40.ヒーロー

肩を落としてスゴスゴと帰る林田君を、私たち四人で見送った。

彼の姿が見えなくなると、フーっと気が抜けた。自分でも想像以上に緊張していたようだ。

麻奈が私と腕を組んでいたので倒れずにすんだ。絡めていた腕で咄嗟に支えてくれた。


「唯花! 大丈夫?」


「ご、ごめん、麻奈。ちょっと気が抜けた・・・」


ハハハっと力なく笑うと、麻奈の腕にしがみ付くように立った。


「無理しないで。怖かったでしょ? やっぱ最低だわ、あの男」


「・・・でもね、麻奈。ざまあ見ろって思っている私もいるの・・・。だから私も人の事言えないよ・・・」


「いいえ! そんなことない!」


麻奈は力強く言うと私をギュッと抱きしめてくれた。


「移り気な上に優柔で、それでいて自分には非が無いと思って人に当たるなんてさ! しかも自分よりも弱い人に! 絶対おかしいって!」


麻奈は私の頭をポンポンと優しく撫でてくれる。

なんか、酷い言われようだわね。確かにその通りだけど。

そして、そんな人を好きだったんだ、私・・・。情けなくなってきた・・・。


「森田、もういい? 唯花を返してくれる?」


背後からコウちゃんの少し不機嫌な声が聞こえた。


「なんでよ? そもそも、もうちょっと本田君がしっかりしていればこんなことにはならなかったんじゃない?!」


麻奈はワザとらしく私をさらにギュッと抱きしめると、クルッとコウちゃんに背を向けた。


「・・・俺も亨を抱きしめて離さなくてもいい? 連れて帰っちゃうかも・・・」


「ごめんなさい! 返します! 唯花、もう大丈夫よね?」


「ごめん、幸司。僕、そっち方面には興味無いんだ。もちろん理解はあるつもりだよ?」


「俺もねーよ」


麻奈はあっさりと私をコウちゃんに手渡す。

コウちゃんは私の腕を取ると、自分の方へ引き寄せた。


「それにしても災難だったね。唯花ちゃん」


亨君が初めて私に話しかけてくれた。


「なに馴れ馴れしく名前で呼んでんだよ、お前も!」


コウちゃんは亨君から私を隠すように抱きしめた。


「そうよ! 亨君!」


麻奈もお冠だ。


「え? そう言われても、麻奈も幸司も僕に彼女のことを話す時は名前でしか話さないから、苗字に自信が無くて・・・。えっと、高知さんだっけ?」


「香川です・・・」


「ああ、そうそう! 香川さん。瀬戸内海側だったね。失礼」


瀬戸内海側・・・。

その程度の認識ね。そうよね。私も亨君の苗字知らないわ。この二人、下の名前でしか話さないから。


「それより、幸司は香川さんを送って行くだろ? カバンを持って来ようか?」


「ああ、頼む」


私は驚いてコウちゃんを見上げた。


「え? いいよ! 一人で帰るよ! 授業あるでしょ?」


その時気が付いた。

そうだ、もう塾の講義が始まっている時間だ! 三人とも遅刻させてしまった!


「ごめんなさい! 麻奈も亨君も! 授業始まっちゃったでしょ?」


私はコウちゃんから離れると、慌てて二人に頭を下げた。


「気にしないで香川さん」


亨君は私を安心させるかのようににっこり笑ってくれた。

麻奈もうんうんと頷いてくれる。


「ここでお前を一人で帰せるかよ」


コウちゃんは後ろから私の頭を軽く小突いた。


「でも・・・」


「そうよ、唯花。一人は絶対ダメ! すぐ持ってくるね、本田君。入り口で待ってて」


麻奈はそう言うと亨君と一緒に足早に予備校へ戻って行った。





「ごめんね、コウちゃん・・・。私のせいで、塾サボることになっちゃって・・・」


二人きりになって、改めてコウちゃんに謝った。


「だから、お前のせいじゃないって」


「でも・・・」


「たまにサボるのも悪くないよ。そんなことより・・・」


コウちゃんはいきなり私を抱きしめた。


「ごめんな、怖い思いさせて。俺も油断したよ・・・」


「コウちゃんは悪くないでしょ」


私は抱きしめられてフワッと幸福感に包まれた。

さっきの恐怖なんて本当にどこかへ飛んで行ってしまった。


「ふふ、ありがとね、コウちゃん。助けに来てくれて」


私はコウちゃんの背中に手を回した。


「格好良かったよ・・・。ヒーローみたいだった・・・」


抱きしめているコウちゃんの喉がゴクリと鳴った気がしたけど、気のせいかもしれない。

コウちゃんはそっと体を離すと、私の顔を覗き込むように顔を近づけてきた。


「ねえ、それよりコウちゃん。どうしてここが分かったの?」


「え・・・? 今このタイミングで聞く・・・?」


「?」


コウちゃんは軽く溜息を付いて後頭部をポリポリ掻いた。

でもすぐ真顔になると、しっかりと私を見た。


「森田が教えてくれたんだよ。アイツが予備校に入る時に、お前があの男に引きずられて歩いているところを見たんだ。それですぐに俺に電話をくれたんだ。悪いとは思ったが森田には後を付けてもらった。危ないから手出しはするなって言ってね」


「そうか。ありがとう。麻奈のことも守ってくれたのね」


「まあ、森田に何かあったら、亨が黙っちゃいないはずだけどな」


「麻奈には感謝しかないね。お礼しなきゃ」


「そうだな」


「あと、亨君にも」


「亨はいらない」


「何で?」


「なんでも!」


コウちゃんはプイっとそっぽを向いた。

あー、分かった気がする。こういうとこ? 麻奈が言ってた器が小さい男って?

でも、お腹の底から沸々と満足感と優越感と幸福感が浮かび上がってくるのは何でだろう?

ヤキモチを焼かれたことが嬉しくってくすぐったい。


「ねえ、コウちゃん。さっきね、すごく嬉しかったの」


私はコウちゃんの手をキュッと握った。


「『唯花しか興味無い』って言ってくれて」


コウちゃんは驚いたように私に振り返った。

私は背伸びをしてコウちゃんの耳元に口を近づけた。


「私もコウちゃんしか興味無いから」


そう囁いた次の瞬間、ギューッと抱きしめられた。


「ホント・・・何これ? 拷問?」


コウちゃんはちょっと苦し気に呟いた。


「だとしたら、もうギブアップ・・・。我慢できない・・・」


コウちゃんはゆっくり体を離すと、私の頬を両手で包んだ。

ゆっくり顔が近づいてくる。私は目を閉じた。

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