03 僕天使

「お前は選ばれたのだ」


 嵐の夜、父はわたしの両腕をしっかりと掴んで、そう言った。

 そんな、幼い日の思い出。


◆ ◆ ◆


 父は、ディートリヒ公の忠実な執事だった。その娘であるわたしも、物心ついたときにはルチナ様の話し相手として屋敷に出入りを許されることとなった。

 わたしとルチナ様を引き合わせてくれた偉大な父が言うには――


「お前は、ルチナ様の“天使”なのだよ」


 天使、とは。

 我らよりも遠い遠い場所に居るとされる女神・ラエティシア様から与えられる使いのことで、人生が善いものになるよう導いてくれる人を指す言葉。

 ……と言っても、実際に女神様から何かしらのしらせがあるわけではないらしい。

 大抵の場合、天使の決め方は実に簡単だ。貴族が司祭に大金を払って、女神の啓示を“受けてもらう”……以上。つまりは、家同士のつながりをより強固なものにする大義名分を金で買うようなものである。

 ――そう、大抵の場合は。


◆ ◆ ◆


 嵐の夜、血相を変えた司祭と、厳しい面持ちのディートリヒ公、そして父が我が家にやって来た。

 寝間着姿のわたしを見るや否や司祭は「おぉ…おぉ…」と繰り返しながら崩れ落ち、幼いながらに何か大変な事が起きていると悟ったものだ。


「こんな夜に、こんなに濡れて、どうしてしまったのですか?」


 わたしの質問に、父が動く。

 背の低いわたしに目線を合わせた父。

 ゆっくりと動く口から流れ出る言葉を、わたしは他人事みたいに聞いていた。


「司祭様の夢に、ラエティシア様が現れたそうだ。ラエティシア様は、ルチナ様に天使を与えたにもかかわらず、その天使に自覚が芽生えないことを憂いているそうな」

「じゃあ、この嵐はラエティシア様のお怒りのあらわれなの?」

「ああ。そうだよ。そして…いいかい。よく聞きなさい。ルチナ様の天使というのはね、お前のことなんだ」


 やはりわたしにとっては他人事。珍しく父が物語を読み聞かせてくれているような感覚でしかない。そんな様子を見かねたのか、父はわたしの両腕をしっかり掴んでこう言った。


「お前は選ばれたのだ」


 念を押すように、もう一度。


「レイラ。お前は、ルチナ様の“天使”なのだよ」


 わたしは遠い遠い場所に想いを馳せていた。

 そこに居るのはラエティシアなんていう女神じゃない。多種多様な地上人が今を精一杯生きている場所だ。

 この世界の人達が考えているような清らかな天上の世界でもなく、もっと俗っぽい場所で、“僕”が暮らしていた世界。そこで僕――鈴木玲は“わたし”のことを知っていた。

 姉がハマっている乙女ゲーム『硝棺のシンデレラ』の主人公・レイラはルチナにとって恋敵で、憎むべき相手で……


「あれ? 天使なんて設定、あったっけ……」


 ぼうっと宙を眺めていた娘がようやく口に出した言葉がこれだったものだから、父は目を見開いた。


 そうそう。僕は、気が付けばこの世界の主人公になっていたんだ。

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