第19話 観客たち
民に重税を課してまでして造った建築物は、一見すると武骨で面白味のないものだった。スプートニクス侯爵がわざと目立たないよう、地味に造らせたのだ。
何の変哲もない石造りの建物は秘密の闘技場だった。
換気のための小さなもの以外に窓はなく、分厚い壁は防音に優れている。この中で何か起こっても外には気付かれないだろう。
また、安全面にもスプートニクス侯爵は金をかけていた。中のモノが逃げ出さないように、建物自体も非常に
観覧室はスプートニクス侯爵自身をはじめ、同じ趣向の貴族たちを招く場だ。
魔物の攻撃が届かないよう一段と高い場所に設けた上に、ガラスには防御魔術をかけて客が安全に楽しめるように
闘技場自体の殺風景さとは打って変わって、観覧室の中は豪華な調度品が飾られていて、居心地も良い。来客からの評判も上々だった。
今も観覧室では、着飾った男女が思い思いにくつろいでいた。皆、名と金のある家の出身で同じ趣向の持ち主――彼らはスプートニクス侯爵の思いついた面白い見世物を見にやって来たのだ。
そんな彼らを冷ややかな目で、一人の男が眺めていた。
明るい茶髪をしたどこにでもいそうな中肉中背の青年――シオンだ。彼は背景に自らを溶け込ませる隠密術『
シオンがこの城に潜入したのは、リベアとほぼ同時だ。リベアの足取りは
――まさか変身術を使えるとは…。
思わず、シオンはにんまりとしてしまう。
変身術はかなり高度な魔術だ。それを使える人間は非常に
改めて自分の見る目が間違っていなかったと知り、シオンはデイヴィッドをニジェルシティに送り届けると、そのままスプートニールに向かった。
デイヴィッドも、その息子も、ここに囚われたその他の子供たちも、シオンにとってはどうでも良い。大事なのは、リベアがシオン達の望む人間に足るかどうかで、それを見極めることだった。
さて、シオンが考え事をしているうちに、見世物が始まったらしい。
闘技場には子供たちと一匹の魔物が連れてこられていた。魔物の方は大型の蜘蛛だが、餌を満足に与えられていないのか少々動きが悪い。
魔物を目の前にして怯える子供の集団。そこから飛び出したのは銀髪の双子だった。
彼らはスクラップ一歩手前の武器を片手に大蜘蛛に挑む。そして人間離れした運動神経能力を見せつけると、あっという間に魔物を倒してしまった。
観客席から声が上がる。
「ほぉ、またあの双子ですか。これは見事だ」
「ええ、ええ。美しく強く、すばらしい逸材だ」
そう
「ああ、あの美しい顔が歪んで、無様に泣き叫ぶ様を早く見たいわ」
どろりとした本音が漏れる。
観客の中には、子供たちが魔物に勝利したことに対して不平を口にするものも多かった。そんな彼らの不満を
「大丈夫ですよ、これは余興。ここからが本番です」
彼こそがこの見世物の主催者であるスプートニクス侯爵だった。まだ四十路にもなっていないはずなのに、長年の不摂生がたたって随分と老けこんで見える。
「次の魔物は非常に硬い鱗で全身を覆われています。子供らに渡した武器ではどうやっても傷を与えることはできません」
侯爵がそう話すと、闘技場に新たな魔物が現れた。
ヨーウィーというトカゲと昆虫が混ざったような魔物だ。その巨体を見て、観客からどよめきが起こる。
「やれっ!やっちまえっ!!」
興奮で声を上げる者がいた。周りを見れば、にやにやと頬を緩めている者もいる。誰もが、子供たちがヨーウィーに無残に喰われる瞬間を待ち望んでいるのだ。
シオンには一体何が面白いのか分からないが、この華美に着飾った豚のような観客たちにとっては十分に楽しめる見世物のようだ。
シオンの同僚にも弱者をいたぶることに無上の喜びを見出す
今はただ、自分が見出したあの少女がどう動くか――それを待っている。そしてその瞬間はやってきた。
リベアから放たれた氷の蔓はあっという間にヨーウィーを呑み込み、トカゲの巨体を氷漬けにしてしまう。思いもよらない展開に、観客席はシンと静まり返った。
「何なんだ、あれは?一体、どうなっている?」
ようやく誰かがそう言うと、他の誰かが悲鳴を上げた。
「おい!アイツ、こっちを
確かにリベアは観客席の方を
貴族たちの間に動揺が走りそうになったが、スプートニクス侯爵が大声でそれを制した。
「大丈夫です、皆さん!ここは安全です!なぜならこの部屋には防御魔法が施されているからです!ご安心くださいっ」
わざわざ王都から高名な魔術師を呼んで施したと力説する。それで観客たちの不安も収まったようだった。
果たして本当に安全でしょうか――シオンの口角が上がる。
その予感は見事的中した。落ち着きを取り戻した貴族たちに向ってヨーウィーの巨体が文字通り飛んできたのだ。
ご自慢の防御結界はいとも容易く破られ、ガラスが四散する。衝撃で砕けてしまったヨーウィーの体と共に、それらが観客たちに降りかかる。
室内が恐怖と混乱に包まれた。
我先と逃げようとした者が転び、他の誰かに上から踏まれる。唯一ある扉から出ようとするが、誰もかれもが集まり、遠慮のない力で引っ張るのでドアノブが取れてしまうハプニングが発生した。恐怖のあまり腰を抜かして失禁している者さえいる。
一方、シオンだけはリベアの方をずっと観察し続けていた。彼女の周りに大きな魔力の流れが
「……っ!!」
シオンは絶句する。それから、まさかまさかと考え、心を落ち着かせ――
彼は満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしい。まさか転移術まで使えるなんて」
身を潜めていたことも忘れて、思わずシオンはそう呟いていた。しかし、観客席は天地がひっくり返ったような騒ぎで、そんなささやき声に気付く者などいない。
先ほどまでリベアがいた空間――そこをじっとシオンは見つめる。
これは決まりだ。是非とも手に入れたい逸材だ。
それではどうやって手に入れるか、とシオンは思案する。
本来であれば力で屈服させれば良い。だが、今回は難しいだろうと即座に判断した。理由はリベアが強すぎるからだ。
もちろん、シオンも多少なりとも腕に覚えがある。しかし、今の状況でリベアを五体満足で捕まえるのは非常に困難だった。無理やり従えようとして、うっかり殺してしまったら元も子もない。やっと見つけた可能性なのだ。
シオンからすれば、リベアは正義感が強く、馬鹿らしいくらいお人好しだった。そこに付け入る隙があるように思う。
――しかし、気を付けなければならないのは『まぬけ』ではないということですね。
今だって、領主たちに正義の鉄槌を下すよりも、子供の救出を優先させた。感情のまま行動するタイプではないのだ。
また、人は好いものの、性善説を信仰しているわけでもなさそうだ。ハリス村の一件を見るに、他人を疑う眼も持っている。
――でしたら、この国の……いえ、世界の実情を見てもらえばいいのでは?
そうすれば、きっと自分たちに協力するのが最善と分かってくれるはずだ。
しかし、ふと思いついて立ち止まる。視線の先には慌てふためく貴族たちの姿があった。
おそらくリベアは彼らを断罪したかったのだろう。だったら、少し協力してあげようではないか。
ほとんど気まぐれにそう思って、シオンは闘技場にとある魔術を施した。
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