第11話 彼女の異能

 聖王国南東部、中央から離れた片田舎の村に一人の女性が足を運んでいた。女性にしては背が高く、艶やかな黒髪を一つにまとめている。

 彼女の名はヴァネッサ、この国の第五王子ユリウスの直属の部下である。


「シケた村だな」

 自分が育ったスラム街と同じか、それ以上の貧困の臭いを覚えながらヴァネッサはつぶやいた。


 王子から命じられたのは、聖王国内での人身売買の調査だ。国王や貴族連中が捨て置いているその問題を、あの坊ちゃんはどうにかするつもりらしい。

 そこでヴァネッサは、特に人身売買が横行しているこの地におもむいた。

 現地に着いて納得する。なるほど、これだけ貧乏なら子供を売るクソ野郎がいてもおかしくない、と。

 村人たちは突然やってきた旅人に奇異の眼を向けたが、小銭を握らせれば易々と口を開いた。それでアムルシティにこの辺りの人身売買を牛耳っている男がいることを知った。


 ならば、そのアムルシティに向かおうかと思ったその時、ヴァネッサに声をかけてくる者があった。

 酒やけした声、くすんだ色の顔、黄色く濁った眼。脳みそまで酒に浸かったような男だった。

 彼は酒をおごってくれれば、人買いの元締めについて情報をやると持ち掛けてきた。それでヴァネッサは男と共に、村で唯一の酒場へ足を向けた。


 男の話では、この辺りの人身売買を仕切っているのはアムルシティの神官だと言う。

 この世は上も下もクソ野郎ばかりだな――とヴァネッサは思いつつ、気安い笑みを浮かべながら男に話しかける。

「アンタ、ずいぶん詳しいじゃないか。もしかして、自分のガキでも売ったのかい?」

「あー、いやぁ」

 男は少し言いよどんだが、ヴァネッサが店主に酒を追加すると、たちまち笑顔になった。

「アタシもちょうどガキの買い手を探していてねぇ。色々と教えて欲しいんだ」

 酒を奢られて気分が良くなったのか、ヴァネッサが自分と同類だと安心したのか、男は饒舌じょうぜつになった。

 それで男は、死んだ女房の忘れ形見で、後妻に邪魔者扱いされていた長女を売ったことを口にした。

「珍しい青髪だったからな。思った以上に高く売れたさ」

 最後に親孝行をしてくれたと得意げに話す男。その男の顔面に、ヴァネッサは思いっきり拳を叩きつけた。

  およそ女性の力とは思えない勢いで男は吹き飛び、壁に激突する。その鼻は潰れ、顔が血に染まっていた。

「クソ野郎が」

 周りが騒然とする中、吐き捨てるようにそう言うと、ヴァネッサは足早に店から出て行った。



「アムルシティね。ここからそう遠くないな」

 地図を見ながら確認すると、馬車で一日くらい走ったところにその街はあった。

「アタシにかかればほんの二、三時間だ……って、そういやさっきの男。青髪のガキを売ったって言ってたっけ」

 どういう理由か知らないが、ヴァネッサの主は『青い髪の少女』を熱心に探している。あの男の子供がまさか探している当の本人だとは思わないが、一応知らせておいた方がいいだろう。

 そう判断して、ヴァネッサは魔晶玉を使って連絡をとろうと試みたが、あいにく王子は離席しているようだった。

「王子さまは忙しいってか。仕方ねぇなぁ。また、あとで連絡すっか」

 とにかく今はアムルシティに向かうとしよう。

 村を出て、ヴァネッサはおおよそのアムルシティの方向に体をむけると、地面を踏みしめ――そしてんだ。



 ヴァネッサは聖王国のとある貧民街スラムで生まれた。

 父親は知らず、母親は売春婦。その母も彼女が十歳になる頃に、男を作ってどこかへ行ってしまった。

 以降、ヴァネッサを育ててくれたのは、母親が勤めていた娼館のオーナーだった。

 母親の残した借金や不義理やらで、ヴァネッサはそこらの変態に売られてもおかしくない状況だった。それを救ってくれたのがオーナーに他ならない。

 無論、裕福な家の子供のようにぬるま湯の中大事に育てられたわけではない。オーナーの下、毎日くたくたになるまでヴァネッサはこき使われた。

 しかし、ちゃんと働けば衣食住を保証され、体も売らずに済んだのはひとえに彼のおかげだ。これはヴァネッサの育った貧民街では間違いなく幸運なことだった。

 正直なところ、自分を捨てた母親よりもオーナーに余程感謝しているし、親に対するのと近い感情をヴァネッサは抱いていた。


 そして、ヴァネッサの能力について初めに気付いたのもオーナーだった。

「お前ぇのソレ、もしかして異能じゃなぇか?」

 ソレ、とはヴァネッサの跳躍力だ。

 幼少のころから、ヴァネッサは誰よりも高く遠くに跳ぶことができた。体は羽のように軽く、地面を踏ん張れば常人ではあり得ない距離を飛躍する。

 それをオーナーが指摘して、そういうものかとヴァネッサは納得した。それから、己の特技を活かした商売を始めた。それが『運び屋』だ。


 運ぶものは物から人から、何でもござれ。切り立った崖や流れの急な川――常人なら無理なルートもヴァネッサにかかれば一飛びだ。どんな難所でも通れるヴァネッサは、若いながらも運び屋として腕が良いと評判になった。

 初めはオーナーを通して仕事を受け、やがてヴァネッサ一人で行うようになった。次第にきなくさい仕事が増えていき、オーナーは苦言を呈したが、

「大丈夫だよ。万が一ドジ踏んでも、逃げおおせて見せるさ」

 ヴァネッサは軽口を叩いていた。 

 当時の彼女は己の力を過信していた。どんな状況でも、誰も自分を捕らえられないと考えていた。そんな過信を打ち砕かれたのは、それから間もなくのことだ。

 自分よりもずっと年下の少年せいで、ヴァネッサは窮地きゅうちに陥いるはめになる。



 そのとき、ヴァネッサはグローディア帝国からの荷物をティルナノーグ聖王国のとある街へ運んでいた。中身は知らぬが雰囲気からヤバそうな気配がしたので、できるだけ人気のない街道を選んだ。普通は通れないような崖や河川を飛び超え、ヴァネッサは目的地にやってきた。

 依頼人との落合場所も僻地へきちの村を選んだ。それにも関わらず、目的地に待ち構えていたのは依頼人ではなく聖王国の衛兵たちだった。

 どうやらヴァネッサは要注意の運び屋としてマークされていたらしい。そしてこれまでの彼女の行動から、今回の落合場所が割れてしまったと言う。


 ふざけるな――そうヴァネッサは思った。

 誰かが自分を売ったに違いない。なぜなら、この場所を仕事に使ったのは初めてなのだから。そんなの誰にも予想できるわけがない。

 ヴァネッサは知らなかった。

 一つの行動から百手先の未来まで見通せる頭脳の人物がいるなんて考えもしなかったのだ。


 ヴァネッサが運んでいた物は非合法の麻薬であり、麻薬売買の共犯者として彼女は捕らえられた。ヴァネッサ自身は自分がただの運び屋であることを訴えたが、当然聞く耳を持ってはもらえなかった。

 さらに悪いことに、この麻薬の運搬に関わった者には帝国のスパイの嫌疑がかけられていた。

 聖王国と帝国の関係は百年前の魔王討伐を契機けいきに改善され、一見良好な関係を築いているように見られたが、それでも水面下では互いにけん制し合っていた。

 聖王国側にとって帝国はかつて幾度となく戦争をしてきた宿敵、簡単には気を許せない相手なのだ。


 今回もスパイたちは、麻薬を国内に蔓延まんえんさせることで聖王国の混乱と国力低下を目論もくろんだのではないかと推察され、国家転覆罪が適用されようとしていた。

 国家転覆罪――つまり、極刑である。そして罪が決定すれば、そんな輩の手伝いをしてしまったヴァネッサも同罪となり得た。


 濡れ衣だとヴァネッサは叫んだが誰もそれを聞いてはくれなかった。このまま自分は冷たく汚い獄中でただ死ぬのを待つのか――そんなことがヴァネッサの脳裏をよぎった。

 そこに突如現れたのは、とても綺麗な少年だった。一目で高位の人間だと分かる。ヴァネッサは怒りのままに少年に唾を吐き捨て、それは彼のズボンにかかった。

「貴様っ!」

 護衛の兵士が怒声をあびせる。それを少年が穏やかな笑みでとどめた。そして少年は地面に膝をつき、まっ直ぐにヴァネッサを見つめるとこう言った。


「私と取引しませんか?」 


 金髪碧眼の美しい少年。それが、聖王国の第五王子ユリウス・ティルナノーグその人だった。

 自分の行動を読み解いて、罠を張っていたのがこの齢わずか十一歳の少年であることを、ヴァネッサは後で知ることになる。

 ヴァネッサはユリウスをにらみ見た。

「取引だと?」

 しかし、ユリウスは剣呑な彼女の視線をむしろ楽しむように眺めていた。そして、繰り返す。

「ええ。貴女あなたをここから出してあげる代わりに、私の下で働いてほしいのです」

「……」

 どれだけヴァネッサがにらんでも、ユリウス少年の笑みが崩れることはなかった。


――なんだ、このガキは。

 これまで王族や貴族といった連中は、ヴァネッサにとって憎悪の対象だった。彼らは飢えも渇きも知らず、凍えることも知らない。ぬくぬくとした温室で育った、ただ『生まれ』の運がよかっただけの連中だ。

 貴族の犬になど誰がなるか――そういう思いが確かにヴァネッサの中にあったが、何とか短気をこらえて考え直す。この取引に応じないと、自分は牢の中で野垂れ死ぬか、もしくは首をはねられるか……ろくな結末を迎えないだろう。

 結局、ヴァネッサはユリウスと取引をするしかなかった。



 以来、彼女はユリウスの下で働いている。第五王子という苦労知らずの坊ちゃんの言いなりになることは、さぞかし反吐へどの出ることだろうと思っていた。思っていたのだが、


――案外、悪くないな。


 そう思うこの頃である。

 ユリウスはいわゆる「良い主」であり、さらに言えば無能ではなかった。頭の出来の話をするなら、ヴァネッサは彼に絶対敵わない。


 ヴァネッサの異能の正体を突き止めたのもユリウスだ。

 これまで彼女は自分自身の能力を跳躍リープだと考えていた。普通の人間ではあり得ないジャンプ力こそ自分の力だと。けれどもユリウスは指摘した。

「君はひょっとして重力を操作できるんじゃないのかな?跳躍リープはその産物の一つだよ」

 重力と言われても、学のないヴァネッサにはよく分からなかった。何でも、地面に物が落下するのは重力のせいだとか。

 ユリウスに言われるがまま、ヴァネッサは傍にあったカップに触れ、そこに力を意識させた。最初はうんともすんとも言わなかったが、やがてカップがわずかに浮遊し、ヴァネッサは目を見張った。

「そのカップは今、無重力状態になっているんだ。練習すれば、触れたものを自由に動かすこともできるんじゃないかな」

 ユリウスの言葉通り、今では軽く触れるだけで対象事物を自在に操ることができる。まさか自分にこんな能力があるとは、ヴァネッサ自身も気づかなかった。


 まったく、ユリウスはまだまだ子供であることが末恐ろしいくらいの頭脳の持ち主だった。しかも、その頭の切れ味に近頃磨きがかかり、預言者じみたものになっている。

 多少の不満はもちろんあったが、ヴァネッサは意外にも大人しくユリウスの配下に収まっていた。

 報酬のため仕事もきちんとこなす。こなすのだが――今回ばかりは不可解だった。なぜ、あの坊ちゃんは『青い髪の少女』なんて探しているのだろう?



「『青い髪の少女』が買われたって!?」

 魔晶玉から聞こえてくるのは焦った主の声。こんな風に取り乱しているユリウスを見るのは初めてだとヴァネッサは思った。いつもの余裕ぶった表情ががれてしまっている。

 アムルシティへの道中、ユリウスから連絡が入り、状況報告ついでに『青い髪の少女』の話をした途端このザマだった。

「坊ちゃんの探し人とは限りませんよ?」

「だが、可能性はある!青い髪の子供なんてこの国にはそういないのだから!」

「たしかにそうですけれど」

 ユリウスが『青い髪の少女』にこれほどまで執心しているとは予想外だった。何だか面倒くさいことになりそうだと、ヴァネッサは心の中でひとりごちた。

 そして、良くない予想とは大体よくあたるもので――。


「人身売買組織のリーダーがアムルシティにいるなら、そこでその子も売られた可能性があるな。よし。君はアムルシティで『青い髪の少女』を探してくれ」

「はぁ?ちょっと待って、坊ちゃん。アタシの今回の仕事は人買いの調査で――」

「同時にやればいいだろう」

「……」


 なんでアタシがそんな訳の分からないことにまで骨を折らなきゃならないんだよ!――そう言いたいところをヴァネッサはグッとこらえた。

 娼館のオーナーが今のヴァネッサを見たら、その成長に目を潤ませたかもしれない。短気な彼女が我慢を覚えたなんて、と。

「……分かりました」

 ブスッとした表情でヴァネッサは言う。彼女はいらん仕事が増えてしまったという苛立ちで頭がいっぱいだったが、

「ああ、くれぐれも頼んだよ。もちろん、報酬は上乗せするから」

 というユリウスの言葉でいくらか気が晴れた。


「さすが、ご主人様。部下の使い方を心得ていやがる」

 ユリウスとの通信を終え、ヴァネッサはつぶやく。

「さぁて、それじゃあお姫様の顔を拝みに行きますか」

 そうして、彼女は高く跳んだ。

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