第9-2話 妖精
「覚えてろよっ!」
月並みの捨て台詞を吐きながら、森の中へ逃げていく男女の背を見送りつつ、私は剣を鞘にしまった。さすがにあの程度の腕の相手に負けるほど私も弱くはない。
「まさか妖精をこんな風に扱う
私は独りぼやく。百年前には考えられなかったことだった。
「あ、あの…」
すると、背後から遠慮がちな声がかかった。振り向いてみれば、困った表情の小さなヒト――もとい、妖精がこちらをうかがっていた。
薄緑色の蝶のような美しい羽、
「危ないところを助けてくれて、どうもありがとう」
ぺこりとお辞儀をする妖精。意外に礼儀正しいようだ。
私と狩人たちが争っている間に逃げてしまってもよかったのに、彼――彼女かな?――はそうしなかったらしい。
「こちらこそ人間が迷惑をかけたね。あの二人組に代わって
私がそう言うと、妖精は首を左右に振った。
「人間が皆、悪い人じゃないってことは分かってる。妖精も同じ。良いやつもいれば、悪いやつもいるから」
「その通りだね」
「でも最近、あの手の人間は増えた気がする。ああ、怖かった。やっぱり外の世界は危険だなぁ」
「『外』?」
妖精の言葉に少し、引っかかった。『外の世界』とはどういう意味なのか。少し気になって聞き返してみれば、
「うん、妖精の里の外」
そう妖精は答えた。
妖精の里?
それは初耳である。この子のような妖精がたくさんいるのだろうか。
「へぇ、そんなところがあるんだ。知らなかった」
「そりゃ、人間には秘密だから――あっ!?」
ハッとしたように妖精が両手で口を覆う。それから、おそるおそる私の顔を見た。
私は苦笑いする。
「……誰にも言わないよ」
「約束、約束ね!あ、えっと……兄ちゃんの名前は?」
「俺はギルベルト」
「ボクはエリウ」
誰にも口外しないと改めて約束すると、エリウはホッと胸をなでおろした。
「エリウは故郷を離れて旅をしているの?」
「うん。友達が旅に出たから興味があって。でもボクには向いてないみたい」
それは確かに――という言葉を私は何とか呑み込む。
「ボクはもう故郷に帰るよ」
エリウは今回のことでほとほと
「そうか。道中気を付けて」
「うん。、助けてくれてありがとうね」
そう言って飛び立っていくエリウの小さな背中を見送る。このまま一件落着かと思っていたら、エリウの動きがぴたりと止まった。
なにやら、空中で静止している。
「エリウ?」
「……ない」
「え?」
振り返ったエリウの顔は遠目に見ても分かるくらい血の気が引いて真っ青だった。
エリウは今にも泣き出しそうな表情で叫ぶ。
「オカリナがないっ!!」
事情を聞けば、
「それは困ったな…」
私は辺りを見回した。目の前に広がるのは広大な草原と深い森だ。ここから小さな笛を探すなんて可能なんだろうか?
しかし、落とした本人は人生が終わってしまったような顔で絶望しているので、このまま見捨てていくのも心苦しい。仕方がなく私は笛探しの協力を申し出た。
とりあえず、目の前の草原から捜索することにした。
と言っても、私とエリウの二人だけでこの広い草むらの中から目的の物を探し出すのは大変困難だ。そこで多少なりとも工夫することにした。
私は
「ひぃっ」
エリウが短く悲鳴を上げる。
「俺の魔術だから怖がらなくていいよ」
「ま、魔術?」
「ああ。『
影は分裂を繰り返し、その数は二十ほどになった。これらは全て魔力で作製した私の分身のようなもので、感覚を共有している。この『影』を使って辺りを探らせることで、二十人分の情報を一気に集めることができるという算段だ。
でも、今回は選り好みをしている場合ではないよな……。
私は覚悟を決めて、影に指示をした。パッと影は辺りに散らばると、すぐに各々からの情報が頭の中に送られてくる。
「うぅ……」
案の定、頭が痛い。ガンガン襲い来る頭痛に思わず泣いてしまいそうだ。それを必死でこらえながら、私は探索を続けた。
エリウが心配そうにこちらを伺ってくる。
「ねぇ、汗がびっしょりだよ。大丈夫?」
「この術を使うといつもこうだから、気にしないで」
痛いのは大嫌いだが、幸か不幸か耐性はある。前世では手足がちぎれたこともあるし、今世でも横暴な父親から何度も殴られてきた。
この程度、我慢できないことはない。嫌だけど。
それから小一時間ほどが経った。一向にオカリナとやらは見つからず、やはり森の中を探索しなければならないかと思い始めた時だ。影の一つが小さな空色の何かを見つけた。
普通の笛とはまるで違った丸いフォルムだが、指穴と思われる穴がいくつも開いている。それはエリウから聞いたオカリナの形状に酷似していた。
「あった!」
「えっ!?」
見つけた場所は森のすぐ近くの草むらだ。エリウと二人で、慌ててそちらに向かう。
「これ!ボクのオカリナ!」
エリウはぱっと地面から空色のオカリナを拾い上げ、ボロボロと涙をこぼしながら叫んだ。
「良かったな」
「本当にありがとう!これがないと里に入れなかったんだ」
聞かれてもいないのに、エリウはぺらぺらと話し出す。
妖精の里は人に見つからないよう常時結界が張ってあるらしい。その中に入るためには『鍵』となるこのオカリナが必要とのことだった。
「なるほど。それは失くしたら焦るわけだ。……でも、エリウ。そんなこと人間である俺に話しちゃだめだろう?」
「あっ!」
エリウはしまったという顔をする。本当にこの妖精は口が軽い。
「でもギルベルトだったら大丈夫だよ。だっていい人だもん」
こりゃまた、随分と信用されたものである。
と、その時…私は初めてあることに気付いた。
「森が…」
目の前にある森。つい先ほどまで何の変哲もなかったそこが、白い濃霧に覆われていた。奇妙なのことに、森の外は晴天で、霧が出るような天気ではない。一体、なぜ――?
「これ、普通の霧じゃないな」
よくよく注意すれば、霧の中に多分の魔力が含まれていた。これは魔力による霧だ。そして霧を生む幻想生物に私は心当たりがあった。
「この森の木……もしかして全て夢幻樹なのか?」
「ギルベルト、よく知ってるね!その通りだよ」
さらりとエリウが教えてくれる。
夢幻樹は一見普通の樹木に見えるが、厄介な幻想生物の一つだ。彼らは霧を生み出す。そしてそれは普通の霧ではなく、魔力でできた
夢幻樹の霧によって五感を狂わされた生物は、霧の外に出ることができずそのまま命尽きるという。
立ち寄った村で「人を迷わす森」の話は耳にしていたが、十中八九、夢幻樹が原因だろう。
「危険だな。こんな厄介なものが今まで放置されていたのか」
私がそう口にすると、エリウは慌てだした。
「そんな風に言わないで!」
「え?」
「確かにすごい力をもっているけれど、普段は大人しい子たちなんだ。いつもは霧なんて出さないんだよ」
「随分と詳しんだな」
「そりゃ、ボクらは世界樹の申し子、妖精だもの」
それからエリウは夢幻樹について説明をし始めた。
「夢幻樹は確かに生き物を惑わす霧を生み出すけれど、めったにそんなことはしないよ。普段は普通の植物と同じ、穏やかに生きているんだ。彼らが霧を起こすのは、災害なんかで土やお日様から十分栄養がとれないとき、
エリウ曰く、夢幻樹は栄養状態が悪くなると霧を生む。そうして森の中に生き物を誘い込み出られなくして、力尽きるのを待つのだ。森から出られなくなってしまった生き物は死んで土に還る。その養分が夢幻樹の
「なるほど、よくできているね。ということは、今この森は栄養状態が悪いということなのかな?」
私は森を観察する。木々には枝にたくさんの青々とした葉をつけ、幹はしっかりとしていて樹皮もみずみずしい――とても健康そうに見える。
「状態は良さそうだけれど…」
「そうだね。今回の霧は捕食のためじゃない。木が怒っているんだ」
「木が怒る?」
首をひねる私をよそに、エリウは森に向って声をあげた。
「ボクは大丈夫だから!そんなに怒らなくてもいいよ!」
すると目の前の霧に変化があった。まるでエリウの言葉に呼応するように、ゆっくりと……しかし着実に霧が薄れていった。
「君は夢幻樹と意思の
「まぁね」
誇らしそう気な顔をするエリウ。
なるほど。これなら、夢幻樹が『怒った』という言葉の意味やその原因も
そう言えば、
「ギルベルトはこの森を抜けたいの?」
「うーん。また、霧が出るとやっかいだしなぁ」
人を迷わす森の謎も解けたし、わざわざ危険に突っ込むこともないだろう。
「ボクに任せなよ」
エリウはしたり顔で声を張り上げる。
「この人は良い人だから、迷わせないでね!……よし、これで大丈夫」
「え…ほんと?」
どうやらエリウが夢幻樹を説得(?)してくれたようだが、どこまでその効力を信じてよいかは疑わしいように思える。だが……、
カサカサカサカサ――。
風もないのに、急に葉擦れの音がした。一本、二本の木が震えているのではない。ざわめきは森中に広がり、森全体が揺れているようだった。まるで、エリウの言葉に応えるみたいに。
「こりゃすごい」
「せめてものお礼だよ。ありがとう」
エリウは満面の笑みを浮かべていた。
*
明るい森の中を青髪の青年が歩いていた。周囲に魔物の姿はなく、とても穏やかな森だった。視界は極めて良好で、青年は順調に森の中の一本道を進んでいく。
青年は少しも道を外れることがなかったため知る
そこは切り立った崖に囲まれた小さな谷で、誰かがうっかり足を踏み外せば怪我では済まないくらいの高低差があった。
谷底には小さく細い川が流れている。
そして今、その脇に真新しい死体が二つ横たわっていた。
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