第45話 王位と神獣

 この国は神獣という古い妄執もうしゅうとらわれすぎている。

 常々、ラウル・エルドランはそう考えていた。


 エルドラン王国では古くから銀の狼が神の御使い――神獣として信仰されている。王家の人間は神獣の末裔まつえいとされ、それが真実かどうかは不明だが、『獣化』の異能を持った子供が王家ではたびたび生まれた。

 そして、これがもっとも馬鹿らしいことだとラウルは考えるのだが、王位継承権を持つのは獣化の異能を持った子供に限るのだ。

 つまり、長子であっても獣化の異能を持たない者は王位を継げない。現に、今の国王の次は、兄であるラウルではなく、獣化の異能を持つ弟のマグナが王になることが決まっていた。

馬鹿々々ばかばかしい」

 ラウルは思いを口に出してみる。

 魔王が君臨していた百年前ならいざ知らず、この平和を取り戻した世に王が獣化できるか否かがどれほど重要なのか。それよりも国土を広げ、国を発展させることの方が余程大切で、それができる者を王にするべきだ、とラウルは考えていた。

 そう、自分のように。

 実際、ラウルは努力家だった。

 国をよく統治できるように勉学に励み、またこれから更に発展するだろう魔術の習得にも力をいれた。一方、弟のマグナは阿呆あほうみたいに武術ばかりを得意としている。しかも、人の上に立つべき人間が、平民にもこびを売って仲良しごっこをしているありさまだ。

 誰がどう見ても王の資質の差は歴然れきぜんだとラウルは自負した。それで父王に進言したのだ。

「マグナに王の座は重荷ではありませんか?」

 弟を案じる兄をけなげに演じてみせた。しかし、父からラウルが望むような返答を得ることはできなかった。

「次の王はマグナだ」

 父王ははっきりと言い、それから――

「ラウル。お前は努力家の秀才だ。どうかその知恵で、弟を助けてやってくれ」

 あわれむようにラウルを見た。

 そのときの、絶望と屈辱くつじょくをラウルは今でも覚えている。


――この国は間違っている!


 そう彼は考えた。

 古い妄執に囚われて、大事なことを見失っているのだ。誰が王にふさわしいか――それに目をつむっている!!

 そんな怨嗟えんさの思いを抱いたまま、ラウルは成長した。

 表面上は弟を次の王と認めつつ、この国を正さなければならない……という思いが常々あった。

 しかし、ラウルには間違いを正すだけの力がなく、彼は歯をくいしばって耐えていた。転機が訪れたのは、ラウルが四十も間近になったころだった。



 大臣のフィリップスが連れてきたのは、グローディア帝国の魔術師を名乗る人物だった。アルヴィンという、おかっぱ頭の細身の青年だ。

 アルヴィンはひっそりとラウルにこうもちかけた。


――『力』が欲しくありませんか?


 普段だったら、怪しいとにべもなく断る状況だ。しかし、そのときの青年の言葉はスーッとラウルの心にしみこんでいった。

 これは好機チャンスなのだ。

 ほとんど確信的にラウルは思った。

 実際、アルヴィンが示したのはラウルの予想を超える『力』だった。

 人の精神に作用することのできる植物の種と、植物によって精神干渉された人間を操るための洗脳の腕輪。腕輪には紫色の宝石がはめ込まれていた。

洗脳の魔術を研究する魔術師は多いらしいが、これまでに実用的なソレを開発できた者は耳にしたことがない。しかし、本当にこの種と腕輪で人間の洗脳が可能ならば、


――古い妄執に囚われたこの国を正すことができる!


 気づかずうちに、ラウルは笑みをこぼしていた。

 それでアルヴィンの説明通り、まず植物の種を魔力の豊富な場所に置くことにした。

 ラウルが思いついたのは、王都の南側の森にある地底湖だ。王宮図書館にあった古文書に、神獣が傷をいやした聖なる湖と書かれてあった場所、そこに種を埋めた。

 ラウルの推測は当たっていたようで、みるみる植物は成長した。日も差さない地下でも根やつるを伸ばしていき、やがて地表まで達すると、あっという間に王都全体には広がった。

 植物はやがて花を咲かせ、花粉を街にまき散らかした。人の精神に作用する魔力の花粉だ。それを多く吸った人間は、麻薬中毒者のような症状をみせた。

 ラウルは自分やフィリップスたち側近が花粉を吸ってしまわないように、そよ風の守り《ブリーズヴェール》で体を守った。この術も、アルヴィンから教えてもらったものだ。


「どうしてそこまで私に力を貸すのか?」

 一度ラウルがそう尋ねたところ、アルヴィンはにっこりと笑って答えた。


――私は実力主義なんです。実力のある者はそれに見合った地位に立たなければならない。この国の王にふさわしいのはあなた様だ。


 それはラウルが渇望していた言葉だった。

 分かる人間には分かるのだ。本当に有用な者に出会えた――ラウルはそう思った。


 洗脳の腕輪ももちろん上手く作動した。花に精神を干渉された人間は、面白いようによく操れた。自らを危険にさらす命令でも躊躇ちゅうちょなくそれを実行し、まさにラウルの思いのままだった。

 これで死をも恐れない兵隊が作れますね、とアルヴィンが言った。ラウルもその通りだと思った。

 死をも恐れず敵に特攻し、自らの命をも犠牲にできる最強の兵士――これを使って戦争をしたらどうだろう?簡単に勝利できるのではないだろうか。

 手始めに聖王国はどうですか、とまたアルヴィンがささやいた。戦争に勝って領土を広げ、国が豊かになれば、愚かな国民たちもあなた様の素晴らしさに気づくでしょう、と。


 現在、アルヴィンはもうこの国にはいない。一度、帝国に帰らなければならないと行ってしまった。ただし、また戻って来るとも言っていた。そして最後に、


――今度、ここに来るときはあなた様が国王になっているでしょうね。


 そんな予言めいたことを口にしていた。

 そして今、ラウルは予言を現実のものにしようとしている。

 まず、甥姪を聖王国に売って戦争の口実を作った。

 ラウルに反抗的な重臣たちはすでに洗脳済み、父王すら意のままに操れる。あの愚かな弟にも謀反の冤罪えんざいを簡単にかぶせることができた。

 唯一の汚点は、その弟が牢から逃げてしまったことだ。

 実はこの王宮には隠し通路がいくつかある。おそらくそれを使って脱出したのだろう。

 隠し通路については、アルヴィンも古文書を読んで知っていた。だが、よもや馬鹿な弟の仲間にそれを知っているとは思わなかったのだ。


――しかし、それも些細なことだ。


 ラウルは己に言い聞かせる。

 逃げたところで、たかが数名で何ができる?周辺諸侯を頼ろうにも、彼らは謀反をくわだてた逆賊だ。何もできまい。

 

 もし、弟が何か仕掛けてくるならこの王宮だろう。父王を連れ出して、謀反の汚名をはらして、ラウルを討つための大義名分をかかげるはずだ。

 無論、それへの対策は十分にしてある。この王宮のすべては今やラウルの手中にあるのだ。鼠が数匹入り込んだところで、どうにもならない。


「もうすぐ、もうすぐだ。もうすぐ私の夢が叶う」


 王座にその身をうずめながら、ラウルは哄笑こうしょうした。

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