第17話 潜入
山間を縫うようにある街道――そこを私は走っていた。風の移動魔術を使っているおかげで、その速さは馬に乗っているのと変わらない。
目指すはスプートニクス領の領都スプートニール。デイヴィッドの子供のことを考えれば、一刻も早く街へ入りたかった。
もっとも、飛行術で空を飛べば、もっと早くスプートニールに到着できるだろう。その手段を取らない理由は、昼間にあれを使うとひどく目立つからだ。今回は忍んでスプートニクス領に入る必要があった。
私は途中で街道を外れ、森の中を進むことにする。しばらくすると崖があり、その下に先ほどの街道の続きがあった。そのまま街道をしばらく行くと、その道を塞ぐように小さな城砦が見える――領と領の間の関所だ。周りには武装した兵士がいて監視していた。
本来はここで通行税を払ってスプートニクス領に入るのだが、今回は避けることにした。
関所破りは違法で重罪だが、これから私がやろうとしていることはそれの遥か上回る。なんといっても領主の居城への不法侵入だ。少しでも、ギルベルトという人間がスプートニクス領に入ったという痕跡は少なくしておきたい。
それで私はあえて街道から逸れ、道なき道を行き、関所を
また、スプートニクス領に入る前に時間をとって念のための準備をしておく。子供の救出のため急ぎたいのは山々だが、失敗すれば私だけではなく子供の命も危うくなるのだから致し方ない。
そしてシオンたちと別れて二日後――私はコソ泥のように領都スプートニールに侵入したのだった。
スプートニールは領都だけあって、規模の大きな街だった。領主の居城を中心にして城壁に囲まれた街が展開されている。
大きな街だけあって人通りも多い。だがその様子は活気にみちたものではなく、街全体がピリピリとした空気に包まれていた。まるでこの街が抱いている問題を
陽が落ちるまでにはまだ少しありそうだ。城に忍び込むなら、もちろん夜が良い。それまでの時間、私は軽く情報収集することにした。
酒場に入れば、まだ早いのにもう酔いが回っている男たちがいた。彼らに酒をおごって、この街のことを聞くことにする。
安酒にも関わらず、男たちは非常に喜んでくれた。酔いのせいで口も軽い。そこで聞けたのは、ある意味予想通りのものだった。
スプートニクス領は数年前に代替わりしたらしい。現領主の父親である先代はまじめな好人物だったらしいが、息子の教育には失敗したようだ。
家督を継ぐなり、スプートニクス侯爵は大胆に散財し始めた。その最たるものが居城の拡大で、それは行政施設の一部を取り壊してまで行われたらしい。そして使った金を補うように、税を高くしていった。
また、デイヴィッドの話通りスラムを中心に子供の誘拐が横行していたが、これといった対策や捜査はなされていないという。子供を一人にできないという大人たちの緊迫感が、この張り詰めたような街の雰囲気に出ているのだろう。
当然、そんな領主に対する領民の心証も非常に悪かった。
領主の居城なんて探すまでもなかった。街の中央にでかでかとそびえ建っている。夜を待って私はそこに侵入した。
今、私は変身術で姿を変えている。ギルベルト兄上ではない別の姿だ。
いつもよりも身が軽く、夜でも何の問題もなく辺りを見渡せる視界。体が小さいので人間がくぐれないような柵と柵の隙間もすいすい通れる。やわらかな肉球のおかげで足音もほとんどしないし、おまけに体が黒一色なので夜の闇に紛れやすい。
私は黒猫に変身していた。
この変身をチョイスしたのは、城ではネズミ捕りのためにたいてい猫を飼っているため、万が一誰かに見つかっても見とがめられることがないと思ったからだ。
思惑通り、私は易々と城内に入ることができた。
さて、子供たちはどこにいるのだろう。おそらく、どこかへ閉じ込められているのではないだろうか。
スプートニクス侯爵がどうして子供を買い集めているのか、その理由は不明である。だが、ろくでもないことだろうとは察するに
私は普段は人目に触れない場所、地下へと足を延ばした。
石畳の階段を下っていくと、敏感な猫の鼻にツンと刺激臭がした。老廃物や汚物の臭い。そして、ひそひそと話すような子供の声も――当たりだ。
ろうそくの明かりで照らされた薄暗い廊下は小さな猫の体に都合がいい。見張りの兵士がいても、光の届かない物陰でじっとしていれば簡単にやり過ごすことができた。
子供たちの声がする方へ私は進んでいく。けれども歩を進めるにつれて、嫌な予感がひしひしとした。
子供たちの声は複数聞こえる。その数は数人という程度ではない。
換気がされずすえた臭いが充満する空間に、大きな檻が二つ並んでいた。その一つずつに、私よりいくらか年下の子供たちが十人以上閉じ込められている。
つまり、救出対象が二十人以上いることになる。
肉球からじっとりと汗が出るのが分かった。
領主の城に忍び込むくらい造作《ぞうさ)のないことだった。それこそルキアだった頃は、魔物がひしめく砦に一人侵入して、その敵将の首を刈り取ることだってやってのけた。
だから問題は、いかに救出対象を無事に安全な場所まで逃がすか、だ。そしてその難易度は、救出者の数が多ければ多いほど跳ね上がる。
一人で二十人以上の子供の救出。
ハードすぎる問題に私はぶち当たっていた。
通常の方法での脱出は不可能と考えた方が良いだろう。それならば、やはり……。
そんなことを考えていると、二人の兵が牢の方へやって来た。私は慌てて、身を低くする。
兵たちは私に気付いた様子もなく、牢の鍵を開け始めた。
「出ろっ」
低い声で、子供たちが牢から出るように促す。一方、子供たちは外には出たくないのか、牢の中でぐずぐずしていた。すると、兵が怒鳴りつける。
「早くしろっ!」
今にも殴りかかりそうな勢いでそう言われ、子供たちはびくりと体を震わせた。仕方なく、兵の言う通りにする。
一体、どこへ行くのだろうか。牢から出た子供たちは通路で列を作り始めていた。
辺りは薄暗くて視界が悪く、見張りの兵たちも不慣れなのか隙が多い。
私は決心して、変身術を解除した。本来の姿――十四歳の少女リベアに戻る。そして、
幸い、兵たちに見咎められることもなく子供たちに紛れ込むことができた。
列がぞろぞろと動き出す。子供らの表情は一様に硬く、中には目に涙をためて今にも泣きだしそうな子もいた。怯えているのだ。
「ねぇ、これからどこに行くの?」
私はささやくような小声で、比較的落ち着いた様子の男の子に聞いてみる。急に話しかけられて驚いたのか、彼はぎょっとしたように私を見た。私よりいくつか年下の、赤毛の少年だった。
「お前、知らないのかよ?」
兵に気付かれないよう、少年もこそこそとした声で返す。
「さっき、ここに連れられてきたばかりなの」
「そういや、見ない顔だな。俺はジャンだ」
その名前を聞いて、私は思わず彼を抱きしめそうになった。
ジャン!デイヴィッドの息子ではないか!
嬉しさの衝動をできるだけ表に出さないように気を引き締める。
「私はリベア」
「リベアか。これから行くところは地獄だ」
「地獄……」
子供が口にするには物騒な言葉だ。けれども、他の子供たちの怯えようを見れば、あながち間違いではないのかもしれない。
「いいか?いざという時には戦うんだ。どんなに怖くても目の前の敵に剣を振り下ろせ」
それはどういうことか――尋ねようとしたところで、兵から叱責が飛ぶ。
「そこっ!うるさいぞ!静かにしろっ」
下手に目を付けられるわけにはいかず、私は押し黙るしかない。
そうこうしている間に、私を含めた子供たちの列は地下を出て、城の裏庭に出た。そこには大きな四角い建物があった。堅牢そうだが、装飾品などはなく不格好だ。およそ貴族の居城には
兵士たちは子供たちを追いやるように建物の中に入れると、外から鍵をかけた。私は辺りを見渡す。
そこは屋内型の運動場だった。異様なのは、採光用のものも含めて窓が一つもないこと。まるで、誰もここから逃げ出せないようにしているみたいだ。照明代わりに明かりの魔術が天井に施されていた。
建物の上部を確認すれば、二階か三階部分に当たる一部分がガラス張りになっていた。そこには観覧席か何かのようで、着飾った男女が楽しそうにこちらを見下ろしていた。
観覧席――そう、つまり彼らはこれから何かを観賞するのだろう。
私は視線を運動場に戻す。土の地面には、無造作に剣や槍が転がっていた。どれも使い古されて、壊れる一歩手前のようにも見える。剣の柄にはスプートニクス侯爵家の紋章が見えた。私はそれを一つ手に取る。
これで戦えと?一体何と――?
すると対岸の扉が開いた。
現れたのは大型の蜘蛛の魔物だった。私はこの瞬間に、事態を把握する。
スプートニクス侯爵が子供たちを集めていた理由――それは子供たちを魔物と戦わせ、その様子を見物するためだった。
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