第15話 追われた男

 悲鳴を聞いて無視するわけにもいかず、私とシオンはその声の方向に駆けていった。ほどなくして、森の中に三つの人影が見えてくる。


 三十路半ばくらいの中年男を、ローブを目深にかぶって顔を隠した男たちが追い詰めていた。

 中年男のそばの地面には片手剣が一本落ちている。どうやらローブの男達との戦闘で取り落としてしまったようだ。

 得物を失くした上に追い詰められ、まさに絶体絶命の中年男。一方、ローブの男たちからは殺気がひしひしと伝わって来た。その装いも相まってどう見ても悪党の風体、怪しいことこの上ない。


「た、たすけてくれっ」

 中年の男が私たちに気付き、声を上げた。ローブの男たちもこちらを見る。

「ちっ」

 そのうち一人が舌打ちと共に、私たちに向ってきた。手に持った得物――シミターと呼ばれる湾曲した剣――を躊躇なく振りかぶる。

 私も鞘から剣を抜き、応戦した。金属音と共に互いの刃が組み合う。そうやって斬り結ぶ間に、私の呪文は完成した。


 一陣のガスティングウィン


 不意の突風をまともに食らい、ローブの男はバランスを崩して尻もちをつく。そのチャンスを逃す手はなく、私は男の顎下あたりを思いっきり蹴り上げた。

 がくりと男のこうべが垂れる。失神したようだ。

 私が男をノックアウトしたのと同じころ、バチバチとすぐ傍で火花が散った。

「こちらも片付きましたよ」

 笑顔でそう言ったシオンの足元にはもう一人のローブの男が転がっていた。



 私たちは追われていた男の中年話を聞くことにした。

 彼はデイヴィッドと名乗り、スプートニクス領の領都スプートニールの出身だと言う。

 ローブの男たちは誰で、どうして追われていたのか。それについて問うと、男は少し迷った様子を見せた後、ぽつりぽつりと事情を話し始めた。


 デイヴィッドには十三歳の息子がいた。父親と同じ赤毛で、名前はジャンだという。その彼が二カ月前に突然姿を消してしまったのだ。

「もしかして人さらいですか?」

「アンタもその話を知っているんだな」

 デイヴィッドによると、スプートニールではスラム街を中心に度々子供が行方不明になっているらしかった。もちろん、さらわれた子の親は衛兵に訴えるのだが、なぜかろくな捜索がされないらしい。そんな折、ジャンも行方不明になってしまったのだ。

 デイヴィッドは妻に先立たれ、男手一つでジャンを育てていた。彼にとって家族は息子だけだった。その息子が姿を消してしまい、衛兵も対応してくれない。彼は自ら息子を探し出すことにした。


 まず、衛兵がこの事件についてろくな捜査をしていないことをデイヴィッドは怪しんだ。おそらく上からの圧力がかかっているのだろうと推測する。スプートニクス領で一番権力を持っているのは誰か――それは考えるまでもなく領主の侯爵だった。

 スプートニクス侯爵がこの事件に一枚噛んでいる――そう判断したデイヴィッドは、領主の城を見張ることにした。すると、わざわざ深夜に城内に出入りしているほろ馬車を目撃した。それも一度や二度ではない。まるで人目を忍んでいるかのようだ。


 ある夜、デイヴィッドは件の馬車を尾行した。馬車は町はずれの古びた建物に入って行った。そこで、彼はその建物に侵入した。


「すごいことをしますね」

 思わず、口からそんな感想が出てしまった。

 むちゃくちゃな行動力である。中々マネできるものではない。それだけ息子が大事だったのだろう。


 そして、デイヴィッドは忍び込んだ部屋で信じられないものを見つけたのだ。

「それがこれでだ」

 デイヴィッドが懐から出したのは、数枚の紙きれだった。

「拝見しても?」

 彼はこくりと頷いた。

 私は紙に書かれた文字を読む。それは売買の契約書だった。ただし、その売り買いされているものが大問題で――

「人身売買」

「そう。そして買い手側のサインを見てくれ」

「……スプートニクス侯爵家のものですね」

 つまり、人さらいたちは子供をスプートニクス侯爵に売っていたということになる。

 この契約書は、領主が違法な人身売買に手を染めている決定的な証拠だ。もちろん、これが本物であればという前提だが……。


 デイヴィッドはこの契約書を手に領主を訴えようとしたらしい。

「ただし、相手は領主だ。この契約書を領内の衛兵に届けても意味がない。だから、隣のリンジー領で訴えるつもりだった。だが、奴らに感づかれて…」

 デイヴィッドは地面に伸びているローブの男たちを見る。さしずめ、彼らは領主にやとわれた暗殺者か。

 本来、デイヴィッドはリンジー領に入ってすぐの街に向かう予定だったのだが、どこで情報をかぎつけたのか領主の追手が現れたらしい。それで彼らから逃げるうちに街道から逸れ、こんな森の中までやって来てしまったと言う。


「しかし、アンタらがこいつらを倒してくれた。本当にありがとう。あとは領主の悪行を暴くだけだ。そうすればすぐに息子を助けられる」

 そう言って笑顔を見せるデイヴィッドに、

「そう、上手くいきますかね?」

 今まで黙っていたシオンが口をはさんだ。

「何だって?」

「役所かどこかに訴えて、それで本当に悪い領主を成敗、息子さんを救出できますかね?」

「こっちには証拠もあるんだ!なぁ、そうだろう?」

 デイヴィッドはこちらに顔を向けた。私はうーんと渋い顔をする。

「水を差すようで申し訳ないですが、簡単にはいかないかと。まず、リンジー領でその訴えがきちんと処理されるかどうか分かりません」

「えっ」

「すでにスプートニクス侯爵が裏で手をまわしている可能性もあるかと」

 私の答えにデイヴィッドは絶句する。


 リンジー領とスプートニクス領の関係性について、私はよく知らない。しかし、リンジー側にスプートニクス侯爵が何かしらのアクションをすでにとっていた場合、デイヴィッドの訴えは握りつぶされる可能性がある。

「きちんと処理された場合も、まだまだ問題は山積みです。まず、その契約書が本物かどうか精査しなければいけません」

「俺が嘘を言っているとでもいうのか!?」

「そう言ってません。ですが、あなたが訴えようとしているのは領主ですよ?確実な証拠もないのに裁ける相手ではないでしょう」

「うっ……」

「契約書が本物と認められれば、リンジー側から王都へ連絡がいくでしょう。そしたらまた、中央で契約書が本物かどうか調べ、人さらいの実態がどうなっているのか――など調査が入ると思います」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 デイヴィッドが声を上げる。

「そりゃいったい、どれだけ時間がかかるんだよっ!」

「おそらく数カ月――下手すれば年単位でかかるかと」

「冗談じゃない!そんな悠長なことをしていたら息子が……っ!」

 デイヴィッドの言いたいことはよく分かる。だが、有爵者を断罪するのは難しいのだ。

 加えて、どうにも今の王は良い政治をしているとは言い難い。貧富の差は激しく、地方では人身売買が平然と行われている。

 スプートニクス侯爵に謀反むほんの疑いでもあれば別だが、平民の子供の誘拐事件に果たしてどれだけ迅速に動いてくれるか。疑わしいものである。


「王族でも介入してくれれば話も別ですが、それこそ運を天に祈るようなものです」

「……ジャン」

 デイヴィッドが息子の名前をつぶやいた。その目からボロボロと大粒の涙が落ちる。

 どうにかしてやりたいと思う。思うが、私がどう足掻あがいたところで行政の手でスプートニクス侯爵を裁くには時間がかかる。だとすれば……。

 私はしばし悩んだ後、大きくため息を吐いた。

「二つ、提案があります」

「……え?」

「まず、少しでも早く国に動いてもらうため、知り合いの貴族に仲介をお願いします」

 そこで私はデューク・クレスメントの名を出した。ニジェルシティの剣術学校で出会った、現クレスメント辺境伯の次男だ。彼はちょっと剣術馬鹿で迷惑な男だったが、その人柄は信用できる。

「クレスメントというと、あの勇者の!」

 パァッとデイヴィッドの顔が明るくなる。

「なるほど!勇者の家を味方につければ、スプートニクス侯爵もすぐに――」

「いえ、これはあくまで保険です」

 クレスメント家は名家とは言え、デュークは当主でもなくその次男坊。簡単に領主を断罪できるような権力は持ち合わせていないだろう。

「なんだ……。結局、すぐにジャンを助けられねぇってことかよ。ちくしょう!」

「はい。正規の方法では」

 そう言うと、シオンが私の顔を覗き込んできた。

「というと、正規じゃない方法があるので?」

 にこにこと笑顔のシオン。その眼はまるで新しいおもちゃを見つけた子供のようにはずんでいる。


 そして私は二つ目の提案をした。



 その場から立ち去るギルベルトの背をシオンは見送った。隣では心配顔のデイヴィッドが、

「大丈夫だろうか」

 とつぶやいている。

「さぁ、どうでしょう?僕たちはただ彼を信じるしかないですねぇ」

 のんびりとシオンが言った。それにしても、相当なお人好しだとギルベルトのことを思いながら。


 ギルベルトはさらわれた子供を助けるため、これから単身で領主の居城に乗り込むと言う。会ったばかりの他人のためによくそこまでできるな、とシオンは思う。

 子供の救出には、父親であるデイヴィッドも名乗りを上げたが、ギルベルトに足手まといだときっぱり断られてしまった。その代わり、子を奪われた親としてデュークとやらに協力を乞うよう説得される。


 ちらりとシオンはデイヴィッドを見た。その手には紐でまとめられた一房の青い髪が握りしめられている。

 ギルベルトの髪だ。

 ギルベルトはデュークにこれを見せるよう言った。

 確かにこの国で青い髪は珍しいようだから、これはギルベルトとデイヴィッドのつながりを示す証拠になり得るだろう。


 子供の救出に奔走するギルベルトとデイヴィッド。

 さて、シオンはというと、デイヴィッドの護衛を自ら名乗り出た。これからデイヴィッドをニジェルシティに送り届けることになっている。

 正直なところ、デイヴィッドの子供がどうなろうとシオンには興味がない。ただ、ギルベルトには非常に興味があった。

 もしかしたら彼は、シオンが探し続けているその人かもしれない。

 だから、ギルベルトの心証をよくするために協力を申し出たのだ。彼は権力や金には興味がないようで、そういう人間の懐に入るには、地道な人間関係の構築が必要だろうとシオンは判断した。


 シオンは空を仰ぎ見た。上空の高い所で、一羽の鷹が悠々と飛んでいる。

「さて、僕らも行きましょうか」

 ふわりとシオンとデイヴィッドの体が浮き、そのまま二人は空高く浮上した――飛行術だ。

「うわぁぁぁぁっ!?」

 デイヴィッドの悲痛な叫び声が聞こえる。空を飛ぶという初めての経験にパニック寸前のようだ。

「慌てないでくださいよ。ただ、飛んでいるだけです。空を飛んだ方が早いので、このままニジェルシティに行きますよ」

 恐慌状態のデイヴィッドにシオンは説明するが、おそらく聞いてはいないだろう。何とか人身売買の契約書とギルベルトの髪だけは落とさないようしっかりと持っている。それで精一杯、他に気を配る余裕なんてなさそうだ。


 だからシオンの独り言にも当然デイヴィッドは気づかなかった。


「ああ、そう言えば忘れ物がありました」

 そう言って、自身のはるか下――地上を見下ろす。

「ゴミはちゃんと処分しておかないと。立つ鳥跡をにごさずと言いますしねぇ」


 地上に闇が生まれた。夜のように暗く深い闇である。その闇は徐々に広がり、気を失って伸びていたローブの男たちをゆるりと呑み込んでいった。

 やがてすーっと霧のように闇が晴れると、そこにはもう何もなかった。まるで最初から何も存在していなかったように。


「お掃除完了」

 上空で、にこやかにシオンが言った。

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