第9-1話 妖精

 小高いに丘に登り辺りを一望すると、一面に背の高い草が生い茂っていて、まるで緑の絨毯のようになっていた。

 その草原の中を一本の道が真っすぐ走っている。草原の向こうには大きな森が見え、その手前で道が二つに分かれていた。

 一つはそのまま真っすぐ森の中を進み、もう一つは森を大きく迂回するように横へ伸びている。


「あれが例の森か」

 私は道中立ち寄った村でのことを思い出した。



 そこは小さな村で、旅人が寝泊まりできるような宿は一軒しかなかった。そのとき、私は宿の一階の食堂で早めの夕食をとっていた。

 偶然にも客は私しかおらず、暇を持て余した店主のお爺さんが話しかけてきた。その会話で、興味深い話を聞いたのだ。


「二つの道はどちらも次の街に続いておる。森の中を抜けた方が早いが、あまりお勧めはせん」

「危険な森なのですか?魔物が出るとか?」

 私が聞くと、彼は首を左右に振った。

「厄介な魔物が出ると聞いたことはないし、普段は何の問題もない」

「なら、どうして?」

「時折、森の中に霧が出るんじゃ。そんなとき、慣れてない者が森に入ると必ず迷う」

 だから、急ぎの旅ではないのなら森を迂回する方が安全だとお爺さんは話していた。


 そのくだんの森が今、少し遠くに見える。

 私の旅はエドワルド王からの逃避行だ。要はエドワルド王に見つからないことが重要なのであり、明確な目的地があるわけではない。

 現在私は夢で会った時と違って少女リベアの姿をしていない。さすがのエドワルド王も、私が変身トランスフォームの魔術でギルベルトの姿を借りているとは思わないだろう。彼が私を見つけるのは困難なはずだ。

 ……まぁ、油断はできないだろうけれども。

 ともかく、私の旅は急ぎではない。現におおまかには西を目指しつつ、あちこち寄り道をしている次第だ。

 にもかかわらず、私は森の中を進むつもりでいた。

 理由は簡単で、人を迷わす森とはどういう仕組みなのか、俄然がぜん興味が沸いたからだ。


 魔術で視覚を強化して森を見てみるが、今のところ霧が出ている様子もない。そもそも今は晴天の昼下がりで、霧が出るような気候ではなかった。

――と、森の中から勢いよく何かが飛び出してきた。

 人のような姿をしているが、それにしては随分と小さく身長は50センチくらい。その背中には蝶のような美しい羽が見えた。


「妖精だ!」


 私は思わず声を上げた。

 妖精は森や山、きれいな川や湖など、自然が豊かな場所に好んで住む生物だ。

 悪戯いたずら好きでときどき厄介を引き起こすものの、魔物と違って基本的には人間に対して友好的である。

 百年前の魔王との争いでも、彼らは人の側に立って協力してくれた。妖精の協力なしに魔王討伐はなし得なかっただろう。


 私が『魔術』をつくったきっかけも妖精である。

 妖精たちは皆、興味深い力を持っていた。彼らはその力を使い、様々な不可思議を引き起こすことができた。

 例えば、サラマンダーの起こす炎やジャック・フロストが降らせる霜、シルフの操る風に、泉のニンフの傷を癒す力。

 前世で、私はそうした不思議な力に心惹かれた。

 彼らはどうしてそんなことができるのだろうか。機会があるごとに、私はその不思議をよくよく観察し続けた。


 そして、私は不思議な力の源に気付く――それが『魔力』だった。

 

 前世でも今も、どういうわけ私には『魔力』の流れがよくえ、そのおかげで自分も妖精と同じような力を持っていることに気付けた。そうなると、当然のようにある好奇心が沸き起こる。

 どうにかして、妖精と同じことができないだろうか?

 それで私は試行錯誤し、妖精たちの魔力の流れを再現するための『魔力ルーン文字』と、不可思議な力を引き起こすための『呪文』をつくった。そして、それらをまとめて『魔術』と呼んだ。

 そう、私の『魔術』の始まりは妖精の真似事だったのだ。


 また、『魔術』はいわゆる『異能』をるための契機にもなった。

 異能者と呼ばれる彼らは、先天的に己の『魔力』を不可思議な力に変換できる者たちのなのでは……と私は考えた。

 魚が水の中を泳ぐように、鳥が空を飛ぶように、そして妖精たちのように。

 『呪文』なしにごく自然に、『魔力』を異なる力に変えることができる能力――それが『異能』なのだろうと。



 こういう背景もあってか私は妖精が好きだった。

 だから、今回もついつい目で追ってしまった。そして、その妖精の様子がおかしいことに気付く。必死に飛んでいる様子はまるで何かから逃げているようだった。


「一体何から?」

 その答えは、すぐに分かった。



 ヒュン、ヒュンッ!

 風を切って矢が飛んでくる。それがすぐ脇の地面に刺さり、妖精は悲鳴を上げた。ほどなくして森の中から襲撃者が姿を現す。

 彼らは男女の二人組だった。

 狩人ハンター風のよそおいで、どちらも二十代半ばくらいに見える。アムルシティで出会った新人狩人ルーキーと違い、こちらはそこそこ場数を踏んでいる様子だった。

 なぜ狩人ハンターたちが妖精を追っているのか、経緯は不明だが気に入らない。彼らはこの一方的な狩りを楽しんでいるように見えた。

 酷薄な笑みを浮かべながら、女の方が呪文を唱える。石ころがいくつも空中に浮かび上がり、それが妖精に向って飛来した。

 妖精は懸命に飛んで逃げるが、運悪く石の一つが命中する。そして、森から百メートルほど離れたところで妖精は落ちてしまった。


「まずい」

 私は慌てて妖精の元に走った。その間にも狩人ハンターの二人は妖精との距離をめていく。

 男の狩人が弓の弦を引き絞った。

「死ねっ!」

 男が叫んだのと、私が一陣のガスティングウィンを完成させたのはほぼ同時だった。

 弓から放たれ矢は真っすぐに妖精に向って飛んでいく――それを突如起こった強風が地面へ叩き落した。


「……なんだ?」

 狩人ハンターの男女がぽかんと大口を開けている。一体何が起こったのか、把握できていない様子だ。その隙をついて私は妖精の元にたどり着いた。

「ひっ!?」

 私を見て妖精が怯えた声を上げる。

「大丈夫。俺は敵じゃない」

 私はそれだけ言うと、狩人ハンターたちに向き直った。


「今の風、てめぇの仕業か」

 男の方が忌々いまいまし気にこちらをにらんでくる。

「なぜ妖精を攻撃する?」

「てめぇには関係ねぇだろうが!」

「そうよっ!部外者が口を挟まないでっ!」

 女の方も怒りを露わにするが、はいそうですかと引き下がるわけにもいかない。

「妖精を傷つけるのはご法度はっとだ。常識だろう」

 妖精は神聖なもの。手を出してはならない――というのは社会通念のようなものだ。それを教えるための教訓やおとぎ話は山ほどある。

 女神教なんかは、妖精を神の御使いとして信仰しているくらいだ。

 

 そんな当たり前を口にしただけのはずなのに、目の前の男はゲラゲラと笑い始めた。

「お前、未だそんな迷信を信じてるのかよっ!?村のジジイババアじゃあるまいし!」

 女も同じように声を立てて笑っている。

「そうよ。妖精が神聖?まさか魔術が発展したこの世界で、そんなおとぎ話を信じているの?妖精なんて、魔物と何が違うのよ?」

「魔物は人を襲うが、妖精は襲わないだろう」

「そんなの関係ねぇよっ!」

 男が吐き捨てるように言った。

「俺らの方が妖精コイツより強い。強いやつが正しいんだよ!だから俺らには妖精コイツを自由にしていいんだ!」

「弱肉強食ってやつね、キャハハッ!!」


 めちゃくちゃな論理である。この手の輩を説得するのと、ゴブリンに説法を説くのとどちらが難しいだろうか。

 時間の無駄だと、私は静かに剣を抜いた。その様子を見て、彼らは驚いた顔をする。

「たかが妖精のために俺らにたてつこうっていうのかよ?お前、正真正銘のバカか?」

「二対一で敵うなんて思っているの?しかも、彼は矢の名手だし、私は魔術師よ?」

 私を愚か者と嘲笑しつつ、二人も各々武器を手にして身構える。

 そして――。


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