第14話 役者

 夕食には一同が食堂に集ったが、これといってトラブルはなく終わった。あれほど使用人に対して声を荒げていたハリス夫人も、そんな空気をみじんも感じさせず、始終を穏やかに微笑んでいた。


 食後、私には客室の一つがあてがわれた。屋敷の三階の角部屋だった。コの字型の建物の端っこで、窓からは正面玄関とその上のバルコニーがよく見えた。

 清掃がいきとどいた部屋でソファに身をうずめながら、私はお腹をさする。

「少し食べすぎたかな」


 本日のメインディッシュはジャイアントディアーという鹿の魔物のステーキだった。この村では魔物の肉を食べる習慣があるらしい。

 百年前の魔王討伐の行軍中、貧相な食糧事情を解決するために度々魔物は食べたことがあったので、今日も食べるのに抵抗はなかった。

 しかし、聖王国内には魔物を食することを嫌う人々も少なくはない。魔物はけがれで、それを食べることで自らも魔物になってしまう――そういう考えを持つ人間もいるのだ。もちろん、そんな例を私は見たことがなかったが……。


 そもそも、魔物という定義はあいまいなのだ。

 普通の動物と魔物で何が違うのか、それは人間側の主観によるものでしかない。人間に敵愾心てきがいしんを抱いたり、害をなしたりする動物を総じて魔物と呼んでいるのだ。

 そう考えると、この前出会った夢幻樹も魔物のカテゴリーに含まれるだろう。

 魔物が人間を襲う理由も様々だ。

 食べるため、繁殖のため。原因が分からないものも多い。

 ちなみに、ジャイアントディアーの肉は上質な赤身肉で、噛むと肉汁があふれてたいへん美味しかった。



 食べてからすぐに横になると牛になるというが、どうにも満腹で眠気がおそう。手早く湯あみをしたら、すぐに眠ってしまおうか。今日は真っ白で清潔なシーツがかけられた、ふかふかのベッドがあるのだし。

 そう考えていると、ノックの音がした。ハリス家の使用人が声をかけてくる。

「どうぞ」

「失礼いたします」

 現れたのは若い女性のメイドで、ワゴンにはティーセットがあった。リラックスできるハーブティーをわざわざ持って来てくれたという。

 その心遣いは嬉しい。嬉しいが、本音を言うと早く寝たい。

 しかし、私の胸中など知らず、メイドはさっさと窓際の席にお茶の用意をしてしまう。その親切心を無碍むげにするわけには行かず、私は仕方なくお茶を飲むことにした。

 花の香りがするいい匂いのハーブティーだ。私がその香りを確かめていると、

「あれ、お嬢様?」

 メイドがつぶやいた。彼女は窓の外を見ている。私もつられて、その視線の先を見た。


 玄関上のバルコニーに、確かにジェイダの姿があった。どうやらバルコニーに出て、一人外の景色を眺めているようだ。

 薄いドレスで夜風は寒くはないのだろうか。そんなことをぼうっと考えていると、ジェイダの背後に忍びよる人影があった。あれは――。


「あっ」

「えっ」


 私とメイドの声が重なる。

 人影が突如走り出したかと思うと、ドンとジェイダの背中を押したのだ。手すりに身をゆだねていたジェイダはバランスを崩し、そのまま三階から地面へ転落してしまう。

「お嬢様っ!」

 メイドが悲鳴を上げた。


 月明かりに、ジェイダを落とした犯人の顔が映し出される。

 それはジェイダの母親、ハリス夫人だった。



 私とメイドの知らせで、屋敷は騒然となった。

 皆が応接間に集められる。

「一体、これは何の騒ぎだ?」

 ハリス氏の問いに、執事と思われる男性が告げた。

「先ほどお嬢様がバルコニーから転落されました」

「何だとっ!?それで、ジェイダの容態はどうなんだ!?」

「それが……」

 執事は悲壮な顔で首を左右に振った。

「まぁ!なんてことっ」

 ハリス夫人は目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせる。そのかたわらにいた彼女の息子は、まだ事態がよく呑み込めていないのか、眠いのか、ぼうっとしていた。


 ハリス夫人の様子は娘を失った悲壮感で満ちていてる。渾身の演技に、役者にでもなれるんじゃないかと私は思った。 

 そう、これは演技だ。演技であるということを少なくともこの場にいる二名は知っていた。私と――、


「あ、あの!」


 一人のメイドが声を上げる。私にハーブティーを持って来てくれたあの若い女性だ。

「私、犯人を見ましたっ!!」

 メイドの言葉を聞いて、部屋中の人間が彼女に注目した。彼女は緊張した面持ちで、ハリス夫人を指さす。

「奥様です!お嬢様は奥様に突き落とされました」


「ちょっと何を言っているの?……うっ、うそよっ!デタラメよっ!!」

 まさか目撃者がいると思っていなかったのか、ハリス夫人は焦りの表情を浮かべる。

「お前…まさか……」

「信じて、旦那様!私がそんなことするわけないじゃないっ!こんな使用人と私、どちらを信じるのっ!?」

 涙ながらに訴えるハリス夫人はまさに女優だ。何も知らないとうっかりほだされてしまうかもしれない。ということで私は挙手した。

「俺も見ました。このメイドさんと一緒に、ハリス夫人がジェイダさんを突き落としたところを――」

 顔色を変えるハリス夫人。


 私は彼女の凶行を目撃した時の状況を皆に説明した。

「で、でも――それは確かに私だと言えるのかしら?夜だし、誰かと見間違えたのでは?」

 ハリス夫人は、あくまで自分の犯行だとは認めないつもりらしい。しかし、思いもよらない方向から彼女はさらなる窮地に立たされる。


「僕も夫人が怪しいかと」

 そう言いだしたのはシオンだ。

「騒ぎの起こる前、お嬢様に呼ばれて三階のバルコニーのある部屋に向っていたんです。そのとき、足早に部屋から去っていく者が……。あの後ろ姿は確かにハリス夫人のものでした。ねぇ?」

 シオンが隣にいた三十路くらいのメイドに話しかけると、彼女は大きくうなずいた。

「学校について詳しくお話が聞きたいから――そうお嬢様に頼まれてシオン様をお連れしました。そのとき、私もシオン様と一緒に見たのです。バルコニーから逃げていく奥様の背中を――」


「デタラメを言わないでちょうだいっっ!!」

 ヒステリックにハリス夫人は声を上げる。


「ウソよ、ウソ!みんなデタラメよ!みんなが私をおとしいれようとしているんだわっ」

 そうハリス氏に訴えかけるが、夫人を見る彼の眼はひどく冷たい。少なくとも、夫が愛する妻を見る目ではなかった。

「お母さま…」

 不安そうに母親を見つめる息子。

「坊や、信じてちょうだい。私は何も悪いことは――」


「していないとでも言うつもりですか?今、この状況で?」

 凛とした声と共に、応接間に入って来たのはジェイダその人だった。


 その場にいた皆が騒然となる。ハリス夫人にいたっては愕然がくぜんとした顔で、

「あなた、死んだんじゃなかったの!?」

 そう叫んだ。

「幸い、気を失っただけですみました。庭の茂みに落ちたので、それがクッションになったのでしょう。ですが混乱した使用人が、私が亡くなったと勘違いしてしまったようですね」

 淡々とジェイダが言う。

「そして、その拍子に私は思い出しましたの。どうして森の中をさまようことになったのかを」

 転落したことをきっかけに、記憶を取り戻したというジェイダ。その言葉を聞いて、ハリス夫人から血の気が引く。

 一同が固唾をのむ中、ジェイダの明晰な声が響いた。


「私はお母さまに森の中に呼び出され、石で頭を殴られたのよ」


 さすがのハリス夫人も言い逃れができず、娘を殺そうとしたことを白状した。

 その動機は、ハリス家の後継者問題に起因するらしい。なんと、ジェイダはハリス夫人の実子ではなかったのだ。

 ジェイダを生んだ母親は彼女が幼いころに亡くなり、今のハリス夫人は後妻だった。いわゆる継母だ。

 どうりで二人が似ていないわけである。そして、長男が生まれた。

 ハリス夫人は血のつながりのないジェイダではなく、息子をハリス家の跡取りにしたかった。

 当初ハリス夫人は、ジェイダは女でいずれどこかへとつぐ身だと考えていて、自分の息子がハリス家を継ぐと信じて疑っていなかった。

 しかし、そこに想定外のことが起こる。

 家長のハリス氏がジェイダを跡取りにすることを宣言したのだ。聖王国では男児が家を継ぐのが一般的であったから、ハリス夫人にとっては青天の霹靂だっただろう。


 ジェイダが跡取りに選ばれたのは、ひとえにその魔術師としての素養が高かったからだ。私から見てもジェイダは非常に魔力保持量の大きな少女だった。魔力量だけなら、私の弟子だったノアにも引けを取らないだろう。

 一方で、弟の方はごくごく普通の魔力量だ。そこには大きな隔たりがあり、今後彼がどう成長してもその差は埋められそうにもなかった。


 ハリス家の地位は、魔物から魔術で村を守るという役割から確立されているのだろう。つまり、性別よりも能力が優先される。才能あるジェイダが次期当主に選ばれるのはごく自然のことだった。

 けれども、ハリス夫人は息子を跡取りにすることを諦めきれなかった。それで継子を森に誘い出し、殺そうとした。

 後頭部を殴り、倒れたジェイダを見てハリス夫人は死んだと思ったと言う。

 荒事に慣れていなかった彼女は継子の生死の確認もろくにせずに、その場から逃げ出したのだった。


 だから、ジェイダが戻って来たとき、ハリス夫人は心底驚いただろう。そして、おびえたはずだ。

 もしジェイダの記憶が戻ったら、自分の悪行がさらされてしまう。その前に彼女を――というのが今回のあらましだった。


 さてその後、ハリス夫人がどうなったかというと……。

 私は、てっきりそのまま役人にハリス夫人を引き渡すかと思いきや、そうはしないらしかった。これはハリス氏だけではなく、ジェイダの意向でもあるようだ。

 一緒に暮らしてきた家族としての温情か、または世間体を考えてのことか。それは私には分からない。

 おそらく、そう遠くない先にハリス夫人は離縁されるだろう――が、それはもう家族の中の問題だ。これ以上私がハリス家のごたごたに首を突っ込むわけにはいかないし、突っ込みたくもない。

 そういう理由わけで、騒動があった翌日に私とシオンはハリス家を後にした。



 ハリス村を離れ、小道を歩きながらスプートニクス領へと続く街道へ戻る。すると、シオンが

「ジェイダお嬢様、心配ですねー」

 実にのんびりした口調でそう言った。はたから見て、まるで心配しているようには見えない。

 そもそもこの男、始終ニコニコしていて何を考えているのか今一つ分からないのだ。

「本当に心配しているんですか?」

「もちろんですよ。未来の大事な生徒さんですから」

 確かにシオンからしてみれば、ジェイダは遠路はるばるスカウトまでしに来た相手である。案外、本気で心配しているのかもしれない。


「大丈夫だと思いますよ」

「でも血はつながらないとはいえ、母親に殺されそうになったんですよ?」

「たぶんジェイダさんはその……色々覚悟していたと思うので」

「何か知っているのですか?」

 興味津々で聞いてくるシオン。この様子…やはり全然、ジェイダのことを心配なんてしていないんじゃなかろうか。

「ただの俺の憶測ですよ」

「でも、そう思う根拠がどこかにあったのでしょう?話してくださいよ」

 簡単には引き下がりそうになかったので、私は「あくまで俺の推測です」と念押ししたうえで話すことにした。


 前提として、そもそもジェイダは記憶を失っていないのではないかと私は考えている。

 記憶を失い、意識が朦朧もうろうとした状態で少女が七日間を過ごすには、魔物が多いこの森は危険すぎるからだ。

 おそらくハリス夫人に殴られた後、すぐにジェイダは意識を取り戻し、どこかに身を潜めていたのだろう。そして、自分に危害を加えるハリス夫人を排除することに決めたのだ。

 森の中での夫人の凶行を訴えたところで、証拠はジェイダの証言だけである。ハリス夫人の往生際の悪さからいって、すぐに罪を認めるとは思えない。

 だからジェイダは、ハリス夫人が逃げられない舞台を用意することにした。


 記憶がすぐに戻るかもしれないと口にし、ハリス夫人を精神的に追い詰める。ジェイダの思惑通り、パニックになった夫人は大胆な犯行に及んだ。それが仕掛けられた罠とも知らないで。

 ジェイダは予め夫人の襲撃を予期していたのだと思う。その根拠は、ジェイダがバルコニーから落ちたときに私が目にした光景だ。

 ジェイダは地面にぶつかる前に、浮遊術を展開していた。それで三階から落ちたというのに怪我一つなくピンピンしていたのである。タイミングからして、浮遊術の呪文は事前に用意していたはずだ。

 また、ジェイダは屋敷の使用人を味方につけていたのだろう。ハリス夫人は使用人につらくあたっていたから、彼らが心優しいお嬢様の味方につくのは安易に想像できる。

 ジェイダは使用人たちを使って、私とシオンを第三者の目撃者にしたてあげた。

 使用人らはタイミングを見計らって、バルコニーがよく見える窓辺で私のお茶を用意し、シオンをバルコニーに連れて行ったのだ。

 当初、ジェイダが落下死したという情報も、使用人たちと組んで意図的に流したのだろう。ハリス夫人の動揺を誘うために。


 ハリス夫人は血のつながらない我が子を心配する母親を見事に演じていたが、娘の方が一枚も二枚も上手の役者だったというわけだ。



「ハリス夫人は娘の手のひらでいいように転がされていたというわけですか」

「もっとも、ハリス夫人がジェイダを殺そうとしたのは確かなので、同情の余地はありませんけれど」

「たしかに、たしかに」

 満足そうにシオンがうなずく。


「いやぁ、名推理ですね。いっそう、あなたが欲しくなりました。どうでしょう?やはり入学しませんか?」

「まだ諦めていなかったんですか?」

 私は半眼になった。魔術学校の入学については、再三断ったはずだ。

「こんな逸材、簡単には諦められませんよ!本当なら、首に縄をつけてでも持って帰りたいところです」

「嫌な冗談ですね」

「もちろん本気ですよ?」

「なおさら悪いです」

 とにかく私は入学しないし、このまま旅を続けるつもりだ。私はもう一度宣言した。

 それでもシオンは往生際が悪く……

「えー、ダメですか?」

 だの、

「ちょっとでも、見学に来ませんか?」

 だの、言ってくる。しまいには怪しく、

「あなたを無理やり連れて行くのは……ちょっと難しそうですね」

 ブツブツのたまう始末だ。

 一々相手をしていられないので、私は全て無視することにした。すると――


「うわぁぁっ」

 森の中から男の悲鳴が聞こえてきたのだ。

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