第18話 脱出劇

 剣闘士と魔物を戦わせる見世物がある。よりにもよって、スプートニクス侯爵はそれを子供にさせていたのだ。

 闘技場という逃げ場のない空間に魔物と共に放り込まれ子供たちは、武器とも呼べない鈍ら《なまくら》を握りしめ戦うしかない。

 そうして、子供たちが傷つき、泣き叫び、そして命を落としてしまう様を、領主とその仲間たちは高みから見物するのだろう。

 あまりの胸糞悪さに私はめまいがした。よくもこんな畜生にも劣る卑劣な行為ができるものだ。


 蜘蛛は複数の赤い目でこちらを睨みながら、ギチギチと上顎を動かしている。その先端は鋭く、毒もあるから厄介だ。すぐに片づけてしまおう――そう思った矢先、

「はぁっ!」

 一人の子供が躍り出た。


 銀の長髪が美しい子だ。その子は人並外れたスピードで蜘蛛に迫ると、深々と蜘蛛の脳天に剣を突き刺した。

 声にはならない声で悲鳴を上げ、蜘蛛の魔物は暴れまわる。気づけば、その傍にもう一人子供の姿があった。

 こちらも銀髪だが、その髪は短い。その子は器用に蜘蛛の巨体をかいくぐりながら、その背に向って飛び上がり、今度は背に剣を振り下ろした。

 頭と背に致命傷を受けて、今度こそ蜘蛛は絶命する。周りの子供たちから歓声が上がった。


 私はあんぐりと口を開けた。一体何者だろう。銀髪の子供たち――おそらく双子だろう――を見る。

 どちらも人形のような端正な顔立ちをしているが、先ほどの滅茶苦茶な身体能力を見たせいか、その琥珀色の目は獣のそれに見える。

 また、聖王国の人間にしては肌の色が濃い。少し、褐色がかっていた。もしかしたら、他国から売られてきたのかもしれない。その首には首輪があった。


 もしかしたら、この子たちが今まで他の子供たちを守ってきたのかもしれない。それで生き延びた子も多いだろう。しかし、今回はこれで終わりではないようだった。

「気をつけて」

 私は勝利を喜んでいる子供たちに言う。扉の奥からまだ魔物の気配がするのだ。見ると、双子たちもそれを察しているようで、彼らは新たな武器をとり構えていた。


 扉の向こうから地を這ってゆっくりこちらにやって来たのは、三メートルはあろうかと思われるオオトカゲだった。ただし、頭と胴はトカゲだが、足は節足動物のそれを思わせる。

 ヨーウィーという名のトカゲの魔物だ。からだ全体が分厚い鱗で覆われていて、その巨体に見合わず六本の脚で俊敏な動きをする。牛や羊などの家畜を襲い、時には大の男さえ丸呑みにしてしまう。子供など一たまりもない。


「その鈍ら《なまくら》じゃ、アイツの鱗には歯が立たない。下がって」

 私が言うと、

「でも、それじゃあ…」

 どうやって生き延びろと言うのか、抗議するように双子たちがこちらを見てきた。

「私がやる」

 刃が欠け、切れ味の鈍い剣ではヨーウィーの頑丈な鱗を貫通できない。けれども、今子供たちにはそれしか武器が与えられていなかった。死ねと言っているのと同義だ。

 どれくらいの子供がここから生き延びられるのか、それはヨーウィー次第だっただろう。いつヨーウィーの腹が膨れるか、そこに至るまでにどれだけの子供が――。


 胸糞悪い。


 すでに呪文は完成していた。物理攻撃に強いこの魔物だが、私は弱点も知っている。

 皆よりも前に出た私にヨーウィーは狙いを定めたらしい。カサカサと六本の脚をうごめかし、こちらに迫る。背後で子供たちの悲鳴が聞こえた。観客席の醜悪な来賓は喜々とした笑みを浮かべているのだろうか。

 私は手のひらを地面につけた。そして――


 氷のアイシクルチェーン


 凍てつく冷気と共に地面が凍結する。手のひらから生まれた氷はまるで植物の蔦のように広がると、そのままヨーウィーに向っていた。

 まず、ヨーウィーの脚と尾が凍り、上へ上へとその巨体を冷気が昇って行く。ヨーウィーは断末魔の叫びをあげたが、すぐにそれもなくなった――全身が凍り付いたのだ。


 辺りがシンと静まっていた。そんな中、私は魔力ルーン文字で新たな呪文を描く。

 観客席の方に向き直ると、ガラスの向こうに驚愕の表情を浮かべた侯爵たちがこちらを見ていた。それでも見た限り、取り乱した様子はない。

 おそらくあのガラスには魔術で防御結界が施されているのだろう。たった一枚のガラスをさかいに世界が分かれている。

 魔物に子供が食われようと何されようと、侯爵たちは安全だ――そう、彼ら自身が思い込んでいるのだ。私はその思い込みを正してやりたくなった。


 呪文が完成し、私は手を振りかざす。その先には氷漬けのヨーウィー、そしてさらにその向こうに観客席があった。


――ごうっ!


 風がうなりを上げたかと思うと、その突風はヨーウィーの巨体を吹き飛ばした。

 一陣のガスティングウィンに似た術だが、その勢いは段違い。まさに暴風ウインドストームの名が相応しい。

 ヨーウィーの体は高々と飛び上がり、そして観客席めがけて突っ込んでいく。


 ガシャンッ!!


 すさまじい音を立ててガラスが砕け散った。ガラスの破片、それから衝撃で粉々になったヨーウィーの体が砕け、氷塊となって侯爵たちに降り注ぐ。今度こそ、観客席は阿鼻叫喚あびきょうかんとなった。

 正直な所、彼らの所業を思えばこれくらいの罰は生ぬるすぎる。罰とも呼べないくらいだ。しかし、残念だが私には彼らの成敗に割く時間はもうなかった。


 子供たちを見る。

 先ほどの魔術にショックを受けたのか、皆固まって私を遠巻きに見ていた。

「みんな、逃げるよっ!」

 そう呼びかけても反応が悪い。そんな中で真っ先に動いたのがあの双子たちだった。

「どうやって逃げるの?」

「これから脱出のための魔術を発動させる。皆を私の周りに集めてくれる?」

「分かった!」

 打てば響くような素早い反応で、双子たちは周りの子供たちを先導してくれる。信頼が厚いのだろう、双子たちの言葉は皆にちゃんと届いていた。

 侯爵たちの方を見れば、まだまだ混乱の最中だ。そちらにかまけているからか、兵士が私たちの方へ来る様子もない。


 今がチャンスだった。私は術を完成させる。

「行くよっ!」

 転移テレポーテーションで私たちは闘技場から脱出した。

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