第25話 二匹の秘密
先ほどまで、銀の毛が美しい大きな犬、一号がここにいたはずだ。
しかし、今目の前にいるのは、モンナシティ近くで別れたアルコに違いなかった。銀髪に琥珀色の瞳と褐色がかった肌の子供、聖王国では少し見慣れないその容姿を見間違うはずもない。
「もう、アルコ。フライング」
不意に後ろから声が聞こえて、バッと振り返る。この声にも聞き覚えがあった。
「イリス!?」
驚くことにというか、案の定というか、二号がいた場所にイリス―アルコの双子の妹―がいた。
「ちょっ、ちょっと待って……」
混乱して頭がグルグルする。
先ほどまで一号二号と一緒にいて、今はあの二匹が消え、アルコとイリスの兄妹がいる。信じられないことだが――、
「アルコ?イリス?」
確認するように尋ねると、双子たちは大きくうなずいた。
「……で、一号?二号?」
アルコが一号で、イリスが二号なのか。
そう聞くと、イリスは声を立てて笑った。
「そのネーミングセンスはどうかと思う」
私は天井を
世の中にはまだまだ私の知らない不思議なことがあるものだ。
一号と二号の正体は、なんと少し前に出会い別れた双子の兄妹だった。まさか、犬に変身できる人間がいるとは驚きである。
ん?人間……人間だよね?
「確認したいのだけれど、二人って人間だよね?」
人に化ける魔物をいくらか知っているため尋ねると、イリスはぷうっと頬を膨らませた。
「失礼ね。人を魔物扱いしないでよ」
良かった。どうやら人間のようだ。
「だったら魔術で獣の姿に変身しているの?」
私も変身術で兄の姿を借りているが、双子もそうなのだろうか。ただ、
すると、アルコが
「まさか。俺たちに魔術なんて使えないよ。『獣化』はいわゆる異能の一つさ」
「異能……つまり、生まれつきあの犬に変身できるってわけか」
「犬じゃない!狼!!」
アルコから訂正が入る。なるほど、一号と二号は犬ではなく狼だったらしい。
それにしても『獣化』というのは、初めて耳にする異能である。
「なぁ、こちらも聞きたいんだけれど」
「ん?」
気が付けば、アルコが真剣な目でこちらを
「アンタってリベアで間違いないよな?男の姿はそれこそ魔術か?そもそもどちらが本当の姿なんだ?」
「……君たち、リベアのことを知っていて俺についてきたのか」
しかし、どうして『ギルベルト』が『リベア』であることがバレたのだろう。そう不思議に思っていると、
「どうして気付いたの、って思ってる?だって、あなたからリベアの匂いがするもの!」
イリスが
「えぇっ!?」
私は慌てて自分の体臭を嗅ぐ。
確かに貧乏旅のため、なかなか風呂には入れないし、服も買い替えることもできない。それでも水浴びしたり洗濯したり、それなりに身だしなみには気を付けていたのだが……やはり臭いか!?
「ちがうちがう!」
けたけたとイリスが笑う。
「私たちすっごく鼻が良いの。とりわけ獣化しているときはね。だから普通の人ならちょっと気付かない匂いも分かるのよ」
「あ、そうなんだ」
大体にして、獣は人よりも嗅覚や聴覚に優れている。獣化することで、双子たちにもその能力が反映されるのだろう。
「なぁ、話を戻しても良いか?」
ぶっすとした表情でアルコが言う。真剣な話に水を差してしまったことで、機嫌を損ねてしまったらしい。
「アンタはリベアと同一人物、これは確かだよな?それでどうなんだ?ギルベルトとリベア、どっちが本当のアンタなんだ?」
結局、私は本当のことを打ち明けることにした。
「リベアの方が本当だよ。この姿をしているのは、旅をするのに都合が良かったからだ」
「……そうか」
アルコが呟く。その表情は先ほどまでに比べていくらか和らいでいて、ホッとしているようにも見えた。彼にとって、私の正体がリベアなのかギルベルトなのか、それが重要だったのだろうか?
「よかったねー」
にこにこと笑うイリス。何が良いのか不明だが、それよりも他に疑問がある。
「君たちは、どうして俺についてきたんだ?あの後、デューク・クレスメントに保護してもらわなかったのか?」
モンナシティで収集した情報によると、確かにデュークはスプートニクス侯爵の城から逃走した子供たちを助けてくれたはずだ。そして、王族も介入することになり事件は解決したはず…。
なのにどうして、双子がここにいるのか。保護された子供らの中に、彼らは含まれていなかったのか。
「あんな奴、信用できない。だから混乱に乗じて逃げた」
つっけんどんにアルコが言う。
「逃げたって……」
私は絶句した。せっかく保護してもらえる
「噂を聞いてない?デューク・クレスメントは第三王子と協力して、スプートニクス侯爵に鉄槌を下したんだよ。子供たちもちゃんと保護されている。信用できないことはないはずだ」
今からでも遅くないから、保護を申し出てみては――と思う。モンナシティに戻って役人に理由をはなせば、何とかなるかもしれない。
けれどもアルコは
「他の子らは聖王国の生まれだろう。自国の民と外国人じゃ、扱いも違うはずだ」
そう言えば、アルコとイリスはエルドラン王国の生まれだっけ、と思い出す。
「例え、君らが聖王国の人間ではなくても、デュークなら悪いようにはしないと思うけれど」
「いいや、ダメだね。大人は…特に貴族は信用ならない」
どうやら説得は難しいようである。
「アルコは頑固だから」
イリスは困ったように笑っていた。
「事情は大体分った。それで改めて聞くけれど、どうして俺についてきたの?わざわざ獣化して、正体を隠してまでして」
「獣化したのは、その…リベアとギルベルトが本当に同一人物かどうか確かめたくて。ちゃんとリベアだって分かったら、お願いしようとアルコと話していたの」
「お……お願いって?」
言いにくそうにもじもじしているイリスは可愛いが、それよりも何よりも、何だか嫌な予感がする。なんというか、また…面倒ごとに首を突っ込んでしまったような、そんな予感。
そして、嫌な予感程よく当たるものだ。
「お願い!私たちをエルドラン王国まで連れて行って!!」
アルコとイリスのお願いは
二人を故郷のエルドラン王国まで連れて行って欲しい、とのこと。
シンプルだが、簡単というものではない。その最たるハードルが…
「お金が必要だ」
スタンや村長に見送られて、村を出た後、私は双子たちに話しかけた。村からある程度離れた場所で休憩をとり、そこで双子たちは犬…もとい狼の姿から人間に戻っている。
「お金?」
「厳密に言うなら、三人分の船賃が必要」
エルドラン王国は聖王国の南西にある島国だ。ここからの最短ルートは、まず西海岸に面した港街ザクレフに行って、そこから船で南下する必要がある。
私は地図を広げて指し示しながら、二人に説明した。
「ふぅん、船賃って高いの?」
「安くはないね」
今の時代の相場というものに、私も詳しくはないが、おそらく結構かかるだろう。航海にはそもそもリスクがある上、海にも魔物はいる。そういった危険を回避するために、設備や人件費がかかるのだ。だから渡来品は高い。
貧乏旅をしている身としては、かなり大きな出費になるだろう。もし、散毒石があれば懐事情も違うけれど、あれはもう手放してしまった。
「あと、君らの身分証も発行しなければいけない。私が責任者になる形で発行できるだろうけれど、これにもお金はかかる」
「リベアの持っているお金じゃ足りない?」
イリスに聞かれ、私は即答した。
「足りない。たぶん、全然足りない」
こんなところで見栄を張っても仕方がないから、正直に言う。
貧乏なんだね、とイリスは少ししょげていたが…突然「あっ」と明るい声を出した。
「ねぇ、リベアはすごい魔術師じゃない?空を飛んでエルドランまで行けないの?」
「つまり、君たちを抱えて空を飛び、エルドラン王国まで行くと?」
「そしたらお金、かからないじゃない!」
名案を思い付いたと満面の笑みのイリスに、私は首を左右に振った。
「それは現実的じゃないよ」
「えぇ!?」
飛行術は魔術の中でも、特にコントロールが難しい類の術だ。私も空は飛べるが、その最中は術にかかりきりになる。他の術を展開する余裕があまりない。
エルドラン王国まで長距離飛行中、真下にあるのはもちろん海だ。地面に降り立つように、海面に降りるわけにもいかない。
「そうなるとどうなるでしょう?」
問いかけると、イリスは困った顔でアルコを見た。アルコはちょっと考えてから…
「空の魔物に襲われても、反撃ができない?」
「正解」
ぱちぱちと私は拍手する。
「この世界は、地上はもちろん、海にも空にも魔物がいる。その危険性を考えないまま、飛行術で海を渡るのはリスクが大きすぎるんだよ」
「…良いアイディアだと思ったんだけれどなぁ」
はぁとため息を吐いて、イリスは肩を落とす。すると、アルコがこう言った。
「金がない。ないなら、稼げばいいじゃないか?散毒…石、だっけ?あんなのをまた見つけたらいいんだろう?」
「あんな珍しいものは早々見つからないだろうけれど…。うん、確かにそうかもしれない。魔物の素材は薬や武器の材料になるから、良い値で売れることが多いね」
私は頷いた。ちょっと時間はかかりそうだが、エルドラン王国に行くにはお金を稼いで船に乗るしか方法はない。
「狩りなら任せろよ」
「うん!任せて」
自信たっぷりの様子の双子たち。確かに獣化したときの二人の戦闘力には、目を見張るものがある。それで、私はふと気になった。
「獣化した君らはすごく強いけれど、そもそもあの力があれば、俺の助けなんてなくても、スプートニクス侯爵の城から逃げ出せたんじゃなかったのか?」
獣化した二人なら、あの城の檻なんて簡単に壊せそうなものである。しかしイリスは首を左右に振った。
「あの時、私たちに首輪がはめられていたこと覚えてる?あのせいで、獣化できなくなっていたの」
もちろん覚えている。あの魔力を遮断する面白い性質を持った首輪だ。半分に割れてしまったが、あとで研究しようと、『
なるほど。あの首輪のせいで体内に流れる魔力の流れが
そこで私は気づく。
つまり、アルコとイリスをスプートニクス侯爵に売った人間は、彼らの能力を知っていて、それを封じ込めたことになる。わざわざあんな首輪を作ってまでて……。
これはもしかすると、単なる誘拐や人身売買ではなかったのかも――?
「……」
「リベア、どうしたの?」
こてんとイリスが首をかしげる。
彼らが売られた経緯を詳しく聞きたい気持ちはあったが、何となくこの子たちはその話題を避けているような気がした。まだ話したくはないのだろうと思う。だったら、もう少し待ってみてもいいかもしれない。
「いいや、何でもないよ。じゃあ、魔物を狩りながらザクレフに向かおう」
私がそう言うと、「オー!」と元気のよい掛け声が返ってきた。
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