だ」

 なにせリベアがいくら燃やしても、次から次へと再生してくる。アレを倒す方法などあるのだろうか……?


 そう考えながら、アルコが湖の方へ戻ると状況が一転しているのがわかった。

 相変わらず、花の茨が侵入者に襲い掛かり、イリスがその俊敏性で攻撃をかわしている。しかし先ほどまで無数にあった茨が、ぐっとその数を減らしていた。

 そこにまた、リベアが炎撃を繰り出す。ニ十本近い炎の矢が命中し、茨がぼろぼろと燃え落ちた。それなのに代わりの茨が現れる気配がない。


 どういうわけか花は、あの驚異的な再生能力を失ってしまったらしい。

 わけもわからないまま、アルコは二人に駆け寄った。



「アルコ!」

「大丈夫?ケガは?」

 矢つぎ早に聞いてくる二人に対して、

「当たり前だろう」

――と、アルコは何でもなそうな顔をした。


「それよりどうなっている?花がなんだか弱っているようだけれど?」

 その問いに、イリスが元気よく答える。

だよ!」

 それで「あっ」とアルコは思い出した。

 数時間前、リベアは用事があると言って、わざわざ海に寄っていた。そこでひたすら『海水を真水に変える魔術』なるものを繰り返し使っていたのだ。

 リベア曰く、必要なのは真水ではなくて副産物でとれるらしい。

 彼女は山のような塩を作り、どんどん梱包パッキング魔術で収納していった。その行動を何度も何度も繰り返す。

 最終的にどれくらいの塩を作ったのか、アルコにも分からない。ただ、アルコがこれまでに見たこともないような膨大な量だったことだけは確かである。


「その塩を湖にぶちまけたの!」

 その結果がコレだと、イリスは湖の中央を指さす。

 丸太のように太かった根やつたしなびて、色も今にも枯れてしまいそうな茶色に変わってしまっていた。種子を守っていた茨も同様で、ばらばらと崩れ落ち、大切な種子なかみが露出してしまっている。

「塩だけでこうなるのかよ」

 唖然としてアルコがつぶやいた。

「ここまで上手くいくとは思わなかったけれど……」

 とリベアは前置きし、

「空からこの辺りを見渡した時、海に近い場所で花があまり増えていなかったから、もしかしたら潮風が苦手なのかなと思って」

 それに多くの場合、植物に過剰な塩は禁物らしい。実際に塩害という被害があり、農作物が枯れてしまうこともあるようだ。

「――って、クロエの受け売りだけれども」

 そう言えば、クロエは畑仕事にくわしかったとアルコは思い出す。船の地下農場で喜々として農作業に勤しんでいた。


「この花の魔物の驚異的な生命力は、この地底湖の水に含まれる魔力に由来している。再生するときには、ここの水を吸収していたんだよ。けれども、私がここに塩をまいてしまったから、魔力で回復するつもりが自らの毒となるものを取り込んでしまうことになったんだ」

 言いながら、リベアは両手を上に広げた。それから珍しく、にぃと不敵に笑う。

「そろそろおしまいにしよう」

 宙に燃える矢が現れた。

 その数はこれまでの比ではなく、百本近いのではないだろうか。


 そして数多の炎の矢が、真っすぐ花の本体である種子に降り注いだ。


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